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栃木県 日光山輪王寺   世界遺産

2021年5月18日 一部字句訂正


輪王寺   
住所:栃木県日光市山内2300
山号:日光山
宗派:天台宗
本尊:阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音
創建:天平神護2年(766年)
開基:勝道


 大獣院霊廟本殿・相の間・拝殿  二荒山神社の前の常行堂・法華堂などもここの管理下東照宮の陽明門の脇のお寺 薬師堂(鳴龍が有名三仏堂)


拝観 平成23年11月16日


輪王寺とは、お寺やお堂、さらに15の支院の総称で、勝道上人が天平神護(てんぴょうじんご)2(766)年、神橋のそばに四本竜寺を建立したのが始まり。山岳信仰の場として栄え、たくさんの行者が修行に訪れた。平安時代の弘仁元(810)年、朝廷から一山の総号として満願寺の名をもらい、後に円仁が来山して天台宗となって、現在に至っている。鎌倉時代には、弁覚が光明院を創設して一山の本院とし、天皇家から門跡を招く皇族座主の制度が始まった。しかし、安土桃山時代には小田原の北条氏に加担したため、豊臣秀吉に寺領を没収されて一時衰退した。


日光が盛んになったのは、江戸時代。慶長18(1613)年、将軍の相談役・天海が貫主となってからで、天海が東照宮を創建してから日光は一大聖地へと躍進した。そして、明暦元(1655)年に守澄法親王が輪王寺宮を称した。寺名の輪王寺はここからきている。



黒 門
日光山輪王寺の表門。通称、黒門。皇族を門主と仰ぐ門跡寺の格式を示す門。江戸時代のはじめ、家康公を日光にまつった天海大僧正が創建。やがて後水尾天皇皇子の守澄法親王宮が入山ののち、本坊の表御門となる。明治4年、本坊が焼失したとき、唯一焼け残った建物である。黒門は三間一戸潜り戸付き薬医門で切妻、銅瓦葺き、国指定重要文化財に指定されている。




三仏堂
輪王寺三仏堂は嘉祥元年(848)に慈覚大師が比叡山延暦寺の根本中堂を模して建立したと伝えられています。当初は滝尾神社附近に建立され幾度か移動を繰り返し、現在の建物は正保2年(1645)に三代将軍徳川家光が再建したものを明治14年(1881)に二荒山神社附近から移築したものです。桁行7件、梁間4間、入母屋、銅瓦葺きで東日本最大級の木造の建物で内部には日光三山(男体山、女峰山、太郎山)の本地仏である千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀られています。三仏堂は国指定重要文化財に指定されています。


鐘楼  写真が見当たりません
この鐘楼の柱も水盤と同じように柱が3本ずつある。



護摩天堂
護法天堂は元和5年(1619)に建てられ、桁行5間、梁間3間、寄棟、向拝一間、銅瓦葺き、神仏混合の名残で当初は内権現堂と称していました。護法天堂は国重要文化財に指定されています






ここの奥に天界の墓があります。

常行堂

常行堂は元和5年(1619)に建てられ、桁行5間、梁間6間、宝形造り、向拝一間、銅瓦葺き、古来の密教建築を踏襲した形式を持っているといわれ中央には4本の柱を建てその内部に須弥壇を配しています。常行堂は国重要文化財に指定されています。



常行堂
法華堂は慶安2年(1649)に建てられ、桁行3間、梁間4間、宝形造り、向拝一間、銅瓦葺き、中央の須弥壇には本尊である普賢菩薩をはじめ鬼子母神や十羅刹女などが安置されています。法華堂は国重要文化財に指定されています。



渡り廊下  二つ堂・担い堂ともいう  比叡山と日光しかない珍しい建物
渡廊は常行堂と法華堂つなぐ渡り廊下で桁行8間、梁間1間、切妻(東側は常行堂に接し、慈眼堂入口部の屋根が前後唐破風になっています。)、銅瓦葺き、渡廊は国重要文化財に指定されています


渡り廊下を奥に進むと
天界大僧正以下歴代の僧侶の墓がある。
「慈眼」とは、天海大僧正の大師号である慈眼大師からとられたものである。
親王の廟もあり宮内庁の管理となっている



開山堂  写真はありません
「堂内には約4.5mの地蔵菩薩及び日光開祖。勝道上人とその10大弟子の木像が安置されている。上人は、弘仁8年(817)に83歳で亡くなり、この地に葬られた。毎年4月1日に開山会が執行される。間口、奥行きよも6間5尺(12.3m)重層宝形造り、日光山第59世公導法親王筆の「開先院」の額が揚げられている。」とあります


相輪塔
まるでロケットのような


三仏堂の斜め裏手にある、青銅製の細長い塔。高さは13.2メートル。
上部には金瓔珞(きんようらく)というものと、金の鈴がそれぞれ24個つづられていて、下部には徳川家の家紋である葵の紋が3つ見える。それらが、4つの控柱(ひかえばしら)で支えられている姿となっている。
 これは、寛永20(1643)年、3代将軍家光公の発願によって天海大僧正が建てたもの。天台宗総本山の比叡山延暦寺にある、天台宗宗祖伝教大師最澄が初めて建てた相輪塔を模して造られた。とう面に、伝教大師と天海大僧正の銘文がある。
 当初は東照宮奥院にあったが、慶安3(1650)年に二荒山神社近くに移築。明治8(1875)年に、神仏分離のため今の場所に移された。
塔内には1000部の教典を収蔵している。



工事中で拝見できませんでした。
輪王寺三仏堂の後方、相輪塔の前に立つ一対の銅燈籠。1604年(慶長9)、家康により中国産生糸の独占輸入と販売を許可された特権的な商人集団のことを「糸割符仲間」といい、1648年(慶安元)4月、家康の33回忌に彼らにより奉納されたのがこの糸割符燈籠。当時は商人ゆえ、東照宮神前奉納が許可されずここに据え置かれたのだが、それでも民間奉納では破格の扱いであったという。




この橋を渡ると日光山輪王寺 
しかし、現在は通行止めで右側のコンクリート製の橋を使用します。

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