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栃木県 日光廟大猷院 徳川家光が家康を見守るために建立

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                                  2020.8.5
                               幡の建て方写真
日光廟大猷院   平成23年11月16日(水)
三代将軍徳川家光をお祀りする霊廟大猷院という名称は家光の法名である。黒と金
を基調にして造営されている。
奥の院まで合計6つの門がある。木立の中を進むにつれ天界へ導かれるようであ
る。



二天門正面左持国天象              二天門正面右側広目天


仁王門の唐獅子                            六花竜担紋
仁王門の装飾  紋は源氏の流れを示す


背面の軒下かえるまた 緑 麒麟 透かし彫り   背面軒下かえるまた 青 麒麟透かし彫り


輪王寺大猷院仁王門
仁王門は承応2年(1653)に建てられた建物で、三間一戸、八脚門、切妻、銅瓦葺き、建物全体は朱色を基調として上部の構造体は黒色、金物を金、彫刻を極彩色で彩っています。大猷院の中では比較的落ち着いた彩色で威厳を感じます。両脇には密迹金剛像と那羅延金剛像の2体の仁王像が安置されています。大猷院仁王門は国指定重要文化財に指定されています。

仁王門背面左側の蓮の飾り

仁王門背面右側の蓮の飾り
かえるまたには他に雁、鶴、鴨、水葵、おもながの透かし彫りがあった。




輪王寺大猷院宝庫
宝庫は承応2年(1653)に建てられた建物で、入母屋、銅瓦葺き、向拝付きです。建物全体は朱色を基調として金具が金、建具が黒で彫刻は僅かに向拝廻りのみで極彩色で彩られています。大猷院宝庫は国指定重要文化財に指定されています。


輪王寺大猷院水盤舎
水盤舎は承応2年(1653)に建てられた建物で、切妻、銅瓦葺き、唐破風付きの格式が感じられます。4隅に各3本の御影石の柱が屋根を支える独特な構造で、柱の白色と上屋の極彩色の対比が際立ちます。天井には狩野永真安信が描いた竜の墨絵があり水盤に写し出すといった粋な工夫が見られます。大猷院水盤舎は国指定重要文化財に指定されています
陽明門と大猷院は呼び名が違う
陽明門の呼び名・・・・・御水屋   大猷院・・・・・御水舎



天井を見ると龍の絵。狩野永真安信(1614~1685)の作。ただしこの人、狩野派ではあまり目立たず、兄の探幽のほうが著名。雲に龍これが下の水盤に映る





大猷院では一番大きな建物
二天門は承応2年(1653)に建てられた建物で、桁行5.3間、梁間3.1間、三間一戸、八脚楼門、入母屋、銅瓦葺き、前後の屋根に唐破風。朱色が基調で金物は金、1層目の組物が黒、2層目の組物が極彩色に色分けられていて正面唐破風下には後水尾天皇の宸筆した「大猷院」の扁額があります。内部には持国天と天目天が安置(裏面には風塵、雷神が安置されています。)されていることから二天門と呼ばれています。大猷院二天門は国指定重要文化財に指定されています。
雷神の手の指が3本なのは、過去・現在・未来を表し、風神が4本なのは東西南北を表現している。また、風神・雷神ともに足の指が2本なのは天と地を示している。


天井

二天門 内側  雷神  二天門背面右側雷神

二天門背面左側風神              
手の指は4本 足の指は2本 手の指は3本 足の指は2本
両像の首にスカーフを巻いているおしゃれな象

城の門のようにかぎ型に道が変わる  階段上から見た二天門

鐘楼輪王寺大猷院鐘楼
鐘楼・鼓楼(向って右側が鐘楼、左側が鼓楼)は承応2年(1653)に建てられた建物で桁行2.5間、梁間2.1間、入母屋、銅瓦葺き、下層部には袴腰、上層部には高欄が廻されています。全体的に黒を基調とし、金物を金箔、組物、彫刻を極彩色で彩る格式の高さを感じます。大猷院鐘楼・鼓楼は国指定重要文化財に指定されています。


鼓楼





輪王寺大猷院人界庭園
石灯籠と苔が織り成す庭園。基本的には中には入れなく展望所から見下ろすことが出来ます。案内板には「 天界から人海庭園を眺めて御覧ください。」とあります。石灯籠を人と見立てているように感じます。


輪王寺大猷院夜叉門
夜叉門は承応2年(1653)に建てられた建物で八脚門、切妻、銅瓦葺き、正面には唐破風がついています。全体的には朱色が主体で組物と金物が金、彫刻が極彩色で彩られ、牡丹、唐草牡丹の彫刻が多用されている事から牡丹門の別称があります。内部には東西南北を表している色違いの毘陀羅像、阿跋摩羅像、烏摩勒伽像、健陀羅像が安置され夜叉門が大猷院の中で霊廟の鎮護に当たっていることが分かります。大猷院夜叉門は国指定重要文化財に指定されています。




正面左の夜叉「毘陀羅(びだら)西側


正面右の夜叉「阿跋摩羅(あばつまら)東側 緑色


夜叉門右側木鼻の獏 吽型


夜叉門左側木鼻の獏 阿型  (写真が見当たらい)         
 


夜叉門裏側
木鼻阿吽の獏が表側と逆になっている、すなわち表からみると同じ形がそろっている



背面左の夜叉「烏摩勒伽(うまろきゃ)」 
左手に弓、右手に矢を持っています。 
膝当てはなく、水玉模様のブーツを履いています。


夜叉鍵陀羅(けんだら) 西側 白色



叉門正面と背面の間にある扉
透かし彫りの牡丹の花の彫刻に黒漆が施されています。

輪王寺大猷院唐門
唐門は承応2年(1653)に建てられたもので一間一戸、仁王門、二天門、夜叉門と3つの門をくぐってきた。唐門は大猷院の中では一番小さい門(間口:1間4尺=3.03m、奥行:6尺=1.82m)屋根は唐破風で前面は丸柱、背後は角柱で破風内部には雌雄の鶴、欄間には白竜、木鼻には獅子が彫り込まれています。扉は両戒棧唐戸で上部には鳳凰、下部には唐草などの透かし彫りが施され格式を感じさせてくれます。又、門全体は金を基調に極彩色で彩られています。大猷院唐門は国指定重要文化財に指定されています。



大獣院に350基の石灯篭がある。


透 塀  総長 160m


輪王寺大猷院拝殿    毎年4月20日の家光の命日に公開


拝殿は承応2年(1653)に造られた建物で桁行8間、梁間3間、入母屋で本殿、相之間と一体となる権現造りとなっています。正面には大きな千鳥破風が設えられ向拝は軒唐破風になっています。建物全体が黒漆塗りの上に金箔を貼り付けられ、彫刻を極彩色、高欄部を朱塗り、開口部を黒に塗るなど色分けし、本殿と比べると若干色調を押えている印象を持ちます。拝殿内部折上格天井には格子毎に竜が描かれて140匹に上るそうです。大猷院拝殿は国宝に指定されています。


拝殿入り口


拝殿天井

二層目の彫刻

一層目の彫刻


扉の彫刻

拝殿・相の間・本殿全て金箔が張られています。「金箔殿」というそうです。

ここを出ると徳川家光の墓所

皇喜門と言います。 別名竜宮門  徳川家光の墓があります。
不断は開いていません。」
輪王寺大猷院皇嘉門


皇嘉門は承応2年(1653)に建てられた一階塗籠楼門です。一般的には竜宮門と呼ばれる中国の楼門建築の様式を取り入れたもので、1層目の白漆喰と2層目の極彩色豊かな彫刻との対比が印象的です。この門は3代将軍徳川家光が眠る奥の院の入口にあたり普段は閉められ一般客は内部に入る事が出来ません。門の天井には「天女の画像」が描かれ、門扉の意匠などにも格式が感じられます。皇嘉門は国指定重要文化財に指定されています。

皇喜門の扉

皇喜門左手を見る

皇喜門左手を見る


皇喜門より右手を見る


皇喜門右より振り返ると 中の間

輪王寺大猷院本殿
本殿は承応2年(1653)に造られた建物で桁行5間、梁間5間、2層入母屋で拝殿、相之間と一体となる権現造りとなっています。建物全体が黒漆塗りの上に金箔を貼り付けられ、彫刻を極彩色、垂木、高欄部を朱塗り、花頭窓周囲を黒に塗るなど色分けし格式と調和を図っています。内部には三代将軍徳川家光の木像と御霊碑を安置した宮殿が設置されています。大猷院本殿は国宝に指定されています。


拝殿

相の間
拝殿と本殿を結ぶ中殿である相の間は、将軍着座のために、特別に用意された部屋である。家光公の命日に大猷院を訪れた代々の徳川将軍たちは、ここで法要の様子を眺めていたに違いない。
格天井-ごうてんじょう-には古来から縁起がいいとされている架空の霊鳥、鳳凰-ほうおう-が描かれている。また、本殿との境目では、左側に降竜-くだりりゅう-、右側に昇竜-のぼりりゅう-という、まったく逆に体を向けた竜の絵を見ることができる。
 そして、特筆すべきは、相の間に置かれている香炉などの三具足といわれる品である。これらは、加賀百万石の前田利常の献上品。由緒正しい美術品である。


大獣院 入り口の幡


以下                     
これより非公開ネットよりの情報のみ 平成22年4月から23年3月まで家光生誕
350年で公開されていた今後は何時公開か不明


細長い相の間の先が本殿(非公開)である。ここは、大猷院の本尊が安置される重要な場所だけに、手をかけた造りである。
 大きさは、10メートル四方の正方形。拝殿よりは小さいが、今まで通ってきた部屋とは比べものにならないほど密度が濃い。
 殿内は多くの彫刻が施され、金色をふんだんに取り入れていることから、金閣殿とも称されている。
 正面には御宮殿があり、なかには秘仏が安置されている。向かって右奥には、歴代将軍の位牌-いはい-が並ぶ。
 架空の霊獣の麒麟-きりん-、牡丹唐草-ぼたんからくさ-、金色に輝く向かい竜、首が2つある犀-さい-など、彫刻の種類が豊富で、豪華そのもの。やはり、本殿ならではである。



皇嘉門をくぐって石造りの階段を上っていくと、途中の左手に銅包宝蔵(どうづつみほうぞう)鎧蔵(よろいぐら)、右手に奥院がある。
  ただし、皇嘉門はいわば開かずの門。奥院があるため、ここから先へは一般人はもちろんのこと、寺の者でも滅多に足を踏み入れることができない。ここは聖域になっているのである。
奥院は、日光に貢献した徳川3代将軍家光公の墓所。家光廟大猷院のいちばん荘厳な霊域である。
奥院は、手前から奥院拝殿、鋳抜門-いぬきもん-、宝塔-ほうとう-で構成されている。
奥院拝殿は、間口9メートル、奥行き5.4メートルの単層入母屋造り-たんそういりもやづくり-で、黒を基調とした荘重な建物である。


鋳抜門は、間口2メートル、奥行き1.5メートルのこぢんまりとした門で、唐銅(からかね)製の鋳物でできている。別名、唐門とも呼ばれ、梵字(ぼんじ)の浮紋)(うきもん)で飾られている。
  鋳抜門の両端から丸い柱が四方を囲んで、そのなかに高さ4メートルの唐銅製の宝塔が建っている。宝塔のなかには、釈迦如来-しゃかにょらい-像と霊牌(れいはい)が安置されており、「死んだ後も、東照大権現にお仕えする」という家光公の遺志どおり、宝塔の下に家光公の遺骸(いがい)が静かに眠っている。



拝殿の内部は細部に至るまで金箔が施され、文字通り金箔玉楼となっています。
寺院は本尊が南を向くのが定式で、家康公の御廟である東照宮もそのような造りになっています。ところが大猷院の本殿は東北(鬼門)を向いているのです。これは家光公が「死して後も朝夕東照大権現(家康公)の側でお仕え奉る」と遺言し、御廟も東照宮の方へ向けてあるからなのだといわれています。


それでは大猷院のご本尊はどちら向きかといいますと、本殿の奥壁の裏に実はもう一つ部屋が設けてあり、そこに釈迦三尊画像が後ろ向き(南面)に掛けられています。定式と遺言のどちらにも沿う妙案と言えるでしょう

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