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西国三十三カ所観音巡礼の旅 竹生島 宝巖寺・長命寺・観音正寺

2019年5月20日、日本遺産登録の発表が文化庁より行われました。
1300年以上の歴史を誇る「西国三十三所観音巡礼」が、日本遺産に認定されました。


第30番札所 宝巖寺  琵琶湖内にたたずむ
住所:滋賀県長浜市早崎町1664
山号:巌金山
宗派:真言宗豊山派
本尊:弁才天
創建:神亀元年(724年)
開基:行基、聖武天皇(勅願)
御詠歌:月も日も波間に浮かぶ竹生島(ちくぶしま) 船に宝を積むここちして
電話:0749-63-4410


奥琵琶湖に浮かぶ琵琶湖竹生島(ちくぶしま)にあります。
長浜から船で30分竹生島船着き場へ。ここには琵琶湖西岸からの船があるので、帰りは間違わないように乗船しないと、元に戻れません。
島内は神仏融合した「神の住む島」と湖国の住民たちに慕われてきました。湖国の人々は死後は島に行くと考えていました。


弁財天は、日本弁財天の一つである。ほかには安芸の厳島神社、相模の江島神社


聖武天皇の勅願により、行基が竹生島に来島し弁財天像を祀ったのが始まり。
竹生島は周囲約二㎞、面積0.14k㎡ほどの小さな島です。島には宝巖寺と都久夫須磨麻神社があります。これは明治の神仏分離令によるもので、平安時代から神仏融合の島でした。かって祭神は浅井姫命とされていた。これは浅井氏の氏神であり、湖水を支配する神
であった。永禄年間に火災がありその後豊臣秀頼が伽藍を復興。島内の唐門および都久夫
須磨麻神社本殿は、豊国廟(京都市東山のあった豊臣秀吉の霊廟からまたは伏見城の遺構
から移築したともいわれています。

船か下りると最初に出会う



伽藍


  観音堂から見た唐門

         唐門上部(蟇股)  外側


        唐門上部(蟇股)  内側
唐門(国宝)
桃山時代1603年
一間一戸向唐門、檜皮葺観音堂に接続している。
豊国廟の極楽門を移築したものと伝えられています。
大型の蟇股が置かれ、牡丹の彫刻で 蟇股の外部や脇羽目なども多彩な彫刻で埋め尽くさ
れています、とても美しいですよ。 豪華絢爛といわれた桃山様式の代表的遺構でありま
す。しかも現存唯一の秀吉時代大坂城の遺構として、 大変貴重なものです。
(大阪城の極楽門を豊国廟に移築さらにここに移築)




観音堂(重要文化財)
入母屋造檜皮葺、ここが西国三十番札所。
本尊である千手観音立像(秘仏)鎌倉時代の作です。
床下に柱を立てる懸け造りとなっています。懸け造りは京都清水寺が有名です。
柱などすべて漆塗、天井は極彩色で、菊・桐などの文様が施されています。



  唐門入ると正面の厨子    厨子の前を右手に行くと渡郎があります。


渡廊
宝巖寺観音堂と都久夫須磨麻神社を結ぶ屋根付きの廊下で、豊臣秀吉の御座船の用材を用いています。そこから「船廊下」といわれがあります。
ここを通ると都久夫須磨麻神社



本堂
弁財天が祀られています。
船着き場からの石段は「本堂」前の広場まで165段ある、つかれるよ。

         弁財天

三重塔
焼失してから久しく2000年に再建されています。


石造五重塔
高さは約2.5mで鎌倉時代の作


  

    観音堂に並ぶ西国三十三観音像

    観音堂・船渡廊も舞台造り

  国宝 竹生島神社(都久夫須麻神社)


視界いっぱいに広がる湖、琵琶湖は楽器琵琶の形に似ていることからなずけられたといわれています。
竹生島は琵琶の音を決める駒の部分にあたります。島の周りを船が通ると、琵琶の弦のように揺れ動きます。
昔竹生島で平家の武将が(平清盛)甥で琵琶の名・手平経正が琵琶を奏でその美し音色で竜神を呼び寄せたという逸話もあります。

     この船着き場から出る船に注意、自分の乗ってきたところに
     行く船に乗らないと琵琶湖西岸に行き、長浜には戻れない。




第31番札所 長命寺  琵琶湖湖畔
住所:滋賀県近江八幡市長命寺町157
山号:姨綺耶山(いきやさん)
宗派:天台宗系単立
本尊:千手十一面観世音菩薩
創建:推古天皇27年(619年)
開基:聖徳太子
御詠歌:八千年(やちとせ)や柳に長き命寺(いのちでら) 運ぶ歩みのかざしなるらん
電話:0748-33-0031


第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願している。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられます。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見しました。
これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置
するよう告げられ、太子は十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられています。



伽藍
長命山の山上にある。この地は昔、島であったが干拓で地続きにしたのである。
お寺までは808段の石段があるが、途中までは車で上がることができます。
上は20台ほどの駐車場となっており、下と上で無線により係りの人が車が下山したら1台
上がれるようになっています。途中の離合は狭くて困難。



本堂
室町時代(1524年)の建立

三重塔
慶長2年(1597年)建立
塔内には須弥壇があり胎蔵界大日如来像が四天王とともに安置されている。



護摩堂
慶長11年(1606年)建立


三仏堂

鐘楼
慶長13年(1608年)再建
入母屋造り檜皮葺  梵鐘は鎌倉時代の作(県指定有形文化財)


太郎坊権現社
主要堂宇は屋根を瓦葺きでなく檜皮葺きまたはこけら葺きです。



拝殿と太郎坊大権現の間にある石段を上がると途中に右側に大きな岩があり今にも転が
り落ちそうです。
この岩は飛来石と呼ばれ、修行を極めた太郎坊が長命寺を懐かしく思い京都の愛宕山
からここまで飛ばしてきたものと伝えられています。

寺から見た琵琶湖




第32番札所 観音正寺 
住所:滋賀県近江八幡市安土町石寺2
山号:繖山
宗派:天台宗系単立
本尊:千手観音
創建:推古天皇13年(605年)
開基:聖徳太子
電話:0748-46-2549
御詠歌:あなとうと 導きたまえ観音寺 遠き国よりはこぶ歩みを


観音正寺は、今から約1400年前、聖徳太子によって、標高433メートルの繖山に開創され
ました。
推古天皇の御代、近江国を遍歴していた聖徳太子は湖水から浮かび出てきた人魚と出会い
人魚は「私は前世漁師であり、殺生を業としていたため、このような姿になりました。繖
山にお寺を建て、どうか私を成仏させてください」と懇願しました。聖徳太子はその願い
を聞き入れみずから千手観音の像を刻み、堂塔を建立したとされ、日本唯一の人魚伝説が
残る寺院です。


余談ですが
(福井県若狭・空印寺には伝説があり、そこは人魚の肉を食べ、死ぬことができなくなった八百比丘尼の話があります。このような話は全国であるらしいですが、私が訪れたところはここだけです。また別にご紹介します。)


観音正寺は鎌倉・室町時代には、近江国守護職佐々木六角氏らの庇護を受けていた。三十
三もの塔頭を擁した大寺であった。ところが応仁・文明の乱以降、寺は兵乱に罹ったり、守備上の障害として移設されるなど、一転して苦難の路を辿ります。そして永禄11年(1568年)織田信長により六角氏が滅ぼされたのち、慶長11年(1606年)現在地に復興されるまで、長らく荒廃していました。


山頂まで車で上がれますが。私たちは途中から階段を利用しました。

   この寺には仁王門はありません。

 



          北向地蔵  一言願いをすると良いです。


濡れ大仏
江戸時代 戦時中に供出され、現在の大仏は1983年建立

      

            大師堂

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