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四国八十八カ所 番外  御厨人窟

御厨人窟
番外の御厨人窟(みくろど)を目指す
これからは高知県に入る。
ひたすら海岸沿いの国道を南下する。所々で歩きお遍路の方を追い越す。しばらく走る
とこちらに向かってくる歩きお遍路さんにも出会う、おそらく逆打ちの方である。さすがお遍路さんが多い、リュックを背負った多くのお遍路さんに出会う。小さなリヤカーを引いて
いる者、自転車の後ろに自分で造ったらしい車を引いている者、野宿しながらお遍路して
いるのであろう。西国33カ所では巡拝する方にはお寺で出会うのみであり、リュックを
背負った者には出会うことは無かった。


住所:高知県室戸市室戸岬町
電話:0887-22-5134

御厨人窟の前の国道を海岸側に渡ると、奇岩が多く見ることが出来ます。
夫婦岩



約1200年前の平安時代、青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟で、内には五所神社と呼ばれる社があります。


空と海


室戸岬の突端のすぐ近くに2つの海蝕洞穴がある。向かって右側が明神窟、そして左側が御厨人窟と呼ばれる。この御厨人窟には、弘法大師の伝説が残されています。しかも数ある伝説の中でも一際特異な存在です。


空海誕生
774ー835。讃岐国多度郡の生まれ。
郷里から18歳で京都の大学に入り、学んだ佐伯真魚・[さえさまお](後の空海)は、学問に飽きたらず山野を巡り仏道の修行を求めました。そして24歳の時にその集大成とも言える『三教指帰』を著して出家を宣言する。


これは、『三教指帰』(さんごうしいき)
序文に延暦16年(797年)12月1日の日付があるため、空海24歳の著作とされる。儒教・道教に対する仏教の優位を、寓意的な物語として著した思想書。御厨人窟での体験については、自伝的な序文に記されている。


ただし、延暦23年(804年)に遣唐使の留学僧となるまでの足取りは不明な点が多々あり、実際に出家した時期も諸説あります。


自身がこの洞窟を修行の場として選び、ここで起居していたことを記している。さらにこの場所での修行の際に、口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできたというくだりがある。即ち、空海悟りの地と言うべき場所であると、自らの著作で述べているのである。


そして“空海”という名そのものも、この洞窟内から外を眺め、空と海だけが広がる光景から付けたのだとも言われている。まさに不世出の僧・空海誕生の地であると言ってもおかしくない場所である。


この「虚空蔵求聞持法」というのは、
「一度見聞きしたものを絶対忘れない、無限の記憶力を身につけることが出来る」とされる真言密教の秘法で、虚空蔵菩薩の真言を100万回唱えるという、大変に厳しいものだそうです。


悟りを開いた空海の目に飛び込んできたのは「空」と「海」
御厨人窟の奥には「五所神社」と呼ばれるお社があります。
洞窟内で滴る水の音、室戸岬の波の音の素晴らしさから、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に選ばれています。


私達も、御厨人窟から外を眺めると、確かに先には空と海が見えます。


ユネスコ世界ジオパークに認定されている「室戸岬」と周辺スポット
 御厨人窟のある室戸岬には、他では見られない独特の空間が広がっています。
地震による地殻変動やマグマの痕跡、焼き芋のように焼かれてしまった砂や泥大地の変動をそのまま感じられる場所です。


ここの御朱印を頂くとき海岸で拾った石を見せると、御朱印所のおばさんが
「この石は持ち帰らないようにしてください、多くのお遍路さんがこの海岸で亡くなっていてその魂が宿っていて危険ですから元の場所に返してください。」
いや、驚きました、すぐ元の場所へ返しに行きました。






中岡慎太郎の像です。
桂浜の坂本龍馬と相対するように建っています。


最新情報
2015年11月より、落石等により、御厨人窟・神明窟ともに内部への立ち入りは禁止となっていましたが、
現在、落石防止の屋根が作られており、内部に入れるようになりました。



明星来影寺
室戸青年大師
日本最大の弘法大師像
台座含め高さが21mもある巨大像は、 かつて室戸岬で修行していた 弘法大師(空海)の像です。 
室戸青年大師 と呼ばれていて 駐車場から見ても迫力ある姿です。 . 弘法大師像と一緒に 空と海を一望できるのも魅力です.

お釈迦様の涅槃像です。
山を向いています。
上の弘法大師像の後ろにあります。


拝観だけしました。


次は、第24番 最御崎寺に向かいます。

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