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四国八十八ケ所車で遍路の記録/ 第86番志度寺(しどじ)・平賀源内のお墓(自性院)



涅槃の道場:第66番~第88番札所:讃岐の国(香川県)
2020年1月19日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月19日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年8月15日に再度公開しました。


八栗寺から6.5km
第1番から1258.1㎞
第86番志度寺(しどじ)・平賀源内のお墓(自性院)
住所:香川県さぬき市志度1102番地
山号:補陀洛山(ほだらくざん)
院名:清浄光院(せいじょうこういん)
創建:伝:推古天皇33年(626)
開基:伝:尼凡薗子
御本尊:十一面観世音菩薩
☎: 087-894-0086


駐車場:無料、二カ所あります。普通50台
高松自動車道・志度ICから県道141号、国道11号を志度町方面へ。約10分。


交通機関
JR高徳線志度駅から約700m真言:おん まか きゃろにきゃ そわか


御詠歌:いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ


山門
山門の扁額は山号・補陀落山
仁王像と大きな藁草履がありました。



全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まい。本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進されました。
日本三大名門のひとつ(1670年)。その門に納められた仁王像は、阿・吽とも鎌倉時代の仏師・運慶作とされ、東大寺の仁王像の習作と言われている。



鐘楼(写真がありません)


五重塔
 1975年5月に落成
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺・本山寺の4ヶ所が五重塔
が存在します。


本 堂
1670年(寛文10年)建立


大師堂
裳階付きのように正面は軒がついていました。

大師堂

奪衣婆堂  県指定文化財


琰魔堂(閻魔堂)県指定文化財
閻魔大王様を扉越しではありますが見ることができます。
閻魔堂に安置されている閻魔大王像は、室町時代の中頃に、等身大の像を作るように命じて自ら体を採寸して与え、「弥阿」という尼僧を蘇生させたと伝わる。閻魔大王の顔は、参拝する人の心のありようによって、怖い顔に見えたり優しい顔に見えたりすると言われているようです。


写真の中央が閻魔様。左右にいるのが従者で、向かって右側が「司命(しみょう)」という罪状を読み上げる係で、左側にいるのが「司録(しろく)」という、
判決文を記録する係なんだそうです。

後で聞いた話では泰衣婆堂→琰魔堂(閻魔堂)と順番にお参りするそうですが私たちは覚えていません。



曲水式庭園・無染庭
「曲水式庭園」は室町時代の作庭で、天に向かいそびえる力強い石組が印象的。書院の正面に作庭された無染庭は重森三玲の作品で禅式枯山水庭の定型を採り竜安寺を感じさせます

三尊仏
藩主松平頼重が切腹させた家来三人を祀る。


薬師堂
不動明王(写真はありません)


海女の墓
この場所は少し分からなかったので山門を出て左の道を進むとありました。
約20基の五輪塔並んでいます。
謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存しています。


むかし、天智天皇(在位668~671年)の頃、藤原不比等(ふじわらのふひと、藤原鎌足の息子であり、公明皇后の父親)の妹、白光女は唐の高宗皇帝に望まれ、その妃になりました。


後に不比等が亡父鎌足の供養として奈良に興福寺を建立するにあたって、妹(白光女)は唐に伝わる華原磬、泗浜石、面向不背という三つの宝珠を送りました。


しかし、船が讃岐・志度の沖で難破し、三つの宝珠のうち面向不背の玉が、竜神に奪われてしました。
この玉を取りもどすために藤原不比等は、身分を隠し志度の浦を訪れますが、3年たっても玉を取り返すことが出来ませんでした。


そのうち、不比等は美しい土地の漁師の娘(海女)との間に房前(ふさまえ)という男児をもうけます。


ある日、不比等は自分の身分と都から志度に来た目的を海女に話しました。
不比等から事情を聞いた海女は我が子、房前を藤原家の跡取りにしてほしいと頼んで、竜神から玉を取り返すために死を決意して、海に潜りました。


竜神と戦って玉を奪い返した海女は乳房の下を切り裂き、そこに玉を隠して浮かび上がりました。
そして、傷ついた海女は不比等の胸の中で息絶えました。


不比等は海女の死を悼んで墓を建て、死度(志度)道場と呼ぶ堂を建立し、海女の菩提を弔いました。
そして、面向不背の玉は無事興福寺に納められました。


その後、京の都で藤原家を継いで大臣に出世した海女と不比等の子である房前は母の冥福を祈るため、行基を伴い志度を訪れ、諸堂を再建し、千基の石塔を建てました。
その時、寺号を志度寺に改めたと伝わっています。


浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段/しどうじのだん)などの舞台にもなっています




平賀源内のお墓
戒名は智見霊雄
墓所は浅草橋場(東京都台東区橋場2-22-2 総泉寺でありましたが、寺は移転しましたが
墓所はそのまま旧邸にあります。
墓を造ったのは杉田玄白


ここは生まれ故郷のお墓です。


そしてこの志度寺のすぐそばにも
日本のダビンチと呼ばれる平賀源内(志度出身)のお寺がありました。




平賀源内旧邸・薬草園
住所:香川県さぬき市志度587-1 
☎::087-894-1684
ここは少し離れています、共通券で見学できるのです。


別にご案内します。




志度寺→7.0km→87番:長尾寺

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