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四国八十八ケ所車で遍路の記録/ 第87番長尾寺(ながおじ)静御前剃髪塚


涅槃の道場:第66番~第88番札所:讃岐の国(香川県)
2020年1月19日公開
2020年8月25日一部修正 寺名記入
2020年1月19日公開しその後寺名記入した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年8月16日に再度公開しました。


86番 志度寺から7.0km
第1番から1265.5㎞
第87番長尾寺(ながおじ)
住所:香川県さぬき市長尾西653番地
山号:補陀洛山(ほだらくざん)
院名:観音院(かんおんいん)
宗派:天台宗
創建:伝:天平11年(739)
開基:伝:行基
御本尊:聖観世音菩薩
☎:伝:行基


駐車場:無料、普通20台、大型2台
高松自動車道・さぬき三木ICから県道38号、県道10号を長尾町方面へ。約20分。


交通機関
琴平電鉄長尾線長尾駅から約200m


真言:おん あろりきゃ そわか
御詠歌:あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えて


ここも八栗寺と同様高松藩松平家により再建され屋根には同じく三つ葉葵の紋がある。
(仁王門・本堂)

山  門
鐘楼を兼ねた山門には大きなわら草履が掲げてあった。4メートルあるそうだ。江戸時代の
作らしい。


日本三大名門の1つといわれています。寛文10年(1670年)建立とされ、三つ棟木という珍しい工法です。
86志度寺 87長尾 88大窪寺と山門には大きな草鞋があります。この3つのお寺は上がり3カ寺と言われています。


山門右側の経幢(きょうどう、重文)
屋根がついています。
山門を入る前の左右にあります。
経憧とは、写経を埋めた上に立てるもので、仁王門前に左右一対で立っている。東側のものには「弘安九年五月」、西側のものには「弘安六年七月」の銘があり、元寇の役の犠牲者のために立てられたものと見られています。うっかりすると見落とす。
凝灰岩で造られている。


仁王門裏から


本堂

本堂彫刻

本堂内部


大師堂

静御前剃髪塚
長尾寺は源義経の思い人、静御前は鎌倉から、母の磯禅尼とともに得度した後、髪を埋めたと言われる塚です。
鎌倉で義経の子供を出産しますが、母の磯禅尼がすぐ海に沈められ殺害されてしまいます。


鶴岡八幡宮で源頼朝に舞を命じられ、義経を想う歌を舞、殺害されるところを頼朝の妻がおしとどめ、それなりの金品をもたせ京に帰した後、行方不明となっていたのですが。ここで得度したのですね。



 長尾寺は、天平10年(738年)行基がこの地を巡錫中に道端の楊柳で聖観世音菩薩を刻み、堂宇を建立して安置したのが始まりとされています。
後に弘法大師が唐に渡る前、この寺で護摩秘法を修め、人々に護摩符を授けました。
これが毎年正月、ここ長尾寺で行われている「福奪い」の始まりとされています。
唐から帰国した弘法大師は、入唐の大願成就を感謝して、大日経の一字一石の供養塔を建立したといいます。


 天長2年(825年)に伽藍が整備され、永仁6年(1298年)には伏見天皇(在位1287~1298年)の勅により開扉法要がなされました。
その後、兵火により堂宇は焼失しましたが、慶長年間(1596~1615年)に、領主・生駒一正の援助により再建し、藩主・松平頼重が復旧しました。


 天和元年(1681年)に真言宗から天台宗に改宗されました。







長尾寺を後に結願寺 88番大窪寺に向かいます。


ここで寄り道しました。


遍路交流サロン
大窪寺にいく途中にありました。
資料展示室には往来手形、曼荼羅、納札が展示されていました。

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