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京都  三十三間堂 (蓮華王院本堂)

三十三間堂 (蓮華王院本堂)
住所:京都市東山区三十三間堂廻町657
本尊:千手観音菩薩坐像
創建:平安後期の1164年
電話:075ー561ー0467
駐車場:あり



ここは、単眼鏡を使用すると、後方の千手観音も見ることが出来ます。
許可を得てからにしてください。

向かい側が智積院です。





庭園もよく整備さて綺麗です





一般的に三十三間堂と呼ばれますが、三十三間堂というお寺があるのではありません。正式には「蓮華王院本堂」と言い、同じく京都市東山区にある天台宗妙法院というお寺の境外仏堂となっています。
三十三間堂という名前は、この建物が桁行三十三間の周囲に一間の庇がめぐらされている、つまり「三十三間四面」の建物であるということに由来します。この「間」は柱の間の数をあらわす言葉で、33という数字は「法華経」などに観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説に関係する数字でもあるのです。


もともと三十三間堂があった場所には、後白河法皇が離宮として建てた法住寺殿というお寺がありました。離宮だったこともあって広い境内を持っていたのですが、この境内の一角に1165年、本堂が造られました。これが蓮華王院本堂です。蓮華王院という名前は千手観音の別称が「蓮華王」であるところから来ています。
しかし1249年、その蓮華押院本堂は火災により焼失し、1266年に本堂のみが再建されました。これが現在の三十三間堂です。当時は外装が朱塗りで、内部も極彩色に飾られていたそうです。


桃山時代、豊臣秀吉が実権を握ると、その権勢を誇示するために北隣に大仏殿方広寺が造られ、三十三間堂も取り込んで土塀が築かれました(太閤塀)。現存しています。そしてお堂の修復なども行われたのです。


三十三間堂の仏像の数であるが、最も多い千手観音像が1001体、守護像が28体、風神・雷神像、そして本尊「千手観音菩薩坐像」で合計1032体もあるのです。


三十三間堂にある1001体の千手観音立像は、全て同時期に造られたものではないのです。もちろん三十三間堂が造られた段階で仏像はできていたのですが、1249年3月23日
飛び火でお堂、仏像も炎上してしまいました。このときに124体が救出されました。これが「長寛仏」「創建仏」と言われる平安時代のものです。


その後、鎌倉時代になり、失われた仏像のが再び造られました。こちらを「再興仏」と言います。これらには作者名の記載がされているものがあります、それらの資料から見ると湛慶や康円ら慶派の作品、院派の作品、円派の作品があることがわかります。


三十三間堂の仏像を調査した結果、現在あるもののうち124体が長寛仏、876体が再興仏、残り1体は室町時代のものであるとの推定がなされています。いずれにしても多くの仏師たちが1001体の仏像を作るために力を尽くしたことが伺えます。
この三十三間堂を造った後白河法皇はもちろんですが、平清盛が私財と投じて完成したのです。


本尊の千手観音坐像の両脇に配置されているのが千手観音立像です。これらは等身大で、千手観音坐像を中心にしてひな壇が10段あり、各段に50体ずつ配置されます。ですから本尊の右側500、左500、で計1000体が配置されています。残り1体は千手観音坐像の後ろに配置されており、合わせて1001体となります。
千手観音像は台に臍を固定されています。木製であるため時折腕が落ちたりしますが、そのたび修理するのだそうです。
これら十一面千手観音像は,化物という小仏を頭上においています。
又手には持物を持っています。


国宝である本尊は千手観音菩薩坐像です。
千手観音坐像は像本体の高さが334.8センチ、台座、光背などを含めると7メートルを超える大きさです。台座心棒に墨書があり、湛慶が中心となり、康円と康清が補佐して1251年から1254年までかけて造立したことが分かっています。湛慶はこの時82歳で、2年後に亡くなっているので、まさに人生をかけた仏像と言えるのではないでしょうか。


檜の寄木造で作られ、玉眼、台座、光背、天蓋まで一具であるという点でも貴重な仏像です。顔立ちも非常に端正でありながら威厳ももち、品格を感じさせる顔となっています。この前に立ち止まり(後ろに下がり通路を開けること)眺めるといいですよ。


千手観音立像は顔が11、手が42本ある仏像です。1本の手で25の世界を救うと言われており、合掌している手を除く40本で1000の世界を救うといわれています。また、蕪城には11個の化仏があり、正式な呼び名は11面千手観音菩薩です。
2手は合掌していますが、後の40手はそれぞれ持物(仏様の法力を表します)を持ってるのです。ですので仏像の中では最も複雑な形です。これは手間のかかる仕事です。
これらは一木では当然できないので腕は別に製作されるのです。腕と手首は寄せ木本体への取り付けは組み合わせ膠や釘打ちで制作してあるようです。長年の劣化により自然の落下するものが出ます。


2018年度に国宝指定となりました。寄木造のものと割矧ぎ造のものの2種類があり、全部に番号が振られています。
ちなみに千手観音坐像の作者である湛慶の名前のあるものは9体あるのですが、すべて最前列に配置されています。ぜひ見てください。


また、千手観音立像は、そのうちの5体が東京、京都、奈良にある国立博物館に寄託されていたのですが、2018年10月からお寺に戻っています。当面の間は1001体がすべてそろった状態で見ることができます。


ところで、仏師で僧侶でもある西村公朝氏によると、この千手観音立像は修理をするため、美術院の人たちが毎日コツコツ欠落した腕、指などを彫刻し金箔を張り、古色をつけ復元したのです。それぞれ製作年代に合わせて造られたようです。わざわざ古色をつけるなんてすごすぎますね。


二十八部衆像
彫刻でかつ中世までさかのぼる作であり、この様な遺例は少ないと思います。三十三間堂の像はその最古のものです。
二十八部衆というのは、千手観音の眷属のことですが、 東西南北と上下に各四部ずつ、北東、北西、東南、西南に各一部ずつで、合計28種類となります。全て国宝に指定されています。1249年の火事で救出されたと言われますが、現在のものは様式などから鎌倉時代のものと推定されています。


二十八部衆像そのものがあるお寺はそれなりにあるのですが、すべてが現存しているお寺はそう多くありません。ところが、三十三間堂にはすべてが現存しています。同じく京都にある清水寺本堂内々陣のものとならび、代表的な二十八部衆像とされています。有名な四天王像もこの中の種類に含まれます。


2018年7月に鎌倉時代の古記録などに基づき、この二十八部衆像と風神雷神像の配置および二十八部衆像の名前に変更が行われ、現在は創建当時のものとされる配置になっています。


風神雷神に 28部衆ではありません。
風神雷神図(建仁寺所蔵・実物は京都国立博物館にある)しかし、もともと建仁寺の所蔵物ではなく塔頭(妙光寺)から寺の修復のお礼として譲り受けられたものです。
有名な俵谷宗達、桃山時代を代表する自由闊達・豪華絢爛の屏風を連想します。譲り受けたお寺にも複製画があります。これについては後日記事にします。予約して拝観してきました。


なお風神雷神像は多くの寺に現存しています。
実はあの屏風のモデルになったと言われるのが三十三間堂の風神雷神像で、日本では最古の風神雷神の彫像とされています。鎌倉時代の作造とされています。


風神と雷神は先ほど出てきた二十八部衆に降伏したとされており、位置づけとしては二十八部衆の家来ということになります。風袋と太鼓を持ち、その顔つきやポーズなどはよく知られています。


千手観音像よりも手前に配置されているのが、二十八部衆像、私たちが最も身近に見ることが出来るのです、


二十八部衆像をここで1っ体ずつ書いてみます。
画像については後日許可があれば掲載します。


迦楼羅王(かるらおう)
二十八部衆の中で最も有名なのはこの迦楼羅王ではないでしょうか。獰猛(どうもう)な鳥が神格化した表しています。伝説の巨大な鳥・金翅鳥(こんしちょう)とも言われます。顔は鳥の姿で羽もあり翼は開いています。興福寺は羽はなかったような気がします。本当に手に笛を持ち指もちゃん動いているように見えるのが不思議です。右足で曲の調子をとり、わずかに足先を上げているが本当に笛を吹いているような躍動感があります。
これは、私は一番お気に入りです。


那羅延堅固王(ならえんけんごおう)
もともとはヒンズー教のビシュヌ神で力自慢の神様でした。仏像の高さは168cm、一般的には密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし)と2体になって仁王様と呼ばれお寺の外で、外からくる敵の侵入を守る役目をしています。口を開く姿はお寺では阿形像と呼ばれ親しまれています。口を閉じているのが吽形です。


密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし)
那羅延堅固王と対をなす口を閉じる吽形像。煩悩を打ち砕くための金剛杵という武器を持って仏教を守る守護神です。別名・執金剛神と呼ばれます。仏像の高さは163cm
です。


東方天(とうほうてん)
これは、別名は持国天と言います。四天王の一人です。四天王は東西南北それぞれの方角を守っています。持国天は東の方角を守ります。東方天はその名の通り、東の方角を守るる天部ということで持国天がその役目を担っています。像高は166cmで、どしっとした姿で敵を威嚇するようなポーズをしています。


毘楼勒叉天(びるろくしゃてん)
こちらも難しい名前をしていますが別名は「増長天」。四天王のひとりで南の方角をまもる役目をしています。像高は164cmです。もともとはインド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられたそうです。


毘楼博叉天(びるばくしゃてん)
毘楼博叉天(びるばくしゃてん)は別名「広目天」。先端が3つに分かれた三叉戟(さんさげき)という武器をもっています。額をよくみると第三の目をもっていることがわかります。この第三の目は天空からくる敵を監視する役目です。


毘沙門天(びしゃもんてん)
この像は有名ですね。四天王のひとりで北方をまもります。四天王に所属している時の名前は「多聞天」です。財宝や福徳を招く仏様としても信仰されます。左手に宝塔をもつ姿をしており比較的、静かな姿で描かれます。像高は160cmです。


大梵天(だいぼんてん)
もともとはヒンズー教のブラフマーを神格化した仏さま。後述する帝釈天とペアを組んでお釈迦さまをまもる存在。お釈迦さまの教えを広げるなかでとても重要な役割を果たしたとされます。像高は169cmで、帝釈天と同じく気品を感じる貴婦人のような姿をしていますが帝釈天に比べるとやや男性的な印象が強い仏さまです。(身長も高いですしね)


帝釈天(たいしゃくてん)
高貴な貴婦人のような姿をしている帝釈天ですが、実は戦いがめちゃくちゃ強い戦闘の神様なのです。興福寺の国宝としても有名な「阿修羅」間の像の阿修羅は少年の姿で釈迦に説教され改心悟りを開いた姿です。それより以前は常に戦い合っていたそうです。早くから仏教に取り入れられて梵天とペアになって釈迦如来につかえることが多いです。像高は153cmです。


畢婆迦羅王(ひばからおう)
薬師如来のけらいで十二神将のうちの一人。“力強さもあるけど、対話で解決しようとするような冷静な一面を見せるような姿に感じます。像高は165cmです。


五部浄(ごぶじょう)
上天下界を支配する仏であって、礼法や治法などをつかさどる仏です。2つの剣をもって敵に立ちはだかる姿。


沙羯羅竜王(さからりゅうおう)
インドの神話に登場してくるヘビを神格化させた仏さまで、頭のうえに5匹のヘビをのせメデューサのような姿をしています。さらに左手には一匹のヘビを握っています。ヘビ=竜と考えられており、沙羯羅王も八大龍王のひとりです。


阿修羅王(あしゅらおう)
興福寺の阿修羅像は仏像界のなかではとりわけ有名です。しかしこの三十三間堂の阿修羅を見ると少し様子が違います。実はもともと阿修羅は戦いの神様。とても怖い顔です。インドでは帝釈天と絶えず戦っていた悪神でした。その後、仏教の力によって戦いの神様から仏教をまもる神様として改心します。本来戦いの神様である阿修羅は、このように武闘派の姿で表現されることが多いのです。興福寺の阿修羅像は物憂げな少年のような表情が人々の心をひきつけています。お釈迦さんの説法を聞き童心に帰ってしまったのです。それで戦う筋肉もなくなりました。


乾闥婆王(けんだつばおう)
仏教では帝釈天につかえるという乾闥婆王(けんだつばおう)は、なんとお酒をまもる神様。しかも空中で音楽を奏でているそうです。神々がたしなむお酒は人々の治癒(ちゆ)の役目もはたす大事な医療の薬。乾闥婆王は薬をまもる神ともいえます。その影響からか胎児や小さな子どもをまもる神様としても信仰されるようになります。像高は159cm。本来は右手に法輪、左手に経典を持ちますが現在は当初の経典は失われています。


摩侯羅王(まごらおう)
琵琶を持つ姿が素晴らしい。ヘビの首と人間の身体をもつ仏さまとされることもありますが三十三間堂の摩侯羅王は5つの眼(普通の目に位置に、上下の四つの目と額の縦になった目)を持ち遠方を見ているような目、足元を見つめる目、そして縦の目は空中から攻めてくる敵を見つめています。また頭にヘビを巻きつけるというとても珍しい姿をしています。


金大王(こんだいおう)
悪いことをもたらすとされる敵をやっつけるため三鈷杵という仏教ならではの武器をもっています。八大夜叉の、宝顕夜叉(ほうけんやしゃ)という別名をもっています。金大王という名前をもつのはこの三十三間堂だけと言われています。


満仙人(まんせんにん)
鼻が高く、天狗のような、河童のようなちょっと仏教の仏さまとはいえない顔を持っています。独鈷杵という武器と三叉の槍をもって武闘派の姿をしています。像高は161cmです。


金毘羅王(こんぴらおう)
別名は「宮毘羅(くびら)」。宮毘羅(くびら)といえば薬師如来につかえる十二神将のひとりです。ガードマンの役割をしますが、もともとはガンジス川にすんでいるワニを神格化した水神です。


満善車王(まんぜんしゃおう)
右手にハンマー(槌)左手にヘビを持つ、一体なにをしようとしている姿なのか不思議な天部。実際、観音菩薩の親族であると言われていますが謎多い仏さま。インドの竜王の一種と考えられています。


金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)
仏教において毒蛇を食べるという存在は孔雀であり、その孔雀が神格化した姿。元は綺麗な孔雀ですが、武闘派の天部の姿で現されます。密教では孔雀明王という菩薩顔の明王像に変身します。


大弁功徳天(だいべんくどくてん)
同じ二十八部衆の中にいる婆数仙と共に千手観音の脇侍として必ず登場する幸福をもたらす神様。女性の仏さまとして仏教では吉祥天として取り入れられています。大弁功徳天単体としてはあまり有名ではありませんが、とても美しい仏さまです。


神母天王(じんもてんおう)
両手で鏡鈸(にょうばち)という小さなシンバルのようなものを叩いている姿で現されます。このシンバルはお祀りでもよくつかわれます。(ねぶた祭)別名、鬼子母神(きしもじん)、訶梨帝母(かりていも)と言われており、こちらの名前のほうが仏像を好きな人からすると有名だったりしますが、もともとは子供をつかまえては食べていたという恐ろしい存在でしたがお釈迦さまが鬼子母神の子供を隠したことで、子を亡くした親と同じ苦しみを味わい、改心して仏教の守護神となったと言われています。


散脂大将(さんしたいしょう)
鬼子母神の子供(夫という説もあります)で、大弁功徳天(吉祥天)のお兄さんである仏像です。右手に三叉戟を持ち、左手に宝珠を持って相手を威嚇する力強い姿をしています。兄妹である吉祥天と一緒に登場することが多く、奈良時代のころから人々に信仰されていたようです。


難陀龍王(なんだりゅうおう)
八大龍王のひとりで千手観音の眷属として二十八部衆にも加わります。ヘビを意味する「ナーガ」が語源であり中国では竜王と言われます。三十三間堂の難陀竜王はヘビを肩にかついで金管楽器の吹き鳴らす奏者のようなめずらしい姿で立体的な表現をしているのが印象的です。水の神様としての信仰も受けます。


摩醯首羅王(まけいしゅらおう)
相手をイカクしているというよりも自分がびっくりしてしまっているような表情をしている。元々はヒンドゥー教の最高の神であるシヴァ神が仏教に取り入れられた姿をしているとても偉い仏さま。大自在天ともいいます。像高は160cmほどになります。

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