ほんわか人生の旅

全国各地の観光 古典文学 映画観賞 健康

奈良県 十輪院 石厨子

2020年9月29日公開した記事ですが一部
記事の訂正をして2021年9月20日リライトしました。
十輪院
住所:奈良市十輪院町27  ☎0742-26-6635
山号:雨宝山
宗派:真言宗醍醐派
創建:(伝)弘安6年(1283年)
開基:(伝)朝野魚養、元正天皇(勅願)
本尊:地蔵菩薩
☎0742-26-6635


拝観料:400円
駐車場:15台  門前 無料


元正天皇(715-724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれ、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基とも伝えられている。


毎月8のつく日だけ開扉される護摩堂が特別に公開され、内陣の不動明王と二童子像が拝観出来る。



本堂(国宝)鎌倉時代中期、桁行五間 梁間四間、寄棟造、本瓦葺
この建物は内部にある石仏龕(せきぶつがん)を拝むための礼堂(らいどう)として建立された。近世には灌頂堂とも呼ばれていた。 正面の間口を広縁にし、蔀戸(しとみど)を用いられている。


中央 地蔵菩薩像
右側 釈迦如来像
左側 弥勒菩薩像


石の厨子(石仏龕(せきぶつがん))に彫られた仏様がおられるのです。
石仏龕(せきぶつがん)は日本では珍しいとのこと。
パンフレットより。


不動明王と二童子像
不動明王の向かって右、不動明王を見上げながら合掌する矜羯羅童子(こんがらどうじ)
向かって左、勝気そうな制多迦童子(せいたかどうじ)


わが国では非常にめずらしい石仏です。龕(がん)とは仏像を納める厨子を意味します。すべて花崗岩の切石を用いて築造されています。龕中央に本尊地蔵菩薩、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表しています。 


そのほか、仁王、聖観音、不動明王、十王、四天王、五輪塔、あるいは観音、勢至菩薩の種子(しゅじ=シンボルとなる文字)などが地蔵菩薩の周りに巡らされ、極楽往生を願う地蔵世界を具現しています。


龕前には死者の身骨や棺を安置するための引導石が置かれています。 また龕の上部、左右には北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿の星座を梵字で陰刻し、天災消除、息災延命を願う現世利益の信仰も窺い知ることができます。
 
引導石の左右には南都仏教に伝統的な「金光明最勝王経」「妙法連華経」の経幢が立てられています。


この石仏龕は当時の南都仏教の教義を基盤に民間信仰の影響を受けて製作されたもので、めずらしい構成を示しています。大陸的な印象を受ける技法で彫刻されていることも注目されます。


 十三重の石塔 
鎌倉時代の十三重石塔。初層が極端に大きいのが特徴だそうです。
残念ですが上部の三層が失われているそうです。


         



不動明王像
(鎌倉時代中期、花崗岩、高さ 203Cm)
板状の石の前面に不動明王の立像を厚肉彫りする。火焔光背は、朱・黄土で彩色されたあとが残る。右手に利剣、左手に羂索を持っています。



合掌菩薩立像
(鎌倉時代中期、花崗岩、高さ 約200Cm)
不動明王と同じく、長方形の花崗岩の前面に観音菩薩像を刻んだもので、お顔は半肉彫り、下にいくほど彫りは浅くなっていることがわかります。



愛染曼荼羅石
(安山岩、高さ 130Cm 幅 150Cm)
表面を六段に分け、五輪塔を数多く線刻する。下二段中央に愛染明王の種子 「ウーン」を薬研彫する「興福寺曼荼羅石」の様子。一段目左から、北円堂・講堂・食堂。二段目が中金堂。三段目が西金堂・東金堂。四段目が南円堂・中門と南大門・五重塔が描かれています。




魚養塚
お堂に収まっています。
十輪院にある「興福寺曼荼羅石」。鎌倉時代のもので、奈良市指定文化財となっています。興福寺の諸仏と五重塔を刻んだ「画像石」で、曼荼羅としては鎌倉・室町時代に多数作られましたが、石造物としては唯一の遺構となるのだそうです

×

非ログインユーザーとして返信する