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奈良県  白毫寺  びょくごうじ 閻魔王座像

白毫寺  びょくごうじ
住所:奈良市白毫寺町392山号:高円山
宗派:真言宗律宗
創建;霊亀元年(715年) 
開基:勘荘 
本尊:阿弥陀如来坐像
☎0742-26-3392
駐車場:あり
交通機関
近鉄奈良駅からバスで12分(市内循環バス)
高畑町下車から徒歩で20分


 白毫寺は天智天皇の第七皇子である志貴皇子の山荘の跡に建てられたと伝えられています。平安遷都にともない寺も寂れたようであるが、鎌倉時代になり西大寺中興の祖である叡尊によって再興されました。


その後、叡尊の弟子であった道照が中国から持ち帰った「宋版一切経」を経蔵に収め、法要をあげて以来、この寺は「一切経寺」とも呼ばれるようになり、多くの人々から親しまれるようになりました。


室町時代には兵火により全山焼失したが、現存の仏像はその兵火から守られ焼失を免れたといわれている。後、寛永年間(1624~44年)に興福寺の空慶上人によって再興され現在に至っています。


なお寺名になっている「白毫」というのは仏の眉間にあって光明を発したとされる白い毛のことを指します。



山門」から奥の石段の両側には土塀に沿って更に萩が密生して植えられており、参道の両側を萩が埋めつくし、石段が狭くなっている場所もあります。境内ガイドでは「萩の階段」と書かれているのがこの場所です。
この萩が土塀とよく調和がとれており、独特の風情があります。




石段を上がり切ると正面に「本堂」が見える。「本堂」は南向きに建てられています。
この「本堂」は当寺の再興時に建てられたものといわれている。中世以降に再建した本堂は奈良時代以来の伝統を引き継いだ様式の建物が多いとされているが、この「本堂」もその形式をとっているようです。


「本堂」の北側やや奥まった場所に「御影堂」が建てられているが、建物としてはあまり目立たない。


内部撮影できません。
「本堂」の北側に「宝蔵」があり、白毫寺所有の大部分の仏像がこの中に保管されていますので是非拝見して下さい。


宝蔵」に入ると、正面に見えるのが本尊の「阿弥陀如来坐像」です。
伏し目がちで、もの静かな温顔、穏やかな肉取りの体部、浅い彫り口の衣文など、品のよい姿です。
桧材を用い、平安末期から鎌倉時代初めにかけて造られたようです。
定朝(じょうちょう)様式を踏襲した桧の寄木造で漆箔が施されています。
桧材を用い、平安末期から鎌倉時代にかけて造られたものと考えられています。


 他に、目を引く仏像としては「地蔵菩薩立像」、「文殊菩薩坐像」、「閻魔王坐像」などがあります。「文殊菩薩座像」は平安時代の作とされ、もと多宝塔の本尊で、白毫寺では最も古い仏像といわれている。「閻魔王坐像」は鎌倉時代の作で、もと閻魔堂の本尊といわれており、鋭い眼光と怒りの形相は迫真性に満ちており見る者を圧倒されます。


文殊菩薩座像
もと多宝塔の本尊とされる白毫寺最古の仏像です。
高く結った髻の形、両脚部の量感のある表現や荒々しい衣文表現などには平安初期彫刻の特徴をよく伝えており、9世紀にさかのぼる作とみられる。


多宝塔(現存せず)は室町時代の建物で、それ以前の伝来は不明であり、本来の像名も不明である(寺伝では文殊菩薩)
右手は第2・3指を立て、左手は持物をとる形をするが、両手首から先は後補で、本来の印相は不明である。


閻魔王坐像(宝蔵庫)
鎌倉時代の作で、もと閻魔堂の本尊といわれています。
鋭い眼光と怒りの形相は迫真性に満ちており見る者を圧倒します。
寄木造の彩色像です
玉眼の眼は鋭く、口をカッと開いて叱咤し、迫真性に富んだ憤怒の形相は、勧善懲悪の教えを思わせます。
この閻魔王坐像がこの寺の見所です。


木造地蔵菩薩立像
鎌倉時代後期に造られた地蔵菩薩像の秀作で、施された彩色も鮮やかに残っています。
慈願と温容に満ち、錫杖と宝珠を持って立ち、当初の光背・台座まで完備しています。
桧材を用いた寄木造で、彩色の剥がれも少なく、切金もかなり残っています。


「木造興正菩薩坐像」 
白毫寺を中興した興正菩薩・叡尊の肖像彫刻です。
西大寺愛染堂の叡尊像と似ており、叡尊晩年の姿を見事にとらえています。



「木造太山王坐像」 
閻魔王とともに冥界の十王の一人で、閻魔王と一対の作
鎌倉時代の像で、体内に残された墨書により運慶の孫・康円が正元元年(1259)の作と判明しています
明応6年(1497)に修理を受けており、冠・両袖・両脚部などに後補があります


「木造司命半跏像」・「司録半跏像」 
ともに閻魔王の眷属で、康円一派の作です
閻魔王像、太山王像とともに、旧閻魔堂に安置されていたそうです


「石仏の道」の南端から更に南側の場所に「多宝塔跡」がある。
「多宝塔跡」の傍に「白毫寺椿」が植えられています。

「白毫寺椿」は椿としてはかなりの大木で、この木に咲く椿の花には白いぼかしが一点見られ、これが仏の額にある白毫を思わせることから「白毫寺椿」の名前がつけられたといわれているのです。


「宝蔵」の東側の山手から南の方向に向かって小道がついており、その道に沿って小さい石仏が置かれている。この小道は「石仏の道」と呼ばれています。


石仏の道」の南端の傍に「不動明王」が祀られている。小さい不動明王の石像は右寄りの場所に見ることができるが、中央に見える白い大きな像は不動明王なのかな、見る限り不動明王には見えない。これは私だけだろうか。

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