滋賀県 龍潭寺 石田三成の胸像
龍潭寺
住所:滋賀県彦根市古沢町1104
宗派:臨済宗妙心寺派
開山:天平5年(734),行基により遠州国(静岡県)引佐郡井伊谷郷に開かれたお寺、慶弔5年(1600年)<関ヶ原の戦い後>,井伊直政が佐和山城主となった際に移設された,井伊家とゆかりのもつ臨済宗妙心寺派の名刹。
開基:行基
本尊:達磨大師
☎0749-22-2777
駐車場:無料
拝観料:400円
平成26年3月28日(金)
山門
通称:「だるまの寺」4月1日.2日だるま祭り
大小3,000個のだるまを祀り,開運を祈願する多くの参拝者で賑わう。
ここには沢山城ハイキングコースがあった。
石田三成居城
中門
中門屋根瓦 龍がいるよ そして菊の紋章
佐和山城の陣鐘があります
大きな達磨
黄金の達磨
松尾芭蕉門下の森川許六(きょりく )の描いたとされるふすま絵が,山水・人物・花鳥・鳥獣などを画題として多数描かれており,彦根市指定の文化財になっている。
三千個以上あるらしい
三成の屋敷で使われていた
桃山時代の作 杉戸絵 作者不明
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに勝利した東軍・徳川家康の家臣・井伊直政が佐和山城を与えられたのを機に、井伊谷龍潭寺第5代の昊天(こうてん)禅師によって佐和山の西の麓に移建開山された
慶長7年(1602年)から建設が開始され、諸堂が完成したのは1617年のこと。方丈などを建てるための木材は、遠く長野県から運んできたといわれている。
龍潭寺庭園
方丈南庭は「ふだらくの庭」と呼ばれる、枯山水の名庭だ。江戸初期に作られたもので、一面に敷き詰められ白砂と、その上に配置された大小48個の石などによって、観音菩薩のいる補陀洛山(ふだらくさん)の一帯をかたどっている。
白砂は大海、中央の島が補陀洛山、杉垣は水平線、中央の大きな石が観音の立ち姿を表している。龍潭寺の本尊である楊柳観世音菩薩は、かつては寺の者でも60年に一度しか見ることができなかったため、「ふだらくの庭」に立つ観音の姿を通して、本尊へ思いを馳せていたのではないかと思われる。
最初に作られたころは今よりも石の数が少なく、元禄年間の頃に石が増やされ、現在のような形になったようだ
鶴亀蓬莱庭園。画面奥が国内有数のものといわれる直下型の枯れ滝「龍門瀑」だ。佐和山の景色と庭園の緑が一体化して見えるように作られている。
書院東庭の「蓬莱庭園」も江戸初期の作で、昊天和尚と江戸時代の大名で建築・作庭に優れた手腕を発揮した小堀遠州が協力して作った庭と伝えられている。
小堀遠州は井伊谷の龍潭寺の庭園を作っており、その縁でこの庭の作庭に力を貸している。佐和山の峰を借景にした池泉鑑賞式の庭園で、仏教世界の世界地図を表現している。池の左側に配された岩島が亀を、右の木が鶴を表していることから「鶴亀蓬莱庭園」と称される。
また書院の北庭は、造園学を学ぶ僧たちが修行するための庭として残っている。龍潭寺は「花の寺」としても広く親しまれており、一説には境内に3000種の植物があるともいわれ、四季折々どの時期にも何かの花を楽しめるほどだ。樹齢400年の沙羅樹(ナツツバキ)や栂(つが)、山桃などのほか、桜や白木蓮、さつきなど、たくさんの緑に包まれている。
龍潭寺にたくさんの植物があるのは造園を学ぶ上で植物についての知識が必要だったのはもちろんだが、北の植物も南の植物も育つという彦根の気候や、全国各地からやってきた学僧が地元の植物を植えたのも理由のひとつだと考えられる。
ここを右手に進むと、登山口 佐和山城跡
石田三成像 山門右手にある
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