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滋賀県 清涼寺(せいりょうじ)石田三成ゆかりの寺

清涼寺(せいりょうじ)
住所:滋賀県彦根市古沢町1100   ☎0749-22-2776
山号:祥壽山 
宗派:曹洞宗 
開山:愚明禅師
開基:井伊直政 
開創:1602年 
本尊:釈迦牟尼
井伊家墓所:国指定史跡
平成26年3月28日(金)
駐車場:あり


三成の重臣 嶋左近の屋敷と伝わる

嘉永五年に再建されたという本殿。
入り口が左に寄った左右非対称のつくりになっているのが特徴です


寺宝である歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が保管されています。
七不思議の一つ「ひとりでに鳴る太鼓」は本堂の右側にあります。


1604年第2代直勝は彦根城を築城し、第3代直孝の時に35万石の
譜代大名となった。
井伊家からは井伊直弼を含めて6度の大老職を務めている。
なお井伊直弼は清涼寺で坐禅修行を行っている。



彦根の町は、関ヶ原の戦い直後に徳川四天王の一人・井伊直政が移封され、彦根城を中心として発展した。それ以前は、現在の町を見下ろす位置に佐和山城があり石田三成が統治していた。


佐和山城は関ヶ原の戦い直後に落城し、その後の彦根城建設のために石垣の多くも持ち去られ、また江戸幕府にとっての逆賊である石田三成の居城として歴史の舞台からは完全に抹殺された。その佐和山城趾のふもとにあるのが、清涼寺である。


この寺には“七不思議”と呼ばれる怪現象が伝えられている。まず、この土地の前の所有者であった石田家重臣・嶋左近にまつわる不思議が4つ。


【左近の南天】は、嶋左近が愛でた南天の木が残っており、それに触れると腹痛を起こす。


【壁の月】は、左近の居間を寺の方丈としたが、その壁に月形の影が浮かび出てきて、壁を塗り替えても浮き出てくる。


【唸り門】は左近邸の表門を山門としたが、大晦日になると風もないのに低い唸り声のような音がしたらしい(現物は江戸時代に焼失)

[洗濯井戸]
裏山の井伊家代々の墓所へ。
その坂道の途中にあるのが七不思議の「晒しの井戸」。
島左近が茶の湯に使っていたと伝わる井戸で、この水に汚れ物を晒しておくと
わずか一夜で真っ白になったという伝説があります。


残りの3つはかなり奇怪な話である。


関ヶ原の戦いの後、井伊家の家臣が佐和山城での戦利品を虫干ししていると、佐和山の方角から黒雲が湧き起こり、戦利品が風で持ち去られたという


佐和山の黒雲
本堂前のタブの木は佐和山城築城以前からある樹齢数百年のもので、夜な夜な女性に変化しては参詣者を驚かせたという


木娘
墓地の一角にある池で、佐和山城落城の折りに多くの人の血が流れ込み、それ以来夕刻になると水面に血みどろの女性の顔が浮かび上がるという


血の池
言い伝えを検証すると、この七不思議はすべて関ヶ原の戦いに密接に関係する。実際、寺の境内は、島左近の住居があった場所とされており、寺自体も初代藩主井伊直政が関ヶ原の戦いで受けた鉄砲傷が元で亡くなり、その菩提を弔うために建立されたものである。


そしてこの清涼寺が藩主井伊家の菩提寺として、多数の人間の血が流されたばかりの1602年に建立された事実に、大きな謎が隠されているように感じる。

禅堂まえにあるタブの木:樹齢500年といわれる

女人の姿にかわる?

庫裡


禅堂


彦根城主 井伊家の墓


墓所から清涼寺の裏側を見下ろすと、

七不思議のひとつ「壁の月」のある方丈が確認できました。
(写真はあリません)


この方丈は島左近の屋敷の居間を移築したものと言われていますが、
何度塗りなおしても壁に月形が浮かび上がるのだそうです。
左近の兜の前立ては月形だったという説もあります。


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