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伊豆半島の旅⑥ 堂ヶ島天窓洞・白岩山岸壁洞窟 壁画

堂ヶ島  
青の洞窟 堂ヶ島天窓洞
平成25年9月28日(土)
住所:静岡県賀茂郡西伊豆町
伊豆急下田駅から東海バス堂ヶ島行きで1時間、堂ヶ島下車すぐで乗り場につきます。
駐車場:あり 有料 お土産購入で無料
遊覧船は大人1100円

蛇島と言います。島の模様が蛇の鱗に似ています・


海蝕洞(波の侵食作用でできた洞窟)の天井が崩れて穴(天窓)が空いたのが天窓洞である。天窓の周囲には遊歩道があり上から穴を眺められる。また、遊覧船で海から洞窟内に入ることもできる。1935年(昭和10年)に国の天然記念物に指定された。
天井から降り注ぐ幻想的な光は、圧巻の一言です。


三四郎島
三四郎島は象島(伝兵衛島)、中ノ島、沖ノ瀬島、高島の4つからなる島の総称。トンボロ現象が見られ、干潮時には砂州ができるため歩いて渡ることができる。この砂州を地元住民は瀬浜と呼ぶ。三四郎島には悲恋伝説が残っています。

ここは像と言います 左を向いています。しっぽは干潮になると現れます。


源氏再興の昔、”伊豆の三四郎”と呼ばれる若武者が、中の島にきびしい平家の追求の目を逃れて隠れ住んでいた。治承4年、源氏の白旗は伊豆の空にひるがえり、頼朝の急使は仁科の豪族瀬尾行信のもとに走った。三四郎に恋心を抱いている行信の一人娘小雪は、出陣の書状を抱きしめ、三四郎のもとに急いだ。しかし、上げ潮の怒濤は凄まじく、小雪はついに波間にその姿を没してしまった。


その悲しいロマンの伝説を秘める三四郎島は、干潮時になると巾30メートルの浜が出来小石の橋で陸地と結ばれ(トンボロ現象)、歩いて渡ることができます。また満潮時には、水面下に隠れてしまいその上を小さな舟が往来することができます。
ここを土地の人は古くから瀬浜と呼び、海静かな春の干潮時は磯遊びの好適地となっている。また、三四郎島の白い岩肌には波千鳥が舞い、夕日はことのほか素晴らしいそうです。


頼朝伝説
西口から入った洞内は幅が狭く光も差し込まないために内部は暗く、洞口から東口に抜ける中間地点付近には、北東方向へ向かう「頼朝穴」または「鎌倉穴」と呼ばれる支洞がある。
言い伝えによればこの支洞は 鎌倉まで通じていると言われ、その昔、追手に追われた源頼朝がこの洞窟に隠れた際、この様子を見ていた蜘蛛が洞窟の入り口に蜘蛛を張ったため、追手の目をくらませることができ、頼朝は難を逃れたといわれています。また、鎌倉宛の密書をしたためた頼朝は、この真っ暗な支洞の奥へ密書を投げ入れたと伝えられている。
昭和10年の天然記念物調査報告書でも、「此穴は眞暗にして未だ奥を確認されていない極めたるものなく」と記されていたが、1984年(昭和59年)4月に静岡大学探検隊が調査を行った結果、支洞入口より39メートルの地点で行き止まりになっていることが確認された。

いよいよ天窓洞へ
天窓と呼ばれる陥没穴は縦横18×13メートルのほぼ楕円形をしており、周囲は48.7メートルもあります。
洞内で最も幅が広いのは天窓付近で中間潮位時で29メートルである。洞窟内部の水深はおおむね5メートルから3メートルだそうです。
堂内でダイビングしているグループがいました。


海面は、本当に綺麗なエメラルド色です。


ダイビングする人々


約20分の船旅でした。


次は 白岩山岸壁洞窟 壁画


白岩山岸壁洞窟 壁画
迷って、港で聞く、狭い路地のすぐ左手。観光地ではないようだ。


沢田船溜の北側、民宿の立ち並ぶなかに、小さな丘を掘り抜いて作られた岩窟がある。
白い火山灰の層に6体のご本尊がほられているのが見ることが出来る。
その壁面中央に本尊金輪仏項尊が鉄線描きで描刻され、刻線には墨が入れられており、円形の光背には朱色が施され、上部に白岩山の文字が刻まれている。その他に地蔵菩薩、思惟相の如意輪観音(全壁画中最も秀れた傑作)、通肩の如意立像、如来形坐像、不動明王立像が描かれている。これらはいずれも流麗な線の美しさと適確な筆力で描かれており、決して凡人の作品ではないことがわかる。


製作年代や作者については、当地には鎌倉時代に連なる口碑、伝説が各所にあることや、手法、その他の特徽より推して、宗画の様式を示した鎌倉時代の作ではないか。この岩窟自体は小さなものであるが、この岩窟があるところは丁度円墳のようになっており、まわりに民宿が立ち並ぶなかにひっそりとした鎌倉時代を偲ぶことが出来る。



次は、不思議な露天風呂
国道を走っていると不思議な露天風呂があったので散策した。


次は、いよいよ恋人岬へ

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