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京都  大原  勝林院  大原寺(たいげんじ)

勝林院  大原寺(たいげんじ)
京都市左京区大原勝林院町187
山号:魚山
宗派:天台宗
本尊:阿弥陀如来
創建:承和2年(856年)
開基:円仁
問答寺・証拠堂・丈六堂
2010.7.16

大原談義に」出向くとき、お供をした熊谷蓮生坊が上人をを守るためナタ(鉈)を法然が見つけて奥の藪に捨てさせた、その時腰を掛けた石です。


順徳天皇大原陵  

天台声明(しょうみょう)の根本道場です。聲明とも言います。

聲明とは、仏教の儀式や法会で僧が経文を朗唱する声楽です。



円仁(えんにん)(慈覚(じかく)大師)が847年に唐(中国)から持ち帰り、比叡山に伝承されていた声明梵唄(しょうみょうぼんばい)・常行三昧(じょうぎょうざんまい)・引声念仏(いんぜいねんぶつ)などを修するため、左大臣源雅信(みなもとのまさのぶ)の子寂源(じゃくげん)が、長和2年(1013)に創建した寺です。



文治2年(1186)、後の天台座主顕真(けんしん)が、後の浄土宗祖法然(ほうねん)を招き、各宗の学僧(天台宗の証真(しょうしん)、三輪宗の明遍(みょうへん)、法相宗の貞慶(じょうけい)等)と専修念仏について論議した「大原問答」の旧跡です。


現本堂
本尊阿弥陀如来座像を安置するは、安永6年(1777)に建立

鐘楼(細部様式から江戸時代前期の建築と推定される)
梵鐘(ぼんしょう)(平安藤原期)国重要文化財

彫刻が綺麗

私はこのような彫刻が大好きです


松竹梅に鶴

本堂廊下の彫刻 とても繊細 作者は不明です

御本尊

石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)(鎌倉期)、国の重要文化財


大原問答(大原談義)
浄土宗を開いた法然上人が天台宗、真言宗、法相宗、華厳宗、禅宗などの学者たち380余人と対決した仏教の大論争です。
各宗の学者たちは、法然上人を12の難問で問い詰めたのです。


承安5年(1175年)、法然上人が43歳のとき他力によって絶対の幸福になられてから京都吉水の草庵ですべての人が救われる他力の仏教を力強く説き始められました。
以来10年、燎原の火の如く 他力の仏教は広まり、多くの人が吉水へ参集するようになります。


その影響力が無視できなくなった他宗派の僧侶たちは、「このまま好きなようにさせておけぬ」と法然上人を呼び出して、仏教の論争で打ち破ろうとしました。
そこで文治2年(1186年)、天台宗は比叡山の(第61世座主)になる顕真が、法然上人に「最近浄土仏教を学んでいるのですが、わからないところがあるので、大原の勝林院にてお尋ねしたい」と申し入れました。


そして、有名なところでは、以下の僧侶たちが結集して法然上人を懲らしめようと参集したのです。


真言宗は東大寺の復興を果たした重源、
法相宗は笠置の解脱貞慶
華厳宗は栂尾の明恵を初めとする日本中の学者380余人、
その他多くの僧侶も入れれば2千人もの人が集まり大原で迎え撃つ準備を整えたのです。
いよいよ問答開始、無理難題を言いますがことごとく、論理で打ち負かします。


以下詳細はインターネッット大原問答に詳細が記されています。
https://true-buddhism.com/history/ohara/
法然上人はすごい人だったことがわかります。

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