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古都  京都  妙法院門跡

妙法院門跡
住所:京都府京都市東山区妙法院前側町447
創建:平安時代初期
開基:最澄
宗派:天台宗 
駐車場:内部に12台位駐車可能です

歴史
妙法院が日本史に登場するのは後白河法皇の時代、在位3年足らずで譲位し、保元3年(1158年)には上皇、嘉応元年(1169年)には出家して法皇となった。この間、後白河上皇は譲位後の居所(院御所)造営を始めた。永暦2年(1161年)からはここを住居とした。院政を行ったのです。妙法院の西側に千体千手観音像を安置する巨大な仏堂(蓮華王院=三十三間堂)が建てられたことはどなたもご存じだと思います。三十三間堂は妙法院の塔頭です。鎌倉時代の妙法院は「綾小路房」「綾小路御所」「綾小路宮」などと呼ばれたことが記録にあります。
現在の京都市東山区祇園町南側あたりに主要な房舎が存在したと思われますが、方広寺大仏に隣接する現在地への移転の時期などについて詳細は分かっていないそうです。


妙法院は青蓮院、三千院とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院です。例によって境内を囲む土塀にも5本の白い線が入り格式の高さを誇っています。
寺内の建物は豪壮な「庫裏」は豊臣秀吉建築で桃山時代のものです。(国宝)内部の梁がすごく太いので驚かされます、ここで千人の食事を作ったのです。建物は3層屋根の最上階は「煙出し」と呼ばれ,煙突にしておくのはもったいない程の雄姿であり,感動しました。

大玄関  唐門
2代将軍徳川秀忠の5女で後水尾天皇中宮の東福門院和子の女院御所を移築されました。


庫裏内部 1枚天井部分のみ許可をいただきました。フラッシュ禁止

普賢堂


大書院
大書院の障壁画(狩野光信)は凄く綺麗でした、色も褪せていなかったです。

宸殿


誰が翻訳したのでしょうね。(表門前の看板の撮影)
宝物館に所蔵の豊臣秀吉関係の遺品、ポルトガル国王の親書。
当時ポルトガルの植民地であった印度ゴアの総督が秀吉に宛てた手紙。
ローマの景色や様々な意匠が文面の周囲にデザインされている。羊皮紙が用いられたこの手紙は,秀吉に対し日本でのキリスト教布教活動の保護を願い出ていることが記されている。この文書には秀吉を国王としています。(朱書きの部分)
他にも多くの展示物がありました。

七卿落ちの看板
幕末(1863年)文久3年薩摩藩、会津藩などの公武合体派が画策した「8・18の政変」で失脚した三条実美ら7卿が長州藩士と西下京都から追放(七卿の都落ち)」の舞台となった場所でもあります。
京都の時代祭りにもこの七卿落ちのシーンがあります。祇園祭、葵祭、時代祭素晴らしいですよ。


寺内から京都タワーを見る


紅葉が綺麗な庭園

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