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鎌倉 光明寺  高倉健さんの墓碑があります

鎌倉   こうみょうじ
鎌倉有数の大伽藍を誇る。七堂伽藍
山門の二階の仏像が綺麗です。
そして海を見れば富士山が、眺望がすごいです。
しかし、これを楽しめるのは、お十夜 
例年10月12日~15日まで行われる念仏法要。現在は植木市や露店なども立つ。
これは後土御門天皇からは「関東総本山」の称号を受け勅願所とされるとともに、お通夜も許諾された。
ちなみに
鎌倉浄土宗は、京都知恩院(浄土宗総本山)・真如寺(お通夜発祥の地)
私たちの参拝したときはちょうど13日でとても賑わっていた。


12.13.14の三日間です。
わたくしたちが行った時ちょうど曇ってきて見えませんでした。残念

住所:鎌倉市材木座6丁目17番
山号:天照山
宗派:浄土宗鎮西派
本尊:阿弥陀如来
創建:鎌倉時代の寛元元年(1243
開基:鎌倉幕府第四代執権 北条経時
開山:第五代執権北条時頼


☎:0467-22-0603
駐車場:駐車場あり
横浜横須賀道路逗子ICよりR134経由、茅ヶ崎方面へ30分


鎌倉有数の大伽藍を誇る。七堂伽藍
北条経時が然阿良忠を招いて開山した。
この時鎌倉4大寺となる(建長寺・円覚寺・遊行寺)
江戸時代も徳川家康や家綱の擁護を受け、学問と修業の中心として栄えた。また皇室との関係も深く、後花園天皇からは山門にある「天照山」の掲額を、後土御門天皇からは、関東における念仏修業根本道場として「関東総本山」の称号を受け、国と国民の平和を祈る「勅願所」となった。
昔は末寺65ケもありました

総 門

山 門
現在の山門は1847年に再建されたもので、高さ約20mの巨大な二重門。一階が和風、二階が中国風の造りになっており、中央に掲げられた「天照山」の扁額は、1436年に後花園天皇より賜ったもの(直筆)。二階には釈迦三尊・四天王・十六羅漢が祀られている。

富士山は見えません


本堂


本堂  (大殿) 国の重用文化財
本堂(重要文化財)-元禄11年(1698年)の建立。入母屋造、銅板棒瓦葺きで、桁行9間、梁間11間。実寸は間口奥行ともに約25メートルの、鎌倉地方では最大級の本堂である。簡素な外観とは異なり、堂内は豪華絢爛。中央には本尊の「阿弥陀三尊像が安置され
ている。
阿弥陀如来座像  写真はありません


鎌倉6大仏の一つです
以下に記しておきます


長谷寺阿弥陀堂


阿弥陀如来坐像
源頼朝が42歳の厄除けに建立「厄除阿弥陀如来」
もとは廃寺となった誓願寺の本尊だったという。


高徳院(鎌倉大仏)
源頼朝の石を受け継いだ侍女稲多局が発起僧浄光が勧進し建立されたと伝えられている。建立場所に選ばれたのは「深沢の里」。
初の大仏は、四条天皇の許しを得た僧浄光が諸国を勧進し、庶民から一人一文の浄財を集めて建立された木製のものだった。


 『吾妻鏡』によれば、1238年(暦仁元年)3月23日、深沢の里で大仏の建立の工事が始まり、1243年(寛元元年)6月16日、良信を導師として大仏と大仏殿の落慶供養が行われている。
しかし、1247年(宝治元年)、木製の大仏は台風で倒潰してしまった。
その後、造られたのが現在の青銅製の大仏。しかし、鎌倉大仏建立の詳しいことは明らかではない。


光明寺(材木座)
大殿・浄光明寺((扇ヶ谷)阿弥陀三尊
木造、像高86.2cm 。温かく穏やかな表情
拝観料なし


如意輪観音坐像
木造、像高71.7cm。如意輪観音は来迎寺と長谷寺のみで貴重
拝観料なし、


浄明寺(扇ヶ谷)
阿弥陀三尊
収蔵庫に保管
中尊の阿弥陀如来像の胎内文書から、1299年(正安元年)、北条久時の発願によって造立されたことが判明している。


宋風の影響が残された鎌倉様式の典型作の一つ。


 中尊の阿弥陀如来像は宝冠阿弥陀で、鎌倉地方独特の装飾技法である士紋が施されている 鎌倉六阿弥陀の一つ
中尊の阿弥陀如来像の胎内文書から、1299年(正安元年)、北条久時の発願によって造立されたことが判明している。
士紋とは
鎌倉地方独特の装飾方法
=土紋装飾とは?=
粘土や漆などを混ぜて型で抜き、刺繍の文様を立体的に表現する鎌倉独特の装飾方法。鎌倉に土紋装飾を施された仏像は七体あるといわれている


 脇侍は観音菩薩・勢至菩薩


 勢至菩薩は鎌倉13仏の一つ
 ※北条久時は 浄光明寺開基北条長時の孫


宝戒寺
聖天堂
秘仏歓喜天像が安置されている・日本最古の仏像だそうです。
歓喜天像が安置されている
その他涅槃図・面観音菩薩
十一面観世音菩薩、十王厨子地蔵菩薩(尊氏公念持仏)や阿弥陀如来が安置されています。


光触寺(十二所)
頬焼阿弥陀
「頬焼阿弥陀縁起」二巻(国重文)は、比企ヶ谷にあった岩蔵寺の阿弥陀如来像の霊験を描いた伝説の絵巻物。
その阿弥陀如来像が現在の本尊
縁起によると、1215年(建保3年)に鎌倉へ下向した運慶が、町局(まちのつぼね)の依頼で彫ったのだといわれている。



三尊五祖の庭園
「三尊五祖来迎の庭」と称する枯山水庭園がある(小堀遠州作)


池泉庭園「記主庭園」と枯山水の二種類の庭園


紀主庭園とハス   
毎年7月には「観蓮会」(有料)が催され、大聖閣で眼前のハスを眺めながら抹茶を味わえる。
ハスは約2000年前の種から発芽した「古代ハス」が記主庭園の池を埋め尽くす。


1年間を費やして再建された八角堂「大聖閣」
記主庭園にあります


北条経時の墓所
鎌倉幕府第四代執権・北条経時の墓所。


かながわの景観50選
光明寺の背後の山は天照山と呼ばれ、本堂右手の道から上ることができる。山の中腹には開山・然阿良忠をはじめとした歴代住職と、開基・北条経時の墓所がある。また、天照山からは由比ヶ浜の海を一望でき、晴れた日には富士山を望むことができる。


内藤家墓所
日向延岡の領主内藤家歴代の墓所で、200基以上の石塔が立つ。


高倉健さんの墓碑があります

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