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岐阜城天守閣 金華山

2021年10月15日記事修正しリライトしました。
岐阜城天守閣
岐阜城は織田信長が「天下布武」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになった城として知られています。また、秀吉の千成ひょうたん発祥の地です。
住所: 岐阜市金華山天守閣18 金華山頂

交通機関
(1)JR岐阜駅(11・12・13番乗り場)または名鉄岐阜駅(4番乗り場)からN系統(長良橋方面)及び市内ループ左回りバス乗車 「岐阜公園・歴史博物館前」下車 徒歩3分


ドライブウエイーで山頂まで行くと展望台があります。


夜景が素晴らしいです。愛の告白にいいですよ。


下山すると休憩所(?ご想像にまかせます))もあります。


しかし近年若いカップルを襲う人も増加し夜間の時間は要注意です。閉鎖されていることもあります。

斎藤道三の旗印

三重塔

首だし

金華山の配置図

ロープウエイ乗り場  JAFで100円引き

ここでお詣り

今日は晴天で天守が美しいです

撮影禁止でした。気が付かず一枚

天主閣の天井です

天主閣からの眺め

高橋英樹です

斎藤道三の兜

この様な井戸は二カ所あります。

麓の庭園


登山道もありますが、健脚の方にはお勧めです。
ヤマガラ(どくへび)いのししいますので単独登山は辞めてください。
ここは複雑なのです。毎日駆け足でにぼっていく人はいるみたいです。


昔は、斎藤氏の居城だった頃は稲葉山城と呼ばれていました、が息子(この人は道三の子ではないのでは土岐氏の子)に裏切られあえなく最期。秀吉が裏山より堀尾茂助(稲葉山の猟師でひょうたんを作っていた。この茂助は元織田方の者であったが、あまり人付き合いが出来なくて母親と移り住んでいた(息子がどもる癖があった)。秀吉は道三が必ず城より落ちる抜け道を作っているはずと察知し、茂助に案内させ、苔むした石段を発見、秀吉は茂助よりもらったひょうたんを槍の先に刺し突入。


これが千成ひょうたんのいわれです。斎藤勢は混乱のまま落城。その後、信長は山麓に居館を設け、城下町を発展させました。


その様子は宣教師のルイス・フロイスにより「まるでバビロンの様な混雑なり」と伝えられています。「本能寺の変」の後は織田家以外の城主を迎えますが、最後の城主は信長の孫にあたる織田秀信(幼名・三法師)でした。秀信は「関ケ原の戦い」で西軍につくものの、その前哨戦で福島正則や池田輝政らに攻められて落城し、徳川家康によって廃城を決められます。


現在は山頂に復興天守(コンクリート)が建てられており、ロープウェイでのぼることができます。天守の廻縁からは長良川や濃尾平野、さらには日本アルプスなどを一望することができます。
織田信長居館跡(史跡 岐阜城跡)
余りたいしたことありません。


楽市楽座を復元をしてほしかったです。
名古屋城には一部復元があります。


近くには、岐阜大仏もあります。
これは一見の価値がありますよ。
竹で編まれた仏像に和紙が張られています。


最後迄お読み頂ありがとうございます、

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