ほんわか人生の旅

全国各地の観光 古典文学 映画観賞 健康

京都 壬生寺 新選組 一夜天神 夜泣き地蔵


2021年10月2日記事修正しリライトしました。
壬生寺
住所:京都市中京区坊城通仏光寺上る
宗派:律宗
創建:三井寺の僧快賢
開基:快腎
本尊:延命地蔵菩薩
☎075-841-3381
駐車場:近隣のコイン駐車場を利用
    交通機関
市バス「壬生寺道」下車、徒歩約3分


中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のため壬生狂言を始めたことから地蔵信仰が盛んになった。


新選組隊士の墓所(壬生塚)がある。また、境内の阿弥陀堂地階に歴史資料室がある。
境内には、京都十二薬師霊場第四番礼所本尊「歯薬師如来」と、洛陽三十三所観音霊場第二十八番札所・中院本尊「十一面観音菩薩」も祀られている。

夜泣き地蔵
阿弥陀堂の向かって右にある地蔵菩薩(石仏)は、「夜なき地蔵」と呼ばれ、病気平癒や 幼児の夜泣き止めにご利益があると言われている。

表 門(正門)
寛政11年(1799)の再建で、壬生寺の正門である。 門の前にある寺号標柱はアルミニウム製である。


一夜天神堂
嘉永5年(1852)の再建である。中央に一夜天神、向かって右に金毘羅大権現、左には壬生寺の鎮守である六所明神が祀られている。「一夜天神」の名はその昔、天神・菅原道真が流罪になった時に、この壬生の地を訪れ 一夜をあかしたという故事に由来し、学業上達のご利益を伝えている。

水掛地蔵堂
このお堂の地蔵菩薩(石仏)は江戸時代中期の作で、「水掛地蔵」と呼ばれ、水を掛けて祈ると、一つの願いが叶うと信じられている。



千体仏塔
平成元年(1988)に建立された。この塔の石仏は明治時代、京都市の区画整理の際に各地から集められたものである。室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像など丁度1000体が、ミャンマーのパゴダに似て円錐形に安置されている。


近藤勇の胸像・遺髪塔
暗殺された芹沢鴨・平山五郎
切腹した勘定方の河合耆三郎(きさぶろう)の墓がある。



壬生塚
境内東にある池の中の島が壬生塚です。新撰組の遺跡です。

阿弥陀堂
平成14年(2002)の再建である。阿弥陀如来三尊像(阿弥陀、観音、勢至)が安置されている。建築家・山本良介氏の設計によって再建されたお堂は、現代の最新の建築法が取り入れられている。この阿弥陀堂の奥に、壬生塚(新選組隊士墓所)がある。
また地階は壬生寺歴史資料室であり、寺宝や新選組の関連資料が展示されている。




ここに三橋美智也の歌碑もある。
(ああ新撰組)
賀茂の河原に千鳥が騒ぐ・・・・

鐘楼
嘉永4年(1851)の再建である。 梵鐘は、嘉永元年(1848)に鋳造されたものである。毎年8月9日・10日の精霊迎え鐘や、また大晦日の除夜の鐘として、一般希望者が撞くことができる。

中 院
壬生寺に唯一残こる塔頭であり、現在の御堂は文政12年(1829)の再建である。洛陽三十三観音霊場第二十八番札所の本尊である本尊の十一面観音菩薩(鎌倉時代作)は、福寿無量のご利益があり健康長寿に霊験あらたかな観音である。
京都十二薬師霊場の第四番札所の歯薬師如来像が安置されている。


 昭和37年(1962)、本堂を全焼し本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失った。
しかし新しい本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が、律宗 総本山唐招提寺から移されて、昭和45年(1970)に本堂の落慶法要が行われた。

大念仏堂  重文
安政3年(1856)の再建である。狂言堂とも呼ばれ、この建物の2階部分で壬生狂言が演じられる。 本舞台、橋掛かり以外に能舞台には見られない「飛び込み」や「獣台」などの特異な構造をもつ建物である。


三福川稲荷堂
大念佛堂西側の朱色のお堂には、稲荷明神が祀られている。三福川は 「壬生川」という地名に由来し、五穀豊穣・商売繁盛のご利益を伝える。


弁天堂
明治27年(1894)の再建である。本尊の秘佛・辧財天は、清水寺の延命院より移されたもので、子孫繁栄 ・金運上昇のご利益を伝える。


仏 像
 本尊・地蔵菩薩立像 (重要文化財・本堂に安置)


脇士・掌善掌悪童子像  (佛師・中川大幹 作。本堂に安置)


鑑真和上像(平成28年本堂に安置)


円覚上人像        
(佛師・中川大幹 作。本堂に安置)


十一面観音菩薩像 (中院に安置。


 洛陽三十三観音霊場 第二十八番札所)


阿弥陀如来三尊像  (阿弥陀堂に安置。


 8:30から16:30まで 自由に参拝できます)


歯薬師如来三尊像 
(中院の正面向かって右に安置。 京都十二薬師霊場の第四番札所)


壬生寺歴史資料室
ここはなかなか気が付かないです。
歴史資料室では、仏像や天皇からの拝領品などの寺宝のほか、壬生狂言や新選組についての解説をパネルや写真で展示しています。これらの資料を通じ、壬生寺の歴史とその信仰に理解を深めて頂ければ幸いです。(展示物合計約30点の内、新選組関連資料は約3点です。


新選組の結成
新選組は文久3年(1863) 3月に、ここ壬生の地において結成された。東門前の坊城通りには、その当時、八木邸、前川邸、南部邸の3箇所が屯所と定められ、今も八木邸と前川邸が残っている。


かつては壬生寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行こなわれたという。


数々残る隊士の逸話
また、一番隊組長・沖田総司が境内で子供達を集めて遊んだり、近藤勇をはじめ隊士が壬生狂言を観賞したり、新選組が相撲興行を壬生寺で企画し、寺の放生池の魚やすっぼんを採って料理し、力士に振る舞ったという、面白い逸話も当寺に残っている。


境内にある壬生塚には、新選組やその遺族らによって建てられた墓碑4基がある。
新選組隊土等慰霊供養祭


 毎年7月16日には池田屋騒動の日をトし、「新選組隊土等慰霊供養祭」がここで行われる。当日は全国各地から新選組を参詣者が数多く訪れ、近藤勇の胸像前で慰霊法要が行われた後、有志による剣技や詩吟の披露がある。参加自由であるので、どうか参詣して下さい。


また、近藤勇の胸像のななめ前に 「新選組顕彰碑」がある。これは京都で活動している「新選組同好会」が、結成20周年を記念して平成7年に建てたものである。


さらに往年の名歌手、故・三橋美智也氏の代表歌「ああ新選組」 が平成11年(1999)に建立された。


新選組屯所跡
壬生寺正門北には現在も八木邸(京都市指定文化財)、前川邸二箇所の新選組屯所跡が、当時のままの形で残っており、それぞれ住人のご尽力により管理保存されている。


ブログ八木邸をご覧下さい。
   前川邸をご覧下さい。


寺の正門前の坊城通りを北へ、和菓子店「京都鶴屋」の奥に、八木邸がある。この八木邸において、芹沢鴨らが暗殺された。現在は内部が一般公開されている。


前川邸は坊城通り綾小路の東南角にあり、現在は「田野製袋所」となっており、土日のみ一部を一般公開はされている。前川邸には八木邸を屯所としてから程無く、分宿するようになった。


新選組は慶応元年2月に西本願寺に屯所を移転する。壬生に屯所をかまえたのは2年あまりにすぎなかった。 しかし、その後も隊土は前述のように壬生寺で兵法訓練をしたり、壬生の地をしばしば訪れている。


 新選組隊士を「壬生浪士」とも呼ぶのは、この壬生屯所での新選組の活躍が広く知られたためです。
ここに記した以外にも様々な説があるので、必ずしもこの限りではないことをお断りしておく。
参考文献・『新選組大事典』(新人物往来社)・『血誠新選組』(学習研究社)


最後迄読んでいただきありがとうございます。

×

非ログインユーザーとして返信する