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京都 新選組 壬生屯所旧跡(八木家) 前川家

京都市指定有形文化財
新選組 壬生屯所旧跡(八木家)
芹沢鴨 暗殺😱
住所:京都市中京区壬生梛ノ宮町24
☎:075(841)―0751(京都鶴屋鶴寿庵)
駐車場:あり
阪急電鉄「大宮駅」から徒歩10分
JR京都駅から26号系統、28号系統のバスに乗り、バス停「壬生寺道」で下車徒歩すぐ。🚶


拝観料:1000円
ガイド・お抹茶お菓子付き
邸内撮影禁止です。
2階建ての家屋のようで2階への階段があります。二階は公開されていません。


新撰組といえば羽織。段だら模様の水色は壬生(みぶ)の色でもあり、壬生狂言に使用する手拭いの色にも古くから使用されています。


しかしここはわずか3年足らずの駐屯所。


新瀬組の誕生
幕末、14代将軍家茂上洛にあたりその警護の為に上洛した浪士達。その後に江戸に呼び戻される事になりましたが、以下の人がここは、芹沢 鴨・近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・新見 錦・源田左之助・藤堂平助・野口健司・井上源三郎・平山五郎・平間重助・永倉新八の計13名は浪士隊から分かれ京に残り文久3年3月16日八木家門柱に松平肥後守御領新撰組宿の表札を掲げて新撰組の誕生。
芹沢 鴨(せりざわ かも)暗殺の経緯


新撰組の三大内部抗争の1つといえば「芹沢 鴨・平山五郎ら4人が暗殺さ」「粛清」です。その爪痕が生々しく残る「八木邸」が壬生寺の近くにあります。


新撰組結成後、隊士が増える一方で前川家、南部家に分散しました。
近藤勇一派と芹沢鴨一派の派閥が出来ていきました。かねてより乱暴者だった芹沢鴨は酒をくらい宿舎で刀を振るい傷をつけるなど目に余る行動が増えてゆき、近藤勇の命令で土方歳三と沖田総司らが暗殺に至ります。時は文久3年9月18日どしゃぶりの深夜に事件はおきます。


しかし、芹沢 鴨は神道無念流の免許皆伝であったのそうやすやす殺害することはできません。芹沢が傍らの机につまずいた隙に殺害されました。


その際につけられた刀傷が今でも残っていて、実際に見ることができます。転んで命取りとなってしまった文机も、当時のものが暗殺当夜置かれていたといわれる場所にそのまま置かれています。


天井は低く、そして間取りも狭いようです。狭い空間が作り出す圧迫感というか、何か因縁めいたものを感じます。
その後新撰組は近藤勇が実権を握り隊規も厳しくなりました。


また、壬生が手狭になり防御面からも西本願寺の太鼓番屋(すでにご紹介済み)に移動しました。その後は、様式調練のため壬生を使用、鳥羽伏見の戦いで敗れるまで使用。その後江戸に下って行ったのです。


八木邸にはお土産屋兼茶屋の「京都鶴屋 鶴壽庵(かくじゅあん)」が併設されています
「京都鶴屋 鶴壽庵」で頂ける屯所餅と抹茶。これは、見学ツアーを終えた後に無料で頂けます。見学料に含まれています。


旧前川家
八木家の近くにあります。
ここはお土産屋みたいです。
建物内部の見学はできませんでした。


一部記事はパンフレットより引用


最後まで読んでいただきありがとうございます

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