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滋賀県 安養寺

2021年10月7日記事修正しリライトしました。
安養寺 
住所:滋賀県栗東市安養寺88番地
宗派:真言宗泉涌派
山号:東方山
創建:天平12年[740年]
開基:良弁僧正
本尊:薬師如来
☎:077-552-0082
拝観は予約が必要
駐車場:あり
栗東インターから5分程度
私の家からは比較的滋賀県は近いので滋賀県はよく行きます。


交通機関
JR草津線 「手原駅」 下車 徒歩 30分
JR草津線 「手原駅」 下車 バス 15分 「なごやかセンター」下車、徒歩約5分
ここでみなさまにお間違いの無いように。
滋賀県には同じく安養寺「立ち木観音」があります。ご紹介済み。

パンフレット

安養寺由緒の石碑

表門

薬師堂


護摩壇

案内板を描き写し忘れたので年代不明

1衝させていただきました。かなりいい音です。

十一重の宝塔ですが今は一つかけ10です。

水掛不動明王

薬師堂

薬師堂
薬師如来坐像は国に重文です。
木造 鎌倉時代
像高 136.8cm
薬師如来は、薬師瑠璃光如来とか大医王仏ともよばれ、東方瑠璃光世界の教主で、人間の病苦をいやし、内面の苦悩を除くなど、12の誓願をたてた如来様です。
光背には化仏が数体配置されています。


薬師堂には他に
日光菩薩・月光菩薩、
木造 鎌倉時代
像高 日光172.7cm 月光174.7cm
脇侍です。
この両菩薩は、言わずとも薬師如来の脇侍です。薬師瑠璃光浄土における代表的な菩薩様で、日光菩薩は光明のあまねく際限の無い徳をつかさどり、月光菩薩は月のような清涼の法楽をもって衆生に生死の煩悩をはなれさせる働きをするといわれています。


十二神将は安養寺を復興した戒山慧堅によって元禄5年(1692)に造立されたものです。
十二神将は薬師如来の眷属です。
一説には薬師如来の12の大願に応じて現れる薬師如来の分身ともいわれています。

十二神将  右の写真紛失しました。
木造 江戸時代

薬師堂 薬師如来の裏側の観音菩薩様

観音堂
観世音菩薩坐像
木造 平安時代
像高 112.7cm


観音堂の本尊として祀られています。
観音菩薩は、正式には観世音菩薩あるいは観自在菩薩といいます。衆生が救いを求める声を聞くとこれを自在に救う菩薩という意味です。衆生に悟りの法を説く如来様に対して、観音様は現世利益の救済を施す存在となっています。

走り大黒天 これが珍しい
走り大黒天立像
木造 室町時代
像高 91.8cm
像は、まるで駆け足しているように足は前後に開いています。たいていの大黒様はどっしりとしていますね。


大黒天は、大国主命と結びつけられ、七福神の一つとして大きな信仰を得ていますが、もともとは、戦闘・福徳の神様で、憤怒像でした。


とくに寺院の台所にまつられたところから、大黒柱の名前も生まれてきたといいます。

愛染明王像 
愛染明王坐像
木造 
弘法大師作だそうです。亀山天皇から下賜されました。
愛染とは愛欲貪染の意味で、人間が愛欲におほれるのを、そのまま菩提の心に変えるはたらきをする明王です。愛の神で、この明王は忿怒暴悪の形を現していますが、その内面には恋愛染着の至情を本体とするためこの名前があります。


聖武天皇の勅願により、金勝寺25別院の一つとして、良弁僧正が開基。
本尊が薬師如来であることから東方瑠璃山安養寺勅願を賜りました。


安養寺は、長享元年(1487)足利九代将軍義尚が佐々木(六角)高頼討伐のため、陣所としたが、佐々木氏はわずかに戦い甲賀に逃げてしまいました。この兵火により堂宇を消失、その後大永年間に復興。


ここでまたまた、織田信長の登場元亀元年(1570)に再び兵火のため、本尊の薬師三尊等の一部を除いて、すべて焼失してしまいます。


貞享元年(1684) 戒山慧堅律師、旧跡の荒廃を惜しみ、仏殿僧舎を再建建される。
享保三年(1718) 後西院の皇女宝鏡寺理豊宮より、後西院天皇真筆の「東方山」・「安養寺」・「放光院」の 山号・寺号・院号の三額を賜りました。
お寺の数からいいますと、京都 奈良より多いのです。一番が愛知県です。


以下写真はありません。
子護大師様石像 (しごくたいしぞう)


役行者の石像
不動明王の石像


八十八ヶ所巡り
このおてらにも八十八ヶ所巡りが設けられていました。


阿弥陀如来立像
木造 平安時代
像高 78.8cm


阿弥陀如来は、無量寿如来・無量光如来と漢訳されます。阿弥陀如来は寿命無量、光明無碍の仏様です。
 西方極楽浄土の教主として信仰されています。


毘沙門天立像
木造 平安時代
像高 91.8cm


毘沙門天は四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)の随一、多聞天のことで、北方の守護神とされています。


地蔵菩薩半跏像 2体
木像


庭園
琵琶湖を模した池があります。
安養寺の客殿西北に広がる庭園。安養寺山の山裾を築山として巧みに利用した池泉鑑賞式の庭園で、県の名勝に指定されています。琵琶湖をかたどった池の周りに近江八景を配し、松・サツキなどの刈り込みがきめ細かく植えてあります。


 僧戒山が江戸時代に安養寺を再興したとき、寺の後ろには緑豊かな林があり、前は湖に面して朝は朝日が輝き、夕方には霧が立ち込める豊かな自然環境であったといいます。それで、この清らかで風雅な様子がよく伝わるように、池を掘って白蓮を植え、窓を設けて気風を望み見ることできるようにした、と伝えられています。


最後迄お読み頂ありがとうございます。

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