奈良県 海龍王寺(かいりゅうおうじ)
海龍王寺(かいりゅうおうじ)
住所:奈良市法華寺北町897
宗派:真言律宗
創建:光明皇后
開基:玄昉
本尊:十一面観音
別名:隅寺(光明皇后の邸宅の東隅に建てられた)
この寺は平城京の東方法華寺に隣接。
この寺と法華寺は藤原不比等の邸宅があった場所。邸宅は不比等の死後、娘であった光明皇后がそうぞくして皇后宮となり、天平17年(745年)宮寺となりその後法華寺となった。
奈良時代の海龍王寺には、小規模ながら、中金堂(ちゅうこんどう)、東金堂、西金堂の3つの金堂があったことがわかっている。伽藍配置は、中門の左右から発した回廊が伽藍主要部を方形に囲んで中金堂の左右に達し、回廊で囲まれた内側に南北棟の東金堂と西金堂が相対して建つものであった。現存する西金堂は、位置、規模等は奈良時代のままである。
本堂
江戸時代寛文6年[1666年]再建
西金堂
奈良時代、
五重小塔 必見
西金堂内に安置。相輪を含む総高4.01メートル(相輪を除く高さは2.85メートル)の小塔だが、工芸品ではなく「建造物」として国宝に指定されている。当初から屋内に安置されていたもの
奈良市・元興寺(極楽坊)の五重小塔が内部構造も省略せず、屋外にある塔と同様に1つ1つの部材を組み上げて造られているのに対し、海龍王寺の小塔は箱状の構造物を積み上げ、組物などの細かい部材は外側から貼り付けたものである。しかし、様式的には元興寺小塔より古い8世紀前半頃のもので、細部様式が薬師寺の三重塔に類似しており、遺例の少ない奈良時代建築の様式を知るうえで重要である。
経蔵
寄棟造、本瓦葺きの小建物。鎌倉時代西大寺の叡尊により造営されたと伝えられてい
ます。
表門
室町時代
築地塀
室町時代
•東金堂跡 - 創建当初は西金堂に向かい合う形で建ち、内部に五重小塔が建っていた。明治初年に廃絶し現在は基壇が残るのみ。