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愛知県 尾張4大観音 笠寺観音 (笠覆寺(りゅうふくじ))

笠寺観音 (笠覆寺(りゅうふくじ))
住所:愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83番地
山号:天林山
宗派:真言宗智山派
創建:天平5年(733年)
開基:善光
本尊:十一面観音(秘仏)
名古屋七福人
駐車場:あり
☎:052-821-1367
交通機関
名鉄
名古屋本線「本笠寺」駅下車 東へ徒歩5分



仁王門

放生池


本堂
宝暦13年から文政11年(1763から1828)
木造、桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺

西門
文化11年(1814)
木造、一間薬医門

多宝塔
正保年中
木造、三間、鉄板葺


鐘楼
貞享元年(1684)再建
木造、桁行三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺、袴腰付


「尾張四観音」の一つです。
名古屋城がつくられた際に、四方から尾張を守護する観音さまとして選ばれた「荒子観音」「竜泉寺観音」「甚目寺観音」そして「笠寺観音」のこと。



尾張地方では、節分の恵方をこの4つで回すので、その年の恵方にあたる観音さまは大勢の人で賑わいます。


とにかく恋のご利益を受けたい!」と思っている方には、最適な穴場スポット「笠寺観音」


そんな笠寺観音、一歩足を踏み入れると、まず目に入ってくるのは歴史の重みを感じる立派な本堂。


それから200年ほど、小松寺は荒廃し、観音さまも雨風にさらされてしまっていました。同じ頃、鳴海の長者のもとに仕えるひとりの美しい女性が。美しさを妬まれて毎日こき使われていた彼女は、ある日、雨に濡れる観音さまを見て、笠をかぶせたといいます。


その後、女性は関白藤原基経の三男・兼平に見初められ妻となり、「玉照姫」と呼ばれます。延長8年(930年)、兼平と姫は観音さまへ参り、お堂を建てました。そして、姫が観音さまに笠をかぶせたことから、寺の名を「笠覆寺」とし、これが「笠寺観音」の由来となっているのです。なるほど。


この玉照姫のエピソードから、笠寺観音には縁結びのご利益があるといわれています。


江戸時代には、「玉照姫のように玉の輿にのりたい!」と若い女性がここを訪れ、笠を買っていったとか。 玉の輿!


さらに、その笠を作っていた人たちは、のちに帽子作りを始め、笠寺周辺にはいくつもの製帽業者が軒を連ねたというお話も聞かせていただきました。歴史のエピソードがまちの人たちの働き方にも影響するなんて面白いですよね。


玉照堂
縁結びの神様がいらっしゃる玉照堂へ向かいましょう。実は、このお堂平成14年に再建。白木の美しいお堂の前には、吉祥を願った文様の踏み石が置かれています。石畳をのぼると、お堂の中に、玉照姫・兼平公が並んでいるのがうっすら目に入るでしょうか。


ふたりのご縁にあやかって、ゆっくりと想いの丈を念じてみては?



笠寺観音のお隣には、玉照姫の像が安置された「泉増院」もあります。
他にも、笠寺観音の中には、よ〜く見るとすごいものがいろいろと。


趣ある鐘楼に収められた梵鐘は、鎌倉時代につくられた、尾張三名鐘に選ばれるほどのもの。戦争中の軍への供出もまぬがれたそうです。今もこの中にあるのか、暗くて中をうかがうのはなかなか難しい…。

切支丹(キリシタン)燈籠
お墓の隅にあります。蓋を開けると中には、納骨穴と十字架。キリスト像のような彫刻もあり、キリスト教が弾圧された時代に、こっそり信仰するために使われていたもの。南区の『郷土史』には明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)の寄進と書かれています。全国的にも珍しいものだそうです。

さらに、笠寺観音には、あの宮本武蔵の墓も!?


笠寺観音を囲む「笠覆寺十二坊」のひとつ東光院には、宮本武蔵との逸話が残っており、傷ついた武蔵を助けるために死を装ったという話も。ご興味ある方は、ぜひここを訪ねてみてください。

パンレットから

仁王門

仁王門上部

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