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奈良県 橿原神宮  神武天皇

2020年9月21日公開した記事ですが
2021年9月23日記事修正しリライトしました。
橿原神宮 かしはらじんぐう
住所:奈良県橿原市久米町934
☎:0744-22-3271
祭神:神武(じんむ)天皇とその皇后・媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)
駐車場:久米寺を利用すると、隣です。
交通機関
近鉄橿原神宮前駅から徒歩5分


畝傍山(うねびやま)の南東麓、約50万平方メートルもの広大な神域に建てられた檜皮葺きで素木(しらき)造りの本殿と神楽殿が、玉砂利の参道と背景となる深い森の緑に調和して、厳かな雰囲気を生み出しています。


初代天皇であると伝えられる神武(じんむ)天皇が、橿原宮で即位したという「日本書紀」の記述に基づき、明治23年(1890)に建てられました。本殿と文華殿は重要文化財に指定されています。


本殿は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したものです。橿原市を代表する橿原神宮で、本殿と神楽殿を訪ねると日本の伝統的な建築美に出会うことができます。

表参道
日本全国からの祈りによって育まれた森に包まれる「表参道」(おもてさんどう)。広大な参道で、第一鳥居から南神門(みなみしんもん)前広場まで西に向かって約300m真っすぐに伸びています。


参道の両脇に広がる森は、昭和15年(1940)の宮域拡張整備の際に植えられた木々が生長したもの。植栽されたのは橿原の地名にちなんでカシ類を主とする樹木7万6,000本余り。うち2万2,000本近くは日本全国から寄せられた献木で、神武天皇の即位2600年をお祝いする人々によって1本1本、祈りを込めて植えられました。その中には、あなたの住む町からの献木もあるかもしれません。


大鳥居
神域への入口となる鳥居は4基。そのうち、表参道に建つ第1鳥居は高さ10mクラスの大鳥居です。いずれの鳥居も素木造り(しらきづくり)といって、色を塗らずに木の地肌や風合いをそのまま生かした造り。これは橿原神宮が皇室ゆかりのお社であることを示していて、一般的に、ご祭神が「天皇」もしくは「天皇や天照大神の系譜」の神社の場合、鳥居は素木造りといわれています。


鳥居に使われている木材は、とても貴重な台湾・阿里山産のヒノキ。昭和14年(1939)の建立以来、風雪に耐えながら80年近く参拝者を迎えてきましたが、長年の自然環境により劣化が進んできたため、令和2年(2020)の御鎮座に併せ改修されました。

南神門
鳥居をくぐると右手に南神門が見えてきます。
門の横には「神武建国二千六百六十一年」の札があります。


外拝殿で参拝するとき、光り輝く千木が見えますが、実はそれは御本殿ではなく幣殿の屋根。
御本殿は幣殿のさらに奥にあり、外拝殿からは見えません。



外拝殿
第一代天皇をお祀りするために、近代の神社建築の粋を尽くした造りになっています。
外拝殿は入母屋造(いりもやづくり)で、広がっていくような屋根の形は「争うことなく一つの屋根の下で肩を寄せ合って暮らせる世界を」という神武天皇の理想を表しているのだそうです。


外拝殿の石階段を上がると、そこには大柱が並び立ち並んでいます。
正面を向くと、「外院斎庭(げいんのゆにわ)」。白い砂利が敷き詰められた白洲があり、その奥に見える内拝殿(ないはいでん)の美しさにまた感動します。
内拝殿は毎年2月11日「建国記念の日」に行われる例祭「紀元祭」などの橿原神宮の祭典や、特別参拝が行われる拝殿です。


内拝殿には一般の方は通常入ることはできません。




深田池
橿原神宮の境内の中で最も古い場所。橿原神宮ができるよりずっと前、少なくとも万葉の時代から既に存在していたといわれ、古より続く橿原という地の歴史のを感じさせられます。


南神門前広場の南方にあり、面積は約1万5000坪。畝傍山の南斜面から流れ込む雨水が水源となっています。
自然豊かな深田池は、奈良県内でも有数の野鳥の飛来地です。遊歩道が整備されていて、池の畔をゆっくり散策することができます。広―い。

睡蓮の咲くころが絶景だそうです

中央の橋



さざれ石
国歌「君が代」の歌詞「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」に出てくる「さざれ石」。
外拝殿(げはいでん)向かって右手には、「さざれ石が巌になった」状態の実物が置かれています。


「さざれ石」を漢字で書くと「細石」。「小さな石、細かい石」という意味ですが、「巌」とは、たくさんの「さざれ石」が長い年月をかけて引っ付き、一つに大きく固まった岩のことです。一般的に「さざれ石」という場合、この「巌」状態を指すことが多い。


さざれ石は、弥栄(いやさか)の象徴。ますます栄えるようにとの願いが込められています。


さざれ石という御伽話があります。


大絵馬
その大きさにびっくりします。高さ4.5m、幅5.4m。一般的な絵馬に比べて1600倍近くもあるという巨大な絵馬。これは今上天皇の生誕を祝って、昭和35年(1960)に近鉄(近畿日本鉄道)が奉納したのが始まり。毎年、年末になると外拝殿に翌年の新しい大絵馬に替わるのが恒例となりました。
大きな絵馬の前で写真を撮ると、良運が駆け寄ってくるのどそうです。
確か京都の神社にもあったのですがすぐ思い出せません。



御本殿
御本殿に鎮まるのは、ご祭神の神武天皇とその皇后・媛蹈韛五十鈴媛命皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)の2柱。
非常に珍しいことに、橿原神宮の御本殿の屋根には普通あるはずの千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)がありません。


なぜなら御本殿は明治23年(1890)の橿原神宮創建の時、明治天皇から下賜された京都御所内の内侍所(ないしどころ)を移築したものだからです。


そもそも内侍所とは、「恐れ畏(かしこ)むべき所」であることから賢所(かしこどころ)と呼ばれ、天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られていた最も神聖な御殿。天皇からいただいた尊く大切なものなのです。その大切な御殿に人の手を加えることは畏れ多く、通常は本殿の屋根にある千木・鰹木は置かれていません。


そのため異例ですが、千木と鰹木は、社殿の中でも御本殿に続いて大事な建物である幣殿(へいでん)の屋根に置かれることとなりました。外拝殿で参拝するとき、光り輝く千木が見えますが、実はそれは御本殿ではなく幣殿の屋根。


御本殿は幣殿のさらに奥にあり、外拝殿からは見えません。
御本殿は安政2年(1855)の建造で重要文化財。古式に則った日本の寝殿造の面影を残す造りになっています。
御本殿へは参拝はできません。
当別公開があります。


神楽殿
本殿とともに安政2年に建造された元京都御所の神嘉殿で、明治23年当神宮創建の際、明治天皇から下賜されたものです。当初は拝殿に充てられていましたが、昭和6年に現在の位置に移築されました。入母屋造桧皮葺で、宮殿建築の気品をよく表しております。
この神楽殿は、火災により消失し、現在の建物は平成8年6月に竣工されました。


参集所
神楽殿に接続する入母屋造銅板葺の建物で祈祷並びに婚礼等の控室として使用致しております。平成24年に改修されました。


勅使館
勅使館は、天皇陛下の御使いである御勅使が参向し、紀元祭や特別な祭典において身を清める場所。大正6年(1917)の建築で、屋根は入母屋造瓦葺。庭は貴人を迎えるために造られた設計で、白洲・池・築山という要素を取り入れた寝殿造庭園を模した形式となっています。
勅使館はいずれも通常非公開ですが、令和元年10月23日~12月8日の期間、特別公開されました。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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