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三重県 桑名宗社 (春日神社)石取り祭 世界遺産登録

桑名宗社 (春日神社)
住所:三重県桑名市本町46番地
祭神:天津彦根命
天久々斯比乃命
天日別命
春日四柱神
駐車場:あり


当社は桑名神社一社があり、後に中臣神社が境内に遷座し、二社合社となった。現在も本殿は二宇あり、拝殿を共有する構造になっている。拝殿の礼拝所はそれぞれの本殿に対応する形で左右に分かれており、向拝、鈴、賽銭箱等も一組ずつ設けられている。神紋も違います。紋が上り藤に大三
桑名藩主松平定重公が企画して神社改修費から慶長金250両を渡し鋳物師辻内善右衛門尉藤原種次に命じた。


種次は家産を傾けて寛文7年(1667年)完成しました。
そのおかげで前の東海道通る旅人が勢州桑名に過ぎたる者は銅の鳥居に二朱女郎と歌われましたいろいろの災害で破損、倒壊していますが鋳匠辻内家が修復しています


入口にある大きな青銅の鳥居
青銅鳥居は東海道に面して東向に建てられています。


鳥居の銘板
鋳物は桑名の伝統産業で残っています。桑名中心部ではありませんが伊多くの鋳物工場があります。辻内鋳物工業も残っています。



鳥居脇の迷子石(しるべいし)
「迷い児石」とも言われ、人の大勢集まる所に立てられました。同じものが多度大社の鳥居の横にもあります。


自分の子供が迷子になると、左側面「たづぬるかた」に子供の特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子供が居た場所などを書いて貼ります。
鉄枠で補強されています。なかったらバラバラでしょうね。

楼門(隋神門)
天保4年(1833年)松平定永公によって
寄進された立派な楼門ですが、」アメリカ軍の空襲で消失し平成7年(1995年)に再建されました。戦争により多くん文化遺産が焼失しました。


京都、奈良、鎌倉は米軍の焼夷弾はなかったそうです。
米国文化財は避けたのかな。


楼門内の右大臣です。

楼門内の左大臣です。



中で別れている神社は多いです拝殿で二つに分かれ神紋も違うのは珍しいです。


中臣神社(左側)
御祭神
天日別命(あめのひわけのみこと)
春日四柱神(かすがよはしらのかみ)


真ん中
神社全体では上り藤に大三を使い


桑名神社は上り藤に三
中臣神社は上り藤に大


桑名神社(右側)
御祭神
天津彦根命(あめのひこねのみこと)
天久々斯比乃命(あめのくぐしびのみこと)

本殿


従六位 諸戸清六の石柱
一代で日本一の大地主になった諸戸清六さんです。」


ここは石取り祭り発祥の地です
石取り祭りで有名です。


しかし、今年はコロナで中止。
ユネスコ無形文化遺産登録された祭りとなりました。


桑名東照宮の左隣には、皇太神宮御分霊社が鎮座しています。
御祭神は天照大御神です。
明治9年(1876年)11月17日に御鎮座の式を挙げられました。


皇大神宮

春日稲荷神社の左隣には、桑名東照宮が鎮座しています。
御祭神は徳川家康公です。
元和3年(1617年)千姫が東照宮を勧請し、徳川家康坐像を祀ります。
松平家が藩主であった桑名藩の神社ですから当然です。
千姫祭りもあります。(場所は寺町商店街)



摂社「母山神社」、御祭神は『火之迦具土神』で、火伏せの神として知られています。

桑名宗社の左近の桜「金龍桜」です。

桑名宗社、拝殿前の右近の橘です。


御膳水井です。
御膳水井は江戸中期より神供用として用いられていましたが、明治元年9月25日、明治天皇が桑名にお泊まりの際、水質が市内で裁量の故に御膳水として供されました。
昭和47年5月、桑名市の文化財に指定されました。


『千葉兎月』の句碑も奉納されていました。 
「桑名間遠社」を宰した美濃派の俳人。




拝殿に向かって右側の玉垣内にある岩石は「陽石」、また一説には「夜泣石」とも伝えています。
「陽石」とはいわゆる男性の形を成す石の事ですが、それと「夜泣き石」の関係は不明です。
奥にある木の穴が女性を表しています。



桑名宗社(春日神社)が所有する三重県指定文化財「太刀 村正」は村正の代表作とされ、その美しく優雅な姿は「宝刀村正」として相応しい神社の歴史的資産としての活用が大いに期待されています。


私は、本物を見たことありませんが忠実なレプリカが常時展示されています。
また、ペーパーナイフも販売されます。


最後迄お読み頂きありがとうございます。

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