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滋賀県 高源寺

2021年10月11日記事修正しリライトしました。
高源寺
住所:滋賀県犬上郡多賀町楢崎374
山号:天徳山
宗派:臨済宗妙心寺派
創建:鎌倉時代、
開基:宇津木氏・慶長8年
開山:禿翁禅師(とくおうぜんじ)
本尊:阿弥陀如来 非公開(春と秋の約2週間のみご開帳)
☎:0749-49-0821 
参拝は、事前に予約


公共交通機関:JR琵琶湖線「河瀬」駅より、湖国バス「金屋橋」または「樽崎」バス停下車、徒歩約10分
車:北陸自動車道「彦根」ICから多賀大社、湖東三山方面へ約15分
駐車場:アリ(無料)
拝観料:ご開帳中は300円


石田三成の居城、佐和山上の裏門であった総門

茶筅塚


紅葉の名所として有名な滋賀県の湖東三山西明寺の北3キロのところにある臨済宗の古刹。



創建は、鎌倉時代頃で、当初は、天台宗の「十福寺」と呼ばれていたそうです。
お寺がある場所の付近は、当時、この辺りを治めていた楢崎一族の城があり、現在お寺の参道は、その昔、楢崎城の本丸への大手道だったそうです。



織田信長がこの地を治めるに至り、楢崎一族は城を離れます。そして楢崎一族の菩提寺であった「高源寺」は、廃寺に。


再建したのは、江戸時代になってから。彦根藩の家老脇家と宇津木家の菩提寺として京都「妙心寺」の高僧禿翁禅師(とくおうぜんじ)を招き開山。両氏の院号から「高源寺」になりました。



最盛期には書院、仏殿、禅堂などがあり、学僧50人以上が暮らす大寺院だったそうです。明治9年に原因不明の火災により伽藍は焼失。石田三成の居城、佐和山城の裏門だった総門だけが焼失を免れました。
明治14年に「多賀大社」境内の不動院、般若院、正覚院を神仏分離のため移し合体させて再建された。



「たか女の間」という部屋があります。そこには、幕末、井伊直弼と長野主膳に愛されたという才色兼備の村山たかの晩年の肖像画がありました。



村山たかという人は、幕末に活躍した井伊直弼と国学者の長野主膳を助けた人です。安政の大獄に際し、当時、京都にいたとき、色々な情報を井伊直弼に送り手助けをしました。


それで桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後、尊王攘夷派の人たちに捕らえられて、京都の三条河原に3日間さらし者にされました。それから京都の一乗寺の「金福寺」で剃髪して、ずっと菩提を弔って生涯を終えたのです。


村山たかには、息子がいて、二人で、井伊直弼を助けたため、安政の大獄に加担した罪を尊王攘夷派に問われ。
息子である多田帯刀も捕らえられて、粟田口の刑場で斬首され、さらし首に。多田帯刀の墓は金福寺にあります。



井伊直弼と長野主膳を弔うために剃髪したのですが、同時に息子の菩提も弔ったのでしょうね。


不動明王立像
地蔵菩薩半跏像(写真はありません)


最後までお読みいただきありがとうございました。

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