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滋賀県  鬼室神社  韓国の神社

鬼室神社
住所:滋賀県蒲生郡日野町小野
祭神:鬼室集斯
   鬼室 集斯(きしつ しゅうし、生年不明 - 持統天皇2年11月8日?(688年 12月5日?))は、7世紀の百済の貴族。百済復興運動で活躍した鬼室福信の縁者。百済における官位は達卒、日本亡命後の日本における官位は小錦下 
駐車場:あり
交通機関 
近江鉄道桜川駅から原行バス約25分。小野(停)下車すぐ。(※原行きバスは日・祝日運休)

近江朝廷が大津に都を定めた頃、現在の韓国、時の百済(くだら)国から我国へ渡来をした多数の渡来人の中の優れた文化人であった鬼室集斯(きしつしゅうし)という高官の墓が、この神社の本殿裏の石祠に祀られているところからこの社名がつけられました。
古くは不動堂と言い小野村の西の宮として江戸期まで崇拝された社であり、小野の宮座である室徒株(むろとかぶ)によって護持されてきました


また今日では鬼室集斯の父、福信(ふくしん)将軍が大韓民国忠清南道扶餘郡恩山面(ちゅうせいなんどうぷよぐんうんざんめん)の恩山別神堂にお祀りされているところから、姉妹都市としての交流が盛んに行われています。


江戸時代に、近江国蒲生郡小野村(現在の滋賀県日野町小野)の西宮という神社(当時は不動堂といった)に、石の八角柱があった。
(「大内蔵人時頼墓」とする史料もある
当時、この石は人魚塚と呼ばれていた。仁正寺藩医の西生懐忠が、よく調査し、「鬼室集斯墓」と記した面が正面で、その右の面に「朱鳥三年戊子十一月八日殞」、左には「庶孫美成造」と書かれていたと発表し、東桜谷村郷人の坂本林平との間で真贋論争となった[5]。朱鳥3年は、持統天皇2年(688年)にあたるが、ただしこの墓石は11世紀以降のものである
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


明治時代に入り、神仏分離令によって、不動堂は西宮神社と改名し、軻遇突智命を祭神とした
蒲生郡長であった遠藤宗義が、明治三十六年(1903)に『鬼室集斯墓碑考』を著してのち、鬼室集斯が合祀された。後にこの神社は鬼室神社と名を改めて現在に至る。

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