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三重県 亀山城跡  丹波亀山城と間違わて天守を取り壊されてしまった。

亀山城跡
住所: 亀山市本丸町
築城:文永2年(1265年)
☎:0595-96-1218(亀山市まちなみ文化財室)
駐車場:あり
交通機関
JR亀山駅から徒歩約10分 ちょっと坂があります

亀山駅から徒歩で坂を上がると櫓が見えてきます。

多聞櫓
平屋建白壁の塗込で屋根は入母屋造り、東西北の三方に破風があり、平時は武器庫として利用していました。県内に唯一現存する城郭建造物として、昭和28年に県史跡に指定され、特に桜や積雪の頃は野趣にあふれ、高石垣の上にそびえる多門櫓は今も往時と変わらぬ風情を残しています。
創建年代:安土桃山

天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。寛永9年(1632)三宅康盛の代に天守が下ろされ、正保年間(1644~1648)本多俊次が城主の時に天守跡に現在の多門櫓が建てられました。梯郭式平山城です。


江戸時代においては、亀山城は伊勢亀山藩の藩主の居城であった。江戸時代初頭には丹波亀山城の天主守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が間違い伊勢の亀山城の天守閣を取り壊してしまった。またこの時期の亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用している。このように本丸は徳川将軍家の休泊にたびたび利用されていたため、城主居館は二の丸におかれていた。寛永13年(1636年)城主となった 本多俊次により大改修が行われ、天守を失った天守台に多聞櫓が築造された。


史跡
多聞櫓、石垣、堀、土塁


亀山公園菖蒲まつり
ここで友人が働いています。

何故かSLが展示されています。
昔、亀山駅は紀伊本線、関西本線の分木点であり重要な所でした。転車場もありました。
ここから関西線で行くと「かぶと」というところがあり、国鉄の争議事件で列車転覆事件が発生しています。当時は、動労、と国労組に分断しそれは激しいものでした。同時に郵政省も内勤側と外勤側が対立し外勤のバイクに故障を仕掛けるなど労働運動は非常に激しいものでした。これらも、とある政党が仕掛けたものと私は思っています。
ちなみに、高校時代は私は、国鉄津駅で汽車に乗り亀山乗り換え四日市までまで通学していました。

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