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日光東照宮 ⓶  陽明門~奥社

                              一部追加 2020.8.4
                              唐門の屋根 霊獣
ここは是非双眼鏡で見て下さい。



それではいよいよ陽明門
陽明門の名前の由来は
平安京大内裏外郭十二門のうちの内東門が陽明門に由来する。陽明門は、表門から参道を進み、石段を2つ上った先に南面して建つ。門の左右は袖塀を介して東西廻廊につながる。門を入ると正面が唐門で、その先には拝殿がある。
左右の回廊には極彩色の花鳥の透かし彫りがある。


右回廊の透かし彫り 上段14 下段14
左回廊の透かし彫り 上段8  下段8
鳥類・・・・鳳凰、鶴、孔雀、鴨、雉、鷺
植物・・・・大和松。唐松、牡丹、梅、椿、菊、たんぽぽ
      水葵、オモダカ〈沢瀉〉、アヤメ
自然・・・・雲、波、岩


注目が白い「目貫き(めぬき)の龍」
目だけが彫られて金色になっているのは、目を入れて完成させてしまったら遥か彼方に飛んで行ってしまうという「画竜点睛(がりょうてんせい)」の故事に由来しています。完成したらあとは老朽してしまうので、あえて未完成の状態にすることで、建物の崩壊を防いでいるとも言われているんだとか。
 正面を向く白い彫り物が竜馬・真ん中の龍を目貫の龍という


龍が三段のように見えますが実は
層背面中央付近の尾垂木、上段は「竜」、下段は「息」、その下の頭貫木鼻は「竜馬」


東照大権現東照の扁額は後水尾天皇の筆である。

二段の龍は同じようであるが上段の龍は髭がある、下段は息といい花が豚のようである

側面

ところで随身像が二体 着ている袴の家紋は織田家のものとする説もあれば、明智家のものとする説もあるなど、謎が多いと言われています。歴史のミステリーに思いをうかがわせるのも面白いですね。明智光秀が生きていて天界大僧正だとか。



奥の透かし彫りは冠鳥ににています。

腰掛は虎皮 「桔梗の紋」「織田」

陽明門の左武将に天井画 迦陵頻伽琵琶を奏でる。白い足が二本と緑色の羽がある。

此方右側

ここは鶴が掘られている。

右側天井 迦陵頻伽 琴を奏でている。


洗髪中の周公訪ねてきた人の話を聞く

陽明門南面の下層組物間の聖賢の彫刻 訴人周公の右側にある彫刻で訴人がお辞儀をしながら何かを訴えています。


魂を吐き出す仙人 鳳凰に乗る仙人

二頭の龍の乗る仙人と動物名は不明に乗る仙人

傘で空を飛ぶ仙人

龍に乗る仙人

鯉に乗る仙人

鶴に乗る仙人

陽明門南側下層 君子の四芸  囲碁


君子の四芸  琴を弾く

君子の四芸  画

孔子観河する姿

天空を飛ぶ費層房を見る人物像



陽明門背側

入って見上げると北斗七星があり、門の正面は江戸がある


陽明門天井
もう一つの注目が門の通路の天井に描かれている昇り龍と降り龍。別名「八方睨みの昇竜」「四方睨みの降龍」とも呼ばれ、その鋭い目付きには思わずたじろいでしまうほど。現在の天井画は、日光社寺文化財保存会・澤田了司技師によるものです。


渦の文様が逆となっている。これは完成していませんよという意思を表すそうです。


拡大 こちらが逆

拡大 こちらは普通


中層 龍馬  足が蹄になってます。これも逃しますね。いかれたえ羅見てください。



陽明門は他の社殿と同様、寛永13年(1636年)の造替である。建築形式は三間一戸楼門で、規模は桁行(間口)が約7メートル、梁間(奥行)が約4メートル、棟までの高さが約11メートルもある。


初層中央間に黒漆塗に鍍金金具で飾った両開き扉を吊り、
陽明門の左右に鎮座するのは、本殿を守る役割を持つ随身像。虎にまたがっているのがわかります。五重塔でも見た通り、虎(寅)は徳川家康を表しているにも関わらず、なぜ虎を尻に敷いているのか。


裏側には獅子が一対
地紋彫は屈輪文(ぐりもん)の地の上に丸文を散らし、丸文の中には鳳凰、孔雀、
二つ蝶、龍、像、虎、牡丹などがしつなわられている。12本の柱のうち1本、入って左側のみ屈輪文が上下逆さになっており、「魔よけの逆柱」と言われています。

また、建物を全て完璧に完成させるといずれ崩壊するという言い伝えから、一箇所だけわざと完璧にせず、崩壊を防ぐという意味もあるようです。
先ほどの五重塔にも仕掛けがありましたね。


いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
陽明門にはたくさんの龍が彫られています



陽明門の霊獣
霊獣・・唐獅子:56体 龍:45体 竜馬(白色で足が馬の蹄になっている)真ん中が目貫の龍
霊長・・鳳凰:40体
人物・・42体      156人の彫り物がある
植物・・・菊:61体       牡丹:54体


正面にずらりと並ぶ金色の霊獣は唐獅子と呼ばれ陽明門の中でも最も数が多い。一見同じように見えますがよく見ると全て口の開け方が違うのです。原型はライオンと言われ、渦巻きのたてがみ、広がった鼻の穴が特徴。


軒下の中央にあるのが、麒麟という霊獣。鱗がなく、蹄の先が二つに分かれ遇蹄となっています。皆様おなじみのキリンビールラベルはこの霊獣がモデルではないでしょうか。


あとは、次に述べますが中国の故事、君主の四芸「琴棋書画の遊」を題材の彫刻があります。ここでじっくり双眼鏡で見てるだけで時間を忘れます。


初層組物間には人物像の装飾彫刻がある。これらの題材はいずれも中国のもので、故事、古代の先験、伝説上の仙人などを表している。組物間の彫刻は、正面と背面に各7個、側面には各4個の計22個である。


上層高欄の「千人唐子の知恵遊び」と呼ばれる彫刻
遊びの彫刻は全部で20体花鳥の彫刻が10体子供たちが豊かな自然環境の中で遊ぶ様子が刻まれています。陽明門に何故、子供たちが遊んでいる姿の彫刻があるのか不思議ですね。


これは、「子供たちが安心して遊べる社会」こそ理想の社会だという徳川幕府の政治理念ではないかと思います。家康の幼少期は人質として今川、織田にとらわれていたことが実感できます。


人質の時のエピソード
織田家に人質になっていた時家康は、信長より瓜を三つもらったがすぐには手を出さず、小姓にたべさせてから自分も食べたそうです。


陽明門の彫刻


司馬温公の瓶割り(上層高欄の中央)


中国・北宗の政治家司馬温公が子供の頃、大きな水瓶に落ちた友達を助けるために、石で大切な瓶を割ってしまいましたが、父親は温公を叱らずほめて、改めて命の大切さを教えたという逸話。


お祭りの風景    笛、太鼓を打ち鳴らしている


踊り


相談

孟母三遷(上層高欄の右端)
子供が勉強をするようにと環境のよい場所を探して三度も引っ越したという孟子の母の話


竹馬遊び

蝶取り


東の角付近のミミズク(左)と犬と散歩(右) 


この説明は①をご覧ください
廻廊(かいろう)国宝
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。


また、燭台はチョウザメです、イルカかな
回廊は陽明門を中心に本社、祈祷殿、神楽殿、神輿社などを取り囲んでいます。総漆塗りで様々な精巧な彫刻や燭台12台、蟇股30個が施され極彩色で彩られています。日光東照宮回廊は国宝に指定されています。


唐門  透かし塀

唐門の屋根の上の獅子(鋼製)江戸幕府の鋳物師椎名兵庫の作
長さ4尺5寸2分 太さ2尺5寸 高さ2尺3寸2分


どこかに飛んで行ってしまわないよう足に金輪が取り付けてあるよ。
夜間はこの恙(つつが)守護しています。

虎よりも強い霊獣、この一頭で東照宮を守っているそうです。」

日中は東西の龍 夜間はこの恙(つつが)守護しています。

舜帝謁見の様子  中央が舜帝



許由の父 牛を引き後ろを振り返っている

許由の父 なにしてるのか調べましたがわかりません。

降り龍

登り龍

唐門、透塀、拝殿
唐門(からもん) 国宝
全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。
狩野ここより先に行ける人は将軍に拝謁できる身分とされ、幕臣や大名に限られていたそうです。


狩野探幽の「麒麟」と「白沢」
日光東照宮の奥の方には、靴を脱いで上がる、畳の間の「拝殿」があります。
この「拝殿」には狩野探幽の絵があり、右側に「麒麟(きりん)」、左側に「白沢(はくたく)」と、想像上の生き物が描かれています。


「麒麟」の方には、ちゃんと「狩野探幽作・麒麟」と書いてあるのに、あんまり目立たないのか、見学者の多くはスルー。
「白沢」の方は、なんと、お守りを売る台が前に置いてあり、台越しに中をのぞきこまなければ見えませんでした(ただし、のぞきこめば、結構間近に見えます)。


「麒麟」も「白沢」も、善政がなされる時代に姿を現す霊獣と言われていて、そのために描かれたのだと言われています。

祈祷殿  重用文化財
結婚式や御祈祷が行われます。
ここで結婚式したら離婚できないよ、家康が睨んでいるよ。

祈祷殿の獏

上社務所(祈祷殿)
神楽殿

西側外腰板に金箔に秋の草花をあしらったレリーフ
菊(白、黄色)・桔梗(紫)・芙蓉緑)
何処も豪華絢爛

薄暗く静けさがただよう。


御本社(ごほんしゃ)国宝
本殿・石の間・拝殿からなり、東照宮の最も重要なところです。例祭をはじめ、年中の祭典が斎行されます。また拝殿左右には、「将軍着座の間」・「法親王着座の間」があります
ここから写真撮影禁止



陽明門を入り左側
神輿舎(しんようしゃ) 重用文化財
三基の神輿があります。
天井に天女の絵がある
神輿は左から豊臣秀吉 徳川家康、源頼朝
源頼朝は日光山を造営、東国の宗教的権威の中心的な存在であり、家康は源氏の系列っである。


豊臣秀吉が果たせなかった天下統一を家康が引き継いだことへの配慮から?
毎年5月18日と10月17日に行われる例大祭り「春秋渡御祭(しゅんじゅうとぎょさい)」。神輿舎には、この例大祭で使われる3基の神輿が収められています。

眠り猫  しかし見方によってはうっすら見ているような


坂下門
ここからいよいよ家康の御廟です
坂下門・廻廊(眠り猫)概要: 坂下門は元和4年(1608)に建てられた一間一戸、銅瓦葺き、八脚平唐門で、この奥が初代将軍徳川家康が眠る奥宮に続いていた為、普段は閉められ将軍参詣の折しか開く事がなかった事から「開かずの門」とも呼ばれていました。


全体的に白と金を基調とし、他の建物より清楚な印象を受けます。欄間には鶴の透かし彫り、腰羽目には牡丹と唐草が彫り込んでいます。廻廊は寛永12年(1635)に建てられたもので梁間1間、桁行東54間、西36間、入母屋、銅瓦葺きで坂下門へ続く部分は唐破風の"眠り門"が付いています。奥宮へ続く欄間には有名な"眠り猫"と"雀"の彫刻が彫り込まれています。


牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。


彫刻は名工左甚五郎で彫刻の由来は平和を象徴し、天敵である猫が居眠りをして雀が踊っている姿を表現していますが、場所によっては猫が薄め目を開け爪を立てているように見え、侵入者には断固として拒否する姿勢が窺えます。坂下門は日光東照宮の神門の一つとして大変貴重な事から国指定重要文化財、廻廊(眠り猫)は極めて貴重な事から国宝に指定されています。


  坂下門天井  牡丹の彫刻が美しいですね

坂下門欄間の錦鶴


眠り猫から奥の『日光東照宮 奥社』まで足を延ばします。


石段から坂下門を見る

少し遠いと感じるかもしれませんが、その先には家康の御墓所。眠り猫の門、坂下門をくぐり進んでいくと、まず目にするのが杉林です。
その先に167段の階段が奥社まで伸びているので、長い階段ですが、ゆっくりと上って行きましょう。
石畳も通路、これも工夫されています。


生い茂った杉の木に囲まれた石造りの道を歩きます。階段と道がすべて石になっているこの道は別名「石廊下」とも言われています。


また欄干は石をくり抜いて造られています。よく見ください、素晴らしく成功に造られています。この様なことが出来る技術凄いですね。


東照宮の境内の中でも、異質な空間となっているこの石廊下。澄んだ空気の中を歩いているだけでも神聖な気持ちが溢れ、パワーをもらえそう。


石廊下を抜けると、207段もある長~い階段が。他の参拝客と「疲れましたね」「あと何段続くんでしょう」など、談笑しながら上るのもまた楽しい時間です。



周りは全て銅板でおおわれています

ちょこんとかわいいです

ここに家康が眠っています

この香炉は朝鮮国王からの贈り物です


お椀を伏せたような石は祭礼の時幡(はた)を建てるための穴があります。
数十カ所あるそうです。

いよいよ下りの戒壇 疲れました。ここまで約2時間



奥宮(おくみや)【重文】
拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所です。
まず見えてくるのが鋳抜門(いぬきもん)。この門の手前には、御墓所を守る蜃(しん)という伝説の生き物がいます。蜃は蜃気楼を作り出すと言われているんだとか。


お墓の上には御宝塔が建てられています。
この宝塔は、作られた当初は木製でした。
その後5代目将軍徳川綱吉が、金と銀そして銅を合わせた合金に変えたそうです。
た御宝塔の近くに御神木である叶杉があります。
この御神木は樹齢600年だそうです。すごいですね。
。御神木にお願い事をすると叶うことから「叶杉」と呼ばれているそうです。
そして、御神木の御霊をお分けしたお守りが「叶鈴守」です。



追加記事
石燈籠104基もある数えきれないよ。
銅燈籠16基
鉄燈籠2基



この記事の一部は日光東照宮ホームページを参考にしました。
厳密には頭上に一角を有するものを「狛犬」、角のないものを「獅子」と称する。陽明門安置像は阿形・吽形とも頭上に角のないもので、参考文献では両方とも「獅子」であるとしている。(高藤、1999)、pp.46 - 47を参照
以上参考文献としました。

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