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西国三十三カ所観音巡礼の旅 三室戸寺・上醍醐

2019年5月20日、日本遺産登録の発表が文化庁より行われました。
1300年以上の歴史を誇る「西国三十三所観音巡礼」が、日本遺産に認定されました。

第10番札所 三室戸寺  十円玉のデザインの平等院等が近くにあります。
            平等院・宇治上神社・宇治神社は別にご案内します。
花の寺で有名四季折々の花が咲きます。
アジサイ園開園期間 大人800円, 小人400円


約二千年前、光仁天皇の勅願で南都大安寺の僧行表が創建。
天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと思い、右少弁藤原犬養に命じその光のもとを訪ねさせて、藤原犬養は宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝つぼに身の丈二丈ばかりの千手観音を見た。


住所:京都府宇治市莵道滋賀谷21
山号:明星山
宗派:本山修験宗別格本山
開基:光仁天皇
創建:宝亀元年(770年)
本尊:千手観世音菩薩
電話:0744-21-2067
御詠歌: 夜もすがら  月を三室戸  わけゆけば  宇治の川瀬に  立つは白波


藤原犬養が滝つぼに飛び込むと一枚の蓮弁が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したと伝えられている。


伝説的な色彩が強いが、園城寺(三井寺)の僧の伝記の集成「寺門高僧紀」によると
行尊の三十三か所巡礼記は西国三十三か所巡礼の最古の資料である。
これによると、行尊が巡礼したときは、三室戸寺は三十三番目、最後の礼地であった。


寺は足利義昭に加勢したため、織田信長により焼き討ちされた。
現在の本堂は江戸後期文化11年(1814年)に再建てられた重層入母屋造りの建物。
本尊は厳重な秘仏で写真もない。


今回2008年から2010年にかけ西国三十三か所巡礼の本尊開扉がされ、三室戸寺の本尊は、2009年10月1日から11月30日まで開扉された。私たちは拝観できた。

本堂は60段の階段を上がる

三重塔
元禄17年(1704年)建立 高さ16m、もとは兵庫県の佐用郡三日月村(現在佐用町)
の恋蔵持にあったものを、明治43年?(1904年)に三室戸寺が買い取り移築。





手を入れてみた。中の石は取り出すことはできない。


本堂前には大きな石で造られた牛の像がある。大きく開いた口の中には石の玉がありこれをなでると勝運が付くとされている。宝勝牛という。
牛の腹には小さい覗き窓がある。覗くと小さい牛の木造が見えます。


また、横には若乃花と貴乃花の手形がありました。横綱の手は大きいと思っていたが、それほど大きくはない。


庭園
約5000坪の広さがある。枯山水、池泉、広庭からなっている。




本堂の裏の一段高いところに十八社がある




第11番札所 上醍醐寺(准胝堂)  
 私が訪れたときは火災で堂宇が焼失し入山禁止でしたが下の醍醐寺で参拝し、御朱印はいただけました。2008年 准胝堂全焼 ここは以前にも火災に遭い全焼(1968年再建)
      
住所:京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
山号:深雪山
宗派:真言宗醍醐派(総本山)
開基:聖宝理源大師
創建:貞観16(874)年
本尊:准胝観世音菩薩
御詠歌:逆縁も  もらさで救う  願なれば  准胝堂は  たのもしきかな
電話:075-571-0029


火災で上に上れないことから、写真はありません。
近く、再度挑戦したいと思います。
下の醍醐寺で御朱印はいただけました。
下醍醐から徒歩1時間かかるらしい。


概要
平安末期、天智天皇六世孫といわれる理源大師聖宝により創建。自ら刻んだ准胝観世音菩薩と如意輪観世音菩薩を草庵に安置した。醍醐山全体が寺域であり、戦火により五重塔以外は全て焼失。豊臣秀吉の援助により再興をする。現在世界遺産になっています。
ここは薬師堂が美しいと聞いています。


醍醐寺については別にご案内します。
醍醐寺は五重塔に圧倒されます。

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