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四国八十八ケ所車でお遍路の記録/ 第44番大寶寺 ・ 第45番岩屋寺

リライト記字写真の追加2021年6月22日


菩提の道場:第40番~第65番札所:伊予の国(愛媛県)
43番明石寺からの道のりは約86km、幾つのも峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。


第1番札所から859.4㎞
第44番大寶寺(だいほうじ)
住所:愛媛県浮穴郡久万高原町菅生1173番地
山号:菅生山(すごうざん)
院名:大覚院(だいかくいん)
宗派:真言宗豊山派
創建:伝:大宝元年(701)
開基:伝:明神右京・隼人
御本尊:十一面観世音菩薩
☎:0892-21-0044
宿坊:あり 電話予約
駐車場:無料、普通20台


松山!Cより国道33号を高知方面に約30分
県道12号へ左折しすぐ


真言:おん まか きゃろにきゃ そわか


御詠歌:今の世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついには弥陀の 誓いをぞまつ


大宝寺は、用明天皇(在位585~587年)の時代、明神右京と隼人という狩人の兄弟が十一面観世音菩薩像を発見し、菅生山に祀ったのが寺の始まりといいます。


それから約100年後の大宝元年(701年)、文武天皇(697~707年)の勅願寺となり、年号をとって大宝寺となりました。


152年(仁平2)に兵火に会い全山焼失するが、後白河天皇(在位1155〜1158)によって再建されました。

逸話
久万山農民一揆」にまつわる逸話が残る。1741年(寛保元)に起こった3000人もの農民一揆で、ときの住職斉秀が仲裁し、1人の断罪者も出ることなく、ことなきを得るに至ったという。松山藩は大宝寺に150石を寄進し労をねぎらった。


参道入口脇には、おくま大師堂があり、参道から境内にかけては、檜やの杉の大木がそびえ立ち、鬱蒼としています


昭和9年に大寶寺の山中から掘り出された、金銅製の観音像をお祀りしている。


経文を書いた平らな石130枚が敷き詰められた下に仏像は眠っていた。


二日間にわたる作業の末、七体の仏像が発見された。五月九日には開眼法要が盛大に行われたという。専門家の鑑定によると、掘り出された仏像は鎌倉時代初期のものだという。





仁王門
仁王門にある大草履は、百年に1回取り替えるそうです。


ここも石段が続く上がると鐘楼があります。



本堂
青い銅板葺きの屋根の本堂からみる紅葉は美しい。


納経所の前の丘には松尾芭蕉の50回忌を記念して建てられた塚がある。四国八十八か所には、芭蕉塚がいくつかあるが、塚は一番古い。


「薬のむ 皿でも露の 枕かな」とある。なんでも芭蕉が44歳の時の作品で、44番札所にえらばれたとか。



大師堂


掘出観音堂
昭和初期に霊能祈祷師によって見つかった、観音が祀られています。


脳の病気に悩む天皇が病気平癒を祈願したところ快癒したため。妹宮を住職に任じ勅願寺とした。境内には妹宮の遺体を祀る陵権現が伝わり、病気平癒を祈願する人が多く、中でも脳の病に霊験があるとして受験生の参拝も多いようです。


大寶寺には、かつて放浪の俳人・種田山頭火も訪れておられます。



44番:大寶寺→8.4km→45番
大寶寺から岩屋寺へ向かう途中
「国民宿舎古岩屋荘」この前に有名な紅葉の名所。国の名勝に指定されている古岩屋
は、空に向かって伸びる円錐状の轢岩が二十以上もあって、100mを越える巨岩
もあります。名勝(古岩)屋を早速写真撮影する。


 多くの人が観光に来ていた。
 境内からの紅葉がとても美しい。


第1番札所から871.2㎞
岩屋寺は標高700mにある山岳霊場で山全体がご本尊『不動明王』とした珍しい札所です


第45番岩屋寺(いわやじ)
住所:愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468番地
宗派:真言宗豊山派
創建:伝:弘仁6年(815)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:不動明王
☎:0892-57-0417
駐車場:有料、普通105台


交通機関:
JR予讃線松山駅から約52km
松山自動車道・松山ICから国道33号を久万高原町方面へ。さらに県道12号へ。約1時間20分。


真言:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん


御詠歌:大聖の 祈る力の げに岩屋 石の中にも 極楽ぞある


 その昔、この山中に法華仙人という神通力を持った女が住んでいました。
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地を訪れると女は大師に深く帰依し、一山を献じて大往生を遂げたといいます。
そこで大師は木造の不動明王と、石像の不動明王を刻み、木造は本尊として本堂に安置しました。



弘法大師が、かつて修行の霊地を求めて投げていた明王鈴の音をたよりに巡錫し、この地で「山高き谷の朝霧海に似て、松吹く風を波にたとえむ」と詠んだことから山号を海岸山岩屋寺と名付けました。


堂宇は、明治31年(1898)の大火で、仁王門と虚空蔵堂をのこして什物諸史料等ともども消失したため、現存の多くは、後に再建されたものです。


岩屋寺は、四国遍路でも屈指の難所として知られ、駐車場から約800ⅿ。麓の駐車場から険しい石段、266段を登ります。


遍路道の厳しさ身をもって知らされる。約30分(案内では20分と記載してあった)
程でお寺へ。



石柱門
金剛力士像が乗っかっています。
それぞれ、方便為究境・如意知自心 と刻まれています。


山門
山門山号扁額『海岸山』

極楽橋
途中の赤い橋があるが、この上では杖を突いてはいけません。
弘法大師が橋の下で休息をとっています。


続いて自然石の石段が続きます。


水子地蔵尊の建物があります。


参道(石段)の途中に「道開き不動尊」があります。


新しくものごとを始める時
難局に当たって行き詰まった時
祈念するとおかげをいただけます
と、書いてありました。


参道沿いには苔むした祈願や供養の石仏が多数並んでいた。


断崖の上にお寺が見えてきます。


鐘楼


本堂
本堂の真上に大岩壁がそそり立つ。


左手に大師堂。
標高560mにある岩屋寺の本堂は、垂直に立った岩壁の前に立っていて、まるで岩の中から飛び出しているように見ぇます。

鳥取の投入堂のようです。


現在の本堂は昭和2年(1927)に再建されました。


一見して、大師堂よりも小さな構えは四国霊場寺院の中でも特異なものですが、山全体を本尊とするという縁起のとおりに、背後の巨岩(金剛界峰)と一体となるよう建てられています。本尊不動明王は秘仏。毎月28日(不動明王の縁日)には護摩祈祷が行われます。


御本尊の木造不動明王が安置されています。
上りきると巨大な岩壁を背にして、本堂で右手庫裏があります。
岩盤を背にしているので、すごく素晴らしい。


岩屋
本堂そばの岩屋(法華仙人堂跡)には、はしごで上ることができ、巨岩と巨樹に囲まれた境内を一望できます。


仙人堂跡の上方の岩窟には、いつだれがどのようにおまつりしたのか、阿弥陀如来像が安置されていて、江戸時代初期の遍路絵図には洞弥陀と描かれています。大師堂奥の仁王門付近から遙拝することができます。



穴禅定
本堂への石段右側にあります。


昔からの修行の場である本堂下の深さ10数メートルの洞窟の最深部には、地蔵尊、不動明王、弘法大師の石像をおまつりしています。


弘法大師が掘りあげた修行のばであると伝えられています。現在でも独鈷の霊水がわきでていて、お水まつり(先祖供養)のお地蔵さん、願かけの「かなえるお不動さん」として、多くの参詣者の信仰を集めています




大師堂

大師堂
宝形造の銅板葺きです。
本堂より一回り大きいです。
大正9年(1920)に再建された。現存の大師堂は、松山市出身の河口庄一により設計されました。


大師堂、向拝の上の岩屋の穴の中に1m程の青銅製『阿弥陀如来像が安置されています。
ここに行く道はありません。
『飛来の阿弥陀』と呼ばれているそうです。


仁王門
奥の院へつながっています。
大師堂の傍に仁王門があった。
山門よりどっしりしている。


八丁坂越えの遍路道からの入口はこちらです。 


寛政2年(1790)に兼鐘楼・洞阿弥陀遙拝所として建立され、明治の大火でも焼失を免れました。

ここから300m奥に弘法大師の行場である
「逼割禅定(せりわりぜんじょう)」があります。
600mほど上り、さらに岩山の岩盤を上り、鉄の鎖にすがって10mほど行き、さらにハシゴを21段上ってたどり着くそうです。
さすがここには行きませんでした。



岩屋寺→29.5km→46番:浄瑠璃寺

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