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四国八十八ケ所車で遍路の記録/第40番観自在寺・41番 龍光寺

2020年1月に公開した記事ですがリトライ記事に必要な文書等を追加、その他の部分も修正(写真追加)して、2021年6月18日 に再公開しました。
第1番札所から668.2㎞


ここからは
菩提の道場:第40番~第65番札所:伊予の国(愛媛県


第40番観自在寺(かんじざいじ)


住所:愛媛県宇和郡愛南町御荘平城2253-1番地
山号:平城山(へいじょうざん)院名:
院名:薬師院(やくしいん)
創建:伝:大同2年(807)
開基:伝:大同2年(807)
御本尊:薬師如来
☎:0895-72-0416
駐車場:無料、普通30台、大型3台
現在は39番札所・延光寺から国道56号線経由で到達できます。
松山自動車道・西予宇和ICから国道56号を宇和島市、宿毛市方面へ。約2時間。
交通機関
R予讃線宇和島駅から約30km
土讃線中村駅経由くろしお鉄道にて宿毛駅下車、宇和島バスに乗り「平城札所前」下車


真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:心願や 自在の春に 花咲きて 浮世のがれて 住むやけだもの
自在寺は伊予の国・最初の札所です。


 小雨の中を、延光寺からひたすら北上する。地図上は海岸沿いであるが全く海は見えない。


この辺りは海のレジャーが有名らしい。
観自在寺は第1番霊山寺から一番遠いお寺で、「四国霊場の裏関所」と呼ばれています。
観自在寺に到着した。


大同2年(807年)、桓武天皇(在位781~806年)の死後、その皇太子であった平城天皇(在位806~809年)の勅願により弘法大師が開基しました。


大師は一本の霊木に本尊薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩の三体を刻んで安置しました。
残った霊木にも南無阿弥陀仏の名号を刻みました。
これは寺宝になっています。
その後、平城天皇はこの寺に行幸したおり、「平城山」の勅額をを下賜。
これが山号の由来となっています。
次の嵯峨天皇(在位809年〜823年)とともにたびたび行幸され、『一切経』と『大般若経』を奉納。
一帯が「御荘」と呼ばれるのはそのためです。


中世以降も幅広い信仰を集め、江戸時代には、宇和島藩主・伊達宗利の勅願所にもなっています。


後に、平城天皇は薬子(くすこ)の乱で捕らえられ、この寺で落髪し、大師から灌頂を受けたといいます。
その髪を納めたといわれる五輪塔は現在も残っています。


観自在寺は、何度かの火災に見舞われましたが、奇跡的に宝判と本尊は焼けなかったそうです。
そのため宝判を押したサラシを体の悪いところにあてると、病気平癒の霊験があるといわれています。



総欅造の仁王門:約200年前に建立された総欅造の門です。

山門
山門山号扁額『平城山』


少し入る天井には 薬師如来

天井の方位盤は特に有名。
彩色された円形の方位番(東西南北と干支が描かれている)




仁王門の仏像の目玉がない空洞の目がこちらを見ている。なんとなく不気味。



本堂
昭和39年の再建
全国の信徒の浄財で再建された。
薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観音菩薩は空海の作と伝わっています

宝聚殿文殊堂
廻りの壁には漆喰で仏像が描かれていた。
回廊には四国八十八カ所の寺名が刻んであった。


十二支守本尊(八体仏)
昭和53年、十二支守り本尊として
千手観音菩薩(子年)、虚空蔵菩薩(丑・寅年)文殊菩薩(卯年)、普賢菩薩(辰・巳年)、勢至菩薩(午年)、大日如来(未・申年)、不動明王(酉年)
阿弥陀如来(戌・亥年)の八体の石像が彫刻されました。自分の干支の守り本尊にお水を掛けて、願いを込めることができます。

お大師様が投げられたと言う独鈷杵
これに触りながら願いを唱えれば霊験ありと言われる。

庭には亀の背中に昇り龍を乗せた灯篭があった、かなり古そうであるが銘はない いい感じ 誰が考案したのだろう。

大師堂
総檜の宝形造りで、回廊では四国八十八ヶ所のお砂踏ができる。)
近代的な耐火建築物になっているのは昭和34年に本堂と共に火災で焼失したので、昭和39年に再建された。

境内で見かけた親・子・孫の三代カエル

境内に栄かえるの石像があります。
カエルの石像があった親亀の背中に子亀がのっていました。
撫でてお願い事をすると、親子孫と三かえる。お金がかえる。福がかえる。病気が引きかえるのご利益があるそうです。


そばの石碑に次のように書いてありました。
親子孫と三かえる
お金かえる
福がかえる
病気が引き(ひき)かえる



心経宝塔
石造りです


五輪塔
平城天皇の遺髪塚といわれています。


芭蕉句碑 (写真はありません)
春の夜や籠人ゆかし堂の隅


ホームページ



40番:観自在寺→54.6km→41番


第1番札所から735.5㎞


41番 龍光寺
住所:愛媛県宇和島市三間町戸雁173番地
宗 派: 真言宗御室派
創 建: 大同2年(807)
開 基: 弘法大師
本 尊: 十一面観世音菩薩
真 言: おん まか きゃろにきゃ そわか
☎:0895-58-2186
駐車場:無料、普通12台
松山自動車道・西予宇和ICから県道31号を三間町方面方面へ。約35分
交通機関
JR予讃線宇和島駅から約9km


真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:この神は 三国流布の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く



 石の鳥居の脇を行くと駐車場であるが。普通車1台がやっと通過できる位の狭い道。
ワゴン車が立ち往生している。石川ナンバーの軽ワゴンもその後ろで立ち往生。


自分たちは、道路沿いの長命水という店の前に駐車し徒歩で山門へ。この山門は仁王さんの代わりに守護厄の狛犬がお迎えしてくれる。


上の駐車場脇のトイレで用をたしてからお参り。


ここでユニークなのは七福神があります。


 山門をくぐるとまず目に入るのは正面の階段にある鳥居。ここは神社か?と思いやその脇に本堂が。珍しい狛犬だった。


どちらかというと、ここはお稲荷さんの方が有名みたい。
 龍光寺というより、「三間のお稲荷さん」の方が良く通っている。そして、キツネは稲荷の使い走りをしていたという関係で、この寺の本堂の前にも石のキツネが鎮座している。
大師勧請の稲荷大明神は本尊とともに本堂内にある。


弘法大師がこの地を訪れたとき、稲束を担いだ白髪の老人に出会いました。
老人は大師に「我、この地に住み、仏法を守護し、諸民に利益せん」と告げ、姿を消しました。


この老人は大師の前にたびたび姿を現している稲荷明神だったと伝わっています。
大師は、老人こそ五穀大明神の化身であろうと、その尊像を刻み堂宇を建てて、尊像を安置し、明神を勧請して、稲荷山龍光寺と名付け、四国霊場の総鎮守とされ本尊とした、明治維新より本地仏十一面観音が本尊に代り、大師勧請の明神は現本堂に鎮座されています。


そして、新たに本堂が建てられ、本地仏の十一面観世菩薩が本尊になりました。
稲荷大明神も脇侍の不動明王とともに本堂に祀られています。


龍光寺は、土地の人々から「三間(みま)のお稲荷さん」と呼ばれ親しまれています。
稲荷神社は、龍光寺の境内からさらに石段を登ったところにあります。


龍の目伝説
龍光寺には、土地の庄屋が川原でうたた寝をしていたところ、龍に襲われましたが、腰の刀が自然に抜けて龍の目をくりぬいたという伝説にちなむ「龍の目」が奉納されています。


龍光寺は、土地の人々から「三間(みま)のお稲荷さん」と呼ばれ親しまれています。

狛犬
苔むした狛犬2頭が仁王さんに代わって出迎えてくれます
阿形・ 吽形


鐘楼



本堂


大師堂


稲荷神社は、龍光寺の境内からさらに石段を登ったところにあります。


明治初年まで本堂でしたが神仏分離令発布の為、現在の本堂を建立してそうです。
弘法大師が出会ったとされる、五穀大明神をお祀りしています。


雨が少し強くなって降ってきた、石段上のお稲荷さんにいかず帰宅の途につく。


本当は仏木寺をおまいりしてから帰宅の途についても良いのだが雨も降っており高速道路の混雑と無事故で帰えるためあえて次回にした。



 宇和ICは峠を越えて行く。かなりの急勾配、下り町中に入る高速道路近くで工事をしている。迂回路を廻るとナビが困惑、自分も困惑しばらく行くとナビが新しい道をゲット、ナビに従い車を進める。


やっとICに着く、いざ帰宅の途へ。
無事自宅へ着いた。かなり高速は渋滞で(吹田、亀山、四日市)あった。


次回は42番札所から

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