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四国八十八ケ所車で遍路の記録 /第38番金剛福寺・第39番延光寺

 2020年1月に公開した記事ですがリトライ記事に必要な文書等を追加、その他の部分も修正(写真追加)して、2021年6月17日に再公開しました。                                                                                       
第1番札所から605..8㎞
金剛福寺は室戸岬と向かい合う四国の最南端、足摺岬を見下ろす小高い丘の上に建っています。
第37番・岩本寺からは、約100kmあり、四国八十八ケ所中では、最も長い区間です。
歩くと約30時間、車でも3時間かかります。


第38番金剛福寺(こんごうふくじ)
住所:高知県土佐清水市足摺岬214-1番地
四国最南端の寺院です。
37番からはずいぶんと遠い。
足摺岬最南端にある金剛福寺は、奥行きも持ちつつ、海岸線に平行するように広がる境内は、とにかく広い。岬全体が境内


山号:蹉陀山 さださん
院名:補陀洛院(ふだらくいん)
宗派:真言宗智山派
創建:伝:弘仁13年(822)
開基:伝:空海(弘法大師)
御本尊:三面千手観世音菩薩
☎:0880-88-0038


駐車場:無料、普通30台位、大型4台
    他にも駐車場があります。(市営)
四万十町中央ICから車で約110分
交通機関
バス
土佐くろしお鉄道(中村・宿毛線)「中村駅」から、
高知西南交通バス(中村~清水プラザパル前経由~足摺岬行)で約105分「足摺岬」停留所下車、徒歩約15分
ここは本数も少ないので注意が必要です。


真言:おん ばざら たらま きりく そわか
御詠歌:ふだらくや ここは岬の 船の棹 取るも捨つるも 法のさだやま

 弘仁13年(822年)、弘法大師が嵯峨天皇(在位809~823年)から「補陀落(ふだらく、インド南岸の観音様の住む山のことで、観音浄土として崇拝されている土地)東門」の勅願
を賜り、伽藍を建立し、 千手観世音菩薩を刻んで安置したのが金剛福寺の始まりです。
平安時代の後期には、すでに観音霊場として都にも聞こえるほどの信仰を集め、和泉式部も訪れています。


 空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。


戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。
大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。


また、源氏一門とも縁が深く、多宝塔や諸堂宇の寄進を受けています。
五摂家のひとつである一条家の庇護を受け土佐最大の寺院として栄えました。
その後、一時荒廃しましたが、江戸時代に土佐二代藩主・山内忠義が修復再興しました。
明治の廃仏毀釈にあった後は、住職天俊等の努力により再興されました。
金剛福寺は若き弘法大師が険しい足摺の自然の中で修行したところです。



山門
山門扁額『補陀落東門』

手水舎
大つくばいには山内家の三つ葉柏紋が彫られています


亀石
境内に大師亀の像がありました。
すっごく大きいい。
頭をなでると幸福が訪れるといわれています。
頭が黒光りしてます。
この亀石は自然石です。


その立て看板の説明には、
岬の突端に亀呼岩あり大師、亀を呼び眼前に浮かぶ不動岩に渡り、修行せりと伝えられる(七不思議のひとつ)


徳川中期の道中案内記に足摺は「ゆるぎの石に亀も浮く」とあり、お遍路さんは亀を呼び幸運が来ると喜んだ。
(頭を撫で祈念すべし)
と書いてありました

本堂前池と愛染堂13重の石塔が2本

本堂
本堂山号扁額がかかっていた。
本尊は、三面千手観音菩薩、脇仏は、不動明王と毘沙門天であります。
本堂前の石庭が綺麗

権現堂
霊山鎮守です

多宝塔
源頼光公が清和天皇菩提の為に建立されたもので、源氏一門ゆかりの塔として有名。
本尊は胎蔵会大日如来です。
後方には和泉式部が黒髪を埋めて供養したという逆修塔(生前に死後の菩提のために建てる 供養塔)がある。



六角堂

供養塔

行者堂
地蔵に守られています。


鐘楼堂
二階建ての立派なもの


庭園は工事中で水は抜かれていた。庭園の脇には西国33カ所の仏像が安置されてい



大師堂
ここは見所が沢山あります、須戸時間に余裕があればゆっくり拝観して回ると良いでしょう。

足摺岬の燈台

ジョン(中浜)万次郎銅像


足摺岬は補堕落に最も近いとされ、補堕落の東の門とされた。



足摺岬に行く
七不思議」と言う大師遺跡が岬突端をめぐるようにあります。
大師亀:足摺岬の突端に「亀呼岩」があります。お大師さんが亀を呼び眼前に浮かぶ不動岩に渡り修行したと伝えられています。(足摺7不思議の一つ)いろんな願いを叶えてくれると言われています。


潮の満干手水鉢  
つきだした岸壁の近くにある。岩にくぼみがあり。潮が満ちてくれば水がたまり潮が引けば水が無くなる。  


根笹              
この地に生えている笹はこれ以上大きくならない笹だといわれている。
大師一夜建立ならずの華表(とりい)  大師が一夜で華表(とりい)を作らせようとしたが、夜明け前にあまのじゃくが鳥の鳴真似をしたため、夜が明けたと勘違いし、 やめたと言われている。 


亀よび場           
大師がここから亀を呼び、亀の背に乗って前の不動岩へ渡り、祈祷をおこなったとされています。


大師爪書き石 
大師が開山の際に、爪で「南無阿弥陀仏」と六字の名号を刻んだと言われています。


ゆるぎ石             
弘法大師が金剛福寺を建立した際に発見した石。この岩のゆるぎにより心の善悪を試すと言われているこの石はゆらすことができる。ゆれかたで「孝心」をはかる。しかしとても大きな石。
他にも地獄の穴・阿字石など多くの見所あるところであるが時間がなく全てを見ることはできなかった。


ここから出てから


足摺岬を見学後、金剛福寺門前のレストランで昼食を採る。カレーライス
灯台へ向かう入り口の道路沿いにあるジョン万次郎の銅像前で写真撮影。時間の都合で灯台まで行かなかった。
39番へは海岸沿いの県道27号の狭い道(離合困難)を走り、しばらく行くと片側1車線の道へ出る。
なお、しばらく行くと、見覚えのある交差点、ここを左折39番へ向かう。約1時間かかる。



ホームページ



次の39番札所まで約65km弱 


第1番札所から637.7㎞
第39番延光寺(えんこうじ)
土佐の国最後の札所となります。
眼洗いの清水と亀が持ち帰った銅鐘


住所:高知県宿毛市平田町中山390番地
山号:赤亀山(しゃっきざん)
院名:寺山院(じさんいん)
宗派:真言宗智山派
創建:伝:神亀元年(724)
開基:伝:行基
御本尊:薬師如来
☎:0880-66-0225
駐車場:無料、普通50台、大型5台
交通機関:
土佐くろしお鉄道平田駅から約2.5km
高知自動車道・須崎東ICから国道56号を四万十市方面へ。さらに宿毛市方面へ。約3時間20分。


真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
御詠歌:南無薬師 諸病悉除の 願こめて 詣る我身を 助けましめせ


 当山は、聖武天皇の神亀元年(724)行基菩薩が勅願により、自ら薬師如来を刻んで本尊とし一寺を創建されたのがはじまりであります。薬師の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺号を宝光寺、本尊の胸中には、行基菩薩感得の仏舎利を秘蔵したと伝えられます。
 桓武天皇の延暦十四年(795)大師が来錫され、勅願所として再建、日光月光の両菩薩を選んで脇侍とされ、七堂伽藍を整えたということです。


 延喜十一年(911)赤亀が梵鐘を背負って、海中から現われたので寺号を赤亀山院延光寺と改めました


延光寺は、広い境内に本堂と大師堂だけが建っている簡素なお寺です。

山門
山門山号扁額『赤亀山』


梵鐘 国の重要文化財
赤い亀が竜宮城から持帰ったものと伝えられ、この梵鐘には、延喜11年(911年)の刻銘があり高知県最古のものといわれています。
総高33.6cm、口径23cmの小柄な鐘です。
山号の赤亀山はこの伝承から。
納経朱印も亀になっています。

本堂
薬師如来
日光菩薩、月光菩薩を刻み本尊の脇仏として安置して、堂宇を整備しました。




目洗いの井戸(宝医水)
ちょこんと地蔵さんがいる
本堂横の池のそばにあります。延暦14年お大師さんが寺再興の法を修いたところ。
浄水乏しきを嘆かれ本尊を凝して池を掘り加持したところ霊水が湧き出たといわれています。お大師さんはこの水を宝医水と名づけ、今の「眼洗い井戸」となり、参拝者はこの水で眼を洗って眼病治癒を祈願しています。


赤亀
背中に梵鐘を載せています。



本堂

大師堂
五鈷杵、独鈷杵、仏足石などが、太子堂に飾ってある。
親子三代カエル(親亀の上に小さな蛙が二匹)の石像の横には、石碑があり
 一、親子孫と三かえる
 一、お金がかえる
 一、福がかえる
 一、病気が引(ひき)かえる
と刻まれた石碑が建っている。
大師堂周りの床には、1番~88番のお寺の名前が刻まれており、ゆっくりと一周した。




39番:延光寺→25.8km→40番:観自在寺


ここから、「菩提の道場」伊予の国 愛媛県 40番~65番

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