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四国八十八ケ所車でお遍路の記録 準備万端① 第一番 霊山寺・第二番 極楽寺・第三番 金泉寺

2021年5月16日 リライト

定年退職後夫婦で四国お遍路記録を書いてみました。お遍路旅日記

この旅は軽四輪でいくことにした。山道は狭くワゴンは無理です。


体験談

出かける前にバナナ、チョコレート、飴、ペットボトルのお茶を持っていくといいです。


特にバナナは疲労回復に最適です。


ルート上の道の駅に立ち寄る。
 係りの人から情報が聞けます。また周辺の地図などもあります。


地域の特産品もあり、お土産に最高です。
旅立つ前にぜひ知っておきたいこと


大師の称号
日本では貞観8年(866)に最澄と共に日本最初の大師称号、円仁は慈覚大師、最澄が伝教大師の称号を贈られたのが最初です。


弘法大師の諡号は延喜21年(921)に醍醐天皇より贈られている。
日本の歴史上、朝廷から大師号(諡号)を賜った高僧は24人います。


お遍路では同行二人(どうぎょうににん)といいますが、遍路修行をしているとき、常にお大師さま(弘法大師)と共にいるということです。


四国遍路の場合は、その象徴として、金剛杖がお大師さまそのものとされています。
遍路修行者は複数人であっても、個人対お大師さまの同行二人ということです。


今回のお遍路は妻と二人で達成するということで綿密な計画をたて出発した。
費用は一人当たり13万円~15万円を予定(高野山を含む)


 ダイソーでローソク、線香を購入、線香入れやローソク入れは自分で作製した。
また、銀行で5円玉(お賽銭用)を200枚、500円玉と100円玉をそれぞれ
100枚ずつ交換した。一度に交換すると手数料が必要なので銀行を変え数度に分けて交換した。


準備した物は以下の通り

履物

これが一番大切

車とはいえ山道、階段か待ち受けています

履きなれたスニーカ、またはホームセンターで手に入るキヤハン付きの地下足袋

これが動きやすい。

(ふくらはぎまであるものを)



①持病の薬、腹痛、風邪薬、痛み止め、バンドエイド・サロンパス、筋肉痛のスプレー等


②賽銭 5円玉 各札所4枚(本堂・太子堂各々二人分) 

 
③納経朱印のお金・駐車場用小銭(五百円玉、百円玉)


④耳栓 (民宿は物音が大きい)
 注:水泳用があるので間違えないよう音を遮断する耳栓を購入する。


⑤デジタルカメラ 充電器


⑥カッパ・傘(折りたたみ)


⑦携帯電話 充電器 延長コードと増設コンセント(三口)


⑧タオル6枚、手ぬぐい(菅笠と頭皮の間に巻く)、洗面用具、石けん(入浴)
⑨御影用ホルダーとしてカインズで写真ホルダーを購入


⑩洗濯バサミ、物干しハンガー、紐、筆記用具・ノート、ライター4個


⑪ポケットティッシュ(トイレの紙がない場合があるので多めに,ただし流せるもの)


⑫健康保険証


⑬液体蚊取り線香(民宿は蚊が多いと聞いた)


⑭下着類と着替え服2着(雨や汗で濡れるおそれがある。)


⑮ビニール袋 (プラスチック用のゴミ袋を用意)雨の時のカバンカバーとする



お遍路のルール
・橋の上で杖をついてはいけない。(弘法大師が橋の下で休まれた伝説から)


・トイレ・食事に行くときは輪袈裟、数珠をはずす。


・梵鐘=入鐘ついても、出鐘はつくな。
(鐘をつくのは寺に入ったとき(お参りをする前)にする。お参りをした後についてはいけない。ついてしまったらもう一度お参りしなおす。)


・ 寺に入るとき仁王門をくぐるが、この時右側にある「あ」(口をあけている方)に軽く会釈をしてから入る。出るときは左の「うん」(口をつぐんでいる方)に。


・お遍路さん同士、すれちがったら「ようおまいりで」などと声をかけあう。


・数珠は左手に巻き付けるらしい。弘法大師の像も左手に持っている。


お遍路予定は11日~12日
第1回1泊2日
第2回2泊3日
第3回2泊3日
第4回2泊3日 計11日 3月~11月は巡拝季節


今から約1,200年前、弘法大師(空海)が42歳のときに人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場です。後に懺悔の為河野衛門三郎が霊場巡りを行ったのが始まりと伝えられている。又人間には煩悩が88あり、霊場を八十八カ所巡ることにより煩悩が消え、願いがかなうと言われています。


阿波の(発心の道場 1~23番)


土佐の(修行の道場 24~39番)


伊予の(菩提の道場 40~65番)


讃岐の(涅槃の道場 66~88番)、


そして最後に、高野山奥の院参拝で大願成就することになります。


以下の表はエクセルで作成
上段が計画、下段は実際に要した時間 備考欄はその寺などの特色を記載および注意点
これをバインダーに挟んで、妻がナビゲーター。




【第1回目お遍路】一泊二日 平成22年9月19日(土)~20日(日)
我家を午前4時30分頃に出発、本当は3時出発であったが寝過ごしてしまった。桑名
IC~板野ICまで高速で移動。明石海峡を通過。板野ICを降りて国道を左折、第1番
札所・霊山寺へ着いたのが7時55分で、思ったより早く着いた。
霊山時横の駐車場に車を止め前の売店でお遍路用品を購入した。 


菅笠、金剛杖、納経帳、納め札(これにはあらかじめ願い事が印刷してあるが自分で願い事を書いても良い、私は用紙の上に書いたが用紙の裏に書いても良い。)


たくさんのお遍路さんが店を賑わしていた。


札所間が比較的集中しているのでここは一気に回るほうが効率的である。
しかし12番札所の焼山寺へは難所と聞いたので1日目は11番札所までとした。


おまいりは傘はかぶったままでよいが山門を入るときは合掌一礼して入る。
手水所に行き清める、これは神社でも同じ。次に鐘を2度突く必ず入るときのみ、出るときは鐘をついてはいけません。(早朝は避けてくださいね、近所の方が迷惑です)
本堂でロウソク、線香これらは空いている奥から立てましょう。納札を収める。
お賽銭をいれて般若心経をを唱え本尊の真言を三回唱えます。次に大子堂へここは真言は唱えない。


いよいよ納経所、墨書きと御朱印をいただきます。300円


読経のあげ方
合掌し三礼をしながら「うやうやしく仏を礼拝したてまつる」と唱えます。
開経喝(かいぎょうげ)を一返唱える。「仏様の教えにてここで会うことができましたと」いう意味です。


次に般若心経を唱えます。


次にそれぞれのお寺の光明真言を三返唱えます。真言は柱の横に記載されています。
次に弘法大使の名前である御宝号を三返唱えます。


次に回向文を一辺唱える(これは仏道を成就することを願うもの)
最後に「ありがとうございます。」と述べて合掌一礼。


覚えていても経本は見ながら読むのが作法です。


ただし。多くの参拝者がいるので、読経は横にずれてから行いましょう。


いよいよ発心の道場(1番から23番札所)


発心の道場:第1番~第23番札所:阿波の国(徳島県)


1番 竺和山一乗山 霊山寺
本尊:釈迦如来
 今日は天気も良い、お遍路の開始には最高である。今日の計画日程は藤井寺まで。
購入したセット(白衣・菅笠・金剛杖・輪袈裟)着用し、霊山寺の風格ある仁王門で合掌する。仁王様の背後には、旅の安全を祈る巨大な大わらじが奉納されていた。


本堂の中は、無数の灯籠に灯りがともっていて、見上げた天井には、龍の天井画が描かれている。本堂でお札を納め、お賽銭をあげ灯明を灯し、お線香をあげた、般若心経は分からないので唱えなかった。(売店でいただいたパンフレットには書いてあった)


 ところで、何故かここの山門前に女性お遍路のマネキンが一体おいてあった
のどかな街並みに立つ。天正年間に聖武天皇の勅願により行基が開基。第一番となったのは、弘法大使が密教の阿字五転「発心、修行、菩提、涅槃、利他」の法則に従って、四国の東北の角・鳴門市を発心点(出発)としたためで、ここから時計回りに辺路地がつくられた。



その歴史は1180数余年にも及ぶ。境内は草原な伽藍が並び本堂の天井には迫力のある龍の天井画、周りには多くの釣り灯があった。奥の拝殿天井には宇宙の星をちりばめた天体写真を見ることができる。ここでは遍路地を始めるにあたっての受戒を受けられる。



本堂に向かい左手には13体の仏像がある。初七日から三十三回忌まで死者の供養に割り当てられた不動、釈迦、地蔵、弥勒、薬師像など、等身大の石像がある。


真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく


宗派:高野山真言宗
開基:行基
電話:088-689-1111


徳島(阿波の国)は「発心の道場」と言われています。


発心とは悟りを得ようと心を起こすという意味です。
その昔、空海が88の煩悩を浄化し、衆生(命あるものすべて)と自らの厄難をはらって心身の救済ができる霊場を開こうとしていました。霊場を創るべく37日間の修法を行う中で、仏説を説く老師を僧侶達が取り囲み熱心に耳を傾けている姿から霊感を得ます。


その姿が天竺(インド)で釈迦が説法をしていた情景と重なり、天竺(インド)の霊場を和国(日本)に移すという意味で「竺和山・霊山寺(じくわざん・りょうぜんじ)」と名付けられました。


その時の持仏(釈迦誕生仏)を霊山寺のご本尊となっています。


お寺の山門にも「竺和山」の扁額がかかっています。

 
山門に入るときは合掌礼拝します。
数珠の持ち方は、中指に挟むようにもちます。


霊山寺の大師堂には青い幕がかかっていて家紋がふたつありますが、


一つ目は、五三桐(ござんのきり)といって真言宗の宗紋


二つ目は、三つ巴(みつどもえ)といって、八幡神の真言
そのふたつの紋だけで、「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」(神も仏も一緒だ)という空海の教えを現わしているのだそうです。
明治時代にこの神仏習合は分離されたのですが.


本堂の天井



2番 日照山 無量寿院  極楽寺

第1番札所から1.1㎞

本尊:阿弥陀如来

 駐車場の横に朱塗りの仁王門があった。横からも入山できるが仁王門に向かい仁王門かお寺に入る。


長命杉に触れると御利益があるらしいが柵がしてありふれることはできない。代わりに紅白の紐が柵外まで張られていた。



ここのお参りをし、次の札所へ車を走らせていくと、歩きお遍路が一人歩き、複数のお遍
路の方に出会う。


  漁師の信仰を集めていた阿弥陀堂で弘法大師が修行中阿弥陀如来を感得し像を刻み本尊としたと伝えられる。左右の釈迦如来・薬師如来は行基作。


真言 おん あみりた ていせい から うん
宗派:高野山真言宗
開基:行基
電話:088-689-1112




この大杉は弘法大師お手植えの杉です。長命杉といいます。


3番 亀光山 釈迦院 金泉寺(こんせんじ) 
第1番札所から3.8㎞
本尊:釈迦如来
 黄金の井戸、姿が映れば長寿、夫婦とも見事映ったから長生きできると思う。



弁慶の力石は見ることはできなかった。
弁慶の力石は、源氏と平家の戦いを前に源義経の一行が戦勝祈願に立ち寄った際、士気を高めるため、人並み外れた力持ちの武蔵坊弁慶が持ち上げたと云われる石である。


 ここでお寺の本堂で、住職?の注意を受ける。「菅笠の梵字が前に来るようにかぶりな
さい。」うっかり逆に付けていたのだ。妻を見るときちっと付けていた。
「なさけなー」 


弘法大師が巡ったとき。水不足で困窮していた住民のため井戸を掘ると霊水が湧き出たことから黄金井とし、寺を金泉寺とした。伝説の井戸は地蔵堂の中にあります。


この井戸を除き自分の姿を映し映らなければ3年で死ぬ、移れば長生きします。といわれています。



また本堂の左手の護摩堂の天井には美しい花鳥風月が描かれているので必ず見てください。


真言:のうまく さんまんだ ぼなんだ ばく
宗派:高野山真言宗
開基:行基
電話:088-672-1087

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