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知多新四国八十八ケ所霊場 の旅             第十八番札所 開運山 光照寺

                                                                                    今回記事からお遍路の旅は削除します
知多新四国霊場 十八番札所
開運山 光照寺
住所:愛知県半田市乙川高良町120番地
宗派:時宗
創建:興国三年(1342年)
御本尊:阿弥陀如来


御詠歌
乙川の清き流れに俤(おもかげ)を 写せば胸の垢や落ちなん


番外海蔵寺から500mほどのところにあります。


興国三年(1342年)源親房の建立という。元の寺は八幡社前の海岸にありましたが、文化5
年(1808年)、紀州徳川家の支援によって十四世覚阿是興上人の時、現在地に移転しました
文化八年(1811年)廓山和尚の時、本堂はじめ庫裏等上棟落慶した。別棟の観音堂は当時寺
格の関係で塔の建築は許されなかったが、鳴海陣屋の成瀬隼人正に懇願し「ヒサシ(向拝)
をつければ塔にあらず。」との条件で建立を許されたと伝わっています。
                        「知多四国めぐり」より


鐘楼門
ここは一見扉が付いているように見えますが、
四柱それぞれに付けられている袖壁のような物は、倒壊防止用支柱を隠すために設けられたようです。

お地蔵様


本堂


本堂と繋がっている廊下の下をくぐると札所がありました。

二重層造の観音堂です。あまり見かけません。
二重の塔のような感じです。
この指図したのが尾張徳川家筆頭家老成瀬氏の事を指します。
犬山城主だった人です。国宝犬山城の城主です。最近まで犬山城は成瀬さん個人の持ち物でした。
「隼人正」は官位であり、成瀬氏が代々称していましたそうです。
ここ光照寺では、弘法堂ではなく、中央に安置されている十一面観音像を本尊として観音堂と呼びます。実際、ここ光照寺の本尊は本堂に安置されている阿弥陀如来ですが、納経帳に記載されている札所本尊は十一面観世音菩薩となっています。十一面観世音菩薩は秘仏とされ、厨子の中に安置されています。
この観音様は亀崎沖で漁師の網にかかったものという不思議な由来が伝わっています
秘仏なので、御開帳されるのか不明です。

大師堂・観音堂
この左側に弘法大師がいらっしゃいます。
メインは十一面観世音菩薩のようです。



この左側が弘法大師

こちらが弘法大師様です。


清水次郎長地蔵尊
ここ光照寺には、清水次郎長所縁の地蔵尊が安置されています。
元々は亀崎街道と呼ばれる県道沿いに祀られていたのですが、拡幅工事が行われることになり、光照寺に移設されたそうです。


ここで清水次郎長伝
「勝軍地蔵」「心願成就地蔵」と呼ばれる清水次郎長地蔵尊ですが、逸話があります。
穂北(ほげた)の久六は次郎長と親交を結んだがその後悪行の数々を働き、再三次郎長から訓告されてしまう。久六はこれを逆恨みし、また次郎長の名声を妬み、次郎長を誹謗中傷する。
次郎長は大政、森の石松、八五郎の3人の子分を引き連れ、角力興行中の久六を呼び出し、亀崎街道の乙川畷で久六と対峙し久六の右腕を切り落としたそうです。
この一戦の前に次郎長は道端に祀られていた地蔵尊に、心願をかけ一心に勝利を祈ったと云います。それ以降勝負事に後利益があるとされ、多くの参拝者が訪れるようになったようです。

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