知多四国八十八ヶ所霊場お遍路の旅 29番札所 正法寺・31番札所 利生院・32番 宝乗院
知多新四国霊場 29番札所
正法寺
愛知県知多郡南知多町大字豊丘字本郷7番地
山号:大悲山
御本尊:毘沙門天
宗派:天台宗
創建:天福元年(1233年)
29番から47番までこの南知多町。
この町が新四国で一番多いお寺があり、何番のお寺なのか写真は混ざり、時間もさほどずれないためお寺と景色が混在したら勘弁してください。
このお寺は赤いレンガ造りの塀がとても特徴的であった。
山 門
これが本堂
正法寺には多宝塔があるんだと思ったが、これが本堂。
ご本尊の秘仏毘沙門天は福徳開運・商売繁盛に霊験ありとされ、毘沙門天と吉祥天の夫婦霊像になっている。このご夫婦が祀られているのが珍しい。
御本尊の毘沙門天は阿吽(あうん)両体で、行基菩薩の作と伝わる。当山は古くから病気平癒を願う「千枚通し」の霊場として名を知られている
奥にある建物には釈迦牟尼仏がお祀りしてある所は客殿であった。
高さ6mを超す厄除大観音像
弘法大師像
正法寺は野間大坊で長田忠致により源義朝と共に殺害された家臣「鎌田兵衛正清」の屋敷跡で、天福元年(1233年)比叡山の僧、徹円阿闍梨が草堂を建てて「鎌田正清」の念持仏であった毘沙門天像を安置し護摩堂を建立したのが始まりとされている。
知多四国めぐりより引用
長田忠致に裏切られて殺された。
お風呂に入る時に打たれたところに塚がある。
ここに刀を納めた。
手水舎(写真はありません)
ごくありふれた造りでコンクリート
弘法堂・客殿(写真が見当たりません)
平成九年に不審火により、弘法堂、客殿、庫裏が全焼し、平成14年に再建された。
ここには大般若経(室町時代)200巻は永徳2年[1382年)から応永11年(1404年)
に道意、礼顔など6人の僧侶により写経されたものがある。このお経の最後に署名が残されている。
なお、破損消滅したものは木版にしたと思われるものが17巻ある。
この大般若経は「山田神明宮の法楽の御経なり」と書かれていることから神明宮の
大般若経で歴代住職が使用したものと考えられている。
知多新四国霊場31番
利生院
住所:知多郡南知多町大井字真向27
山号:宝珠山
宗派:真言宗豊山派
創建:神亀2年(725年)
開基:行基菩薩の開基
御本尊:不動明王
☎:0569-63-0233
真言:のうまく さんまんだ ばざら だん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
御詠歌:阿字の原 絶なく八つの 風吹けど
利生のちかひ 不動磐石
門の所に住職の車 ベンツ
弘法堂
コンクリート造り
知多新四国霊場32番
宝乗院(ほうじょういん)
山号:宝珠山
宗派:真言宗豊山派
創建:神亀2年(725年)
御本尊:十一面観世音菩薩
☎:0569-63-0233
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌:宝乗の 峯にたなびく 白雲は
我が身をのせて 花の浄土へ
金比羅大権現を海上安全守護の寺
利生院と対向しています。利生院の門を出たらすぐ前が宝乗院の山門。
宝乗院も医王寺の塔頭として開かれ、当初は『宝泉坊』と称されていた。
医王寺と同様、建暦二年(1212)現在地に再建された。
金比羅堂
大井漁港という場所柄もあってか、海上安全にご利益のある金比羅大権現を祀っています。