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鎌倉 大仏  高徳院

鎌倉大仏

 源頼朝は東大寺の金色の大仏を見てここにも大仏をと思いました。
意思を受け継いだ侍女稲多局(いなだのつぼめ)が発起し、僧浄光が勧進し建立されたと伝えられている。


 建立場所に選ばれたのは「深沢の里」。
東大寺の興に尽力した重源の影響を受けていたという浄光が勧進して造立したのだといいます。

手の形は印を結んでいます。

奈良の大仏とは手の形が違います。


背中に窓があります

頭部の螺髪が見えます


しかし、鎌倉大仏建立の詳しいことは明らかではありません。
当時鎌倉の大仏も金色でした。


今でも顔の一部に金箔が残っています。


 最初の大仏は、四条天皇の許しを得た僧浄光が諸国を勧進し、庶民から一人一文の浄財を集めて建立された木製のものでした。


 大仏殿は高さ40メートルにもなる巨大な建物だったといいます。

1495年(明応4年)の「明応の大地震」による津波で流された(1498年(明応7年)ともいわれる。)。


 以後、鎌倉大仏は露坐(ろざ)となってしまいました。


 『吾妻鏡』によれば、1238年(暦仁元年)3月23日、深沢の里で大仏の建立の工事が始まり、1243年(寛元元年)6月16日、良信を導師として大仏と大仏殿の落慶供養が行われている。


 しかし、1247年(宝治元年)、木製の大仏は台風で倒潰してしまった。


 その後、造られたのが現在の青銅製の大仏。


 1252年(建長4年)8月17日、青銅製の大仏の鋳造が開始されるが、その後の記録がないので、いつ完成したのかは不明。


現在では、「鎌倉の大仏」または「長谷の大仏」として親しまれているが、江戸時代までは深沢の里に造られたことから、「深沢の大仏」と呼ばれていた。


ここの大仏猫背なのを知ってますか。
これ大仏様の眼が皆様の眼と合わせるように造られているのです。
また、皆さん何気なく腰掛てる石は大仏殿の礎石ですよ。(写真紛失)
全部で56個残っています。


奈良の大仏と鎌倉大仏の比較です。


奈良の大仏は聖武天皇の発願によって造立された東大寺の本尊・盧舎那仏坐像。
鋳造開始
747年
(天平19年)
完   成
755年
(天平勝宝7年)
重   量
250トン
像   高
14.98m
螺髪
492個(下記)
螺髪直系
0.22m
面   長
5.33m
眼   長
1.02m
耳   長
2.54m
口   広
1.33m
膝   間
12.08m
奈良の大仏の螺髪の数は、966個というのが定説だったが、2015年(平成27年)の調査で、492個だったことが判明しました。


鎌倉の高徳院の本尊・阿弥陀如来坐像。
鋳造開始
1252年
(建長4年)
完   成
1268年頃
(文永5年頃)
重   量
121トン
像   高
11.312m
螺髪
656個
螺髪直系
0.24m
面   長
2.35m
眼   長
1.00m


耳   長
1.90m
口   広
0.82m
膝   間
9.10m


いずれも青銅製。


最後迄お読み頂きありがとうございました。

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