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比叡山延暦寺 世界遺産

比叡山延暦寺  世界遺産
住所:滋賀県大津市坂本本町4220
山号:比叡山
宗派:天台宗
本尊:薬師如来
創建:延暦7年(788年)
開基:最澄
駐車場:あり  しかしドライブウエイに入るには料金必要
別名:平安京の北にあたる。南都の興福寺に対し北嶺ともいわれた。



坂本ケーブルを利用して訪問
母なる仏教の殿堂と言われる
東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。
伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。


多くの僧が修行したところで
良源・源信・良忍・法然(浄土宗の開祖)・栄西(臨済宗の開祖)・慈円・道元(曹洞宗の開祖・親鸞(浄土真宗の開祖)・日蓮(日蓮宗の開祖)など
この中で天皇より大師の称号を得たのは、良忍(聖応大師)・法然(円光大師)・栄西(千光大師)・道元(承陽大師)・親鸞(見真大師)・日蓮(立正大師)


ここは宗教の都でありまた強大な武力を有していた。物資の流通も握っていた。
ここは一種の独立国家であった。
この強大な背景により当時の貴族、武家にも影響力を持っていた。
平家、源氏の戦いの火種でもあった。
ここに比叡山を制圧すべきとした権力者は室町幕府の足利義正、よそ昌は将軍就任前は義円と名乗り、天台座主として比叡山側の蝶であったが、還俗と対立将軍に就任すると比叡山と対立。しかし、多くの大名から和議を進められ制圧に失敗、そこで比叡山の有力僧を斬首。
僧侶たちは根本中堂に集まり義政を非難したが、全く聞き入れてもらえない。そこで僧侶は根本中堂に火を放ち焼身自殺する。しかし、義政が殺された後またも延暦寺は再び武装した。またも独立国家となる。戦国時代に入り明応8年(1499年)管領細川政元が対立する将軍足利義稙の入京と呼応しようとした延暦寺を攻め、根本中堂を始め多くのからんを焼き討ち。
次に、織田信長は武装解除を再三促すが無視された。この焼き討ちの中心人物は明智光秀である。比叡山全土を焼き討ち、延暦2年(1571年)すべての堂宇は焼け落ちた。京の都からもこの炎上の火は良く見えたようである。
この時僧兵は4000千人もいたのだ。陰でそっと高名な僧を助けたのが秀吉。
その後秀吉、家康により再建された。その後天界僧正が上野寛永寺建立で天台宗の実権は
上野寛永寺に映ることとなる。(現在は比叡山に戻っている)


面白いことにここで現代でも大騒動、暴力団山口組の組長の法要が盛大に執り行われた。
警察が中止するよう求めたが拒否。どれだけ回向料があったのかは不明。
その後、全国の仏教界からの批判を受けた。以後暴力団の法要は中止となった。
坊主が権力を握るとろくでもないですね。今でも檀家に法外な要求をするお寺がありますよ。(修理費など)

文殊堂
ケーブルカーで登ると最初に出会います
寛文8年(1668年)火災後再建
二階建ての門
階上に文殊菩薩を安置する。根本中堂の真東に位置し、他の寺院における山門にあたる。


大講堂
寛永11年(1634年)建築
元は麓にあります坂本の東照宮(すでに紹介済み)にありました。
本尊は大日如来。本尊の両脇には向かって左から日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一篇の像が安置されている。

三つ葉葵の灯篭

根本中堂(国宝)
最澄が建立した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光により再建。 
入母屋造で幅37.6メートル、奥行23.9メートル、屋根高24.2メートルの大建築である。土間の内陣は外陣より床が3メートルも低い、独特の構造になっている。内部には3基の厨子が置かれ、中央の厨子には最澄自作の伝承がある秘仏・薬師如来立像を安置されている

薬師如来の前には開創以来1200年間消えることなく「不滅の法灯」が輝いています。この須弥壇のある内陣は参拝者がお参りされる中陣・外陣より低い位置にあり、天台様式仏像や法灯が参拝者の目の高さに合わせているのは、“仏も人もひとつ”という仏教の「仏凡一如」の考えを表しているということです。


根本中道にあったモニュメント


法華院総寺院東棟
1980年再建。
多宝塔になっているが他の多宝塔とは異なる点がある。
多宝塔は通常丸いお椀を伏せたような形であるは方形となっています。下層は胎蔵界大日如来、上層に仏舎利と法華経1000部を所蔵



戒壇院
延宝6年(1678年)の再建


国宝殿(別料金)二階建て(写真なし)
各本尊以外の仏像、絵画、工芸品などを収蔵
国宝殿とは仏教大使筆「山家学生式」より「一遍を照らす、これ国宝なり」という言葉が由来。


無動堂(写真なし)
ここは根本中道からかなり離れたところにある、千日回修行の行われるところ

大書院(非公開)
昭和天皇の即位に合わせ東京の村井吉兵衛氏の邸宅を移築し迎賓館として利用



阿弥陀堂


潤頂堂(写真なし)


八部院堂(写真なし)
790年創建その後焼失1988年再建

鐘楼


無動寺明王堂(写真不明)

大黒堂
大黒天信仰の始まりとされる、大黒堂の建物光景です。大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラのこととされます。仏教の大黒天は、天部に属する神とされ、神道の大黒天は、大国主命と神仏習合して七福神の一柱となりました。


これより西塔へ

釈迦堂
西塔の中心的な堂宇
これは本来園城寺いありましたが、豊臣秀吉が無理やり移築させた。
延暦寺最古の建物。本尊は釈迦如来立像です。


常行堂

法華堂


常行堂・法華堂
2棟の全く同じ形の堂宇左右に並ぶ文禄4年(1595年)建築。
右側が普賢菩薩を本尊とする法華堂
左側が阿弥陀如来を本尊とする常行堂

この2棟をつなぐ廊下が天秤棒に似ていることから、にない堂という。


かなり傷んでいる。


浄土院拝殿
ここは、今でも宗祖最澄が生きているものとして食事を捧げています。
高野山の奥の院弘法大師の廟とおなじです。
延暦寺山内では最も清浄荘厳な聖域で、比叡山を開かれた伝教大師最澄上人の御廟でもあります。
掃除地獄と呼ばれるほど、掃き清められていますここは
浄土院とその後ろ側に佇む最澄の御廟(ごびょう)は、比叡山延暦寺の中でも最も神聖な場所と言われています。最澄は今もなお、世のため人のためにここで祈り続けていると言われています。


瑠璃堂
ここには道路が閉鎖されており入れませんでした。


相輪橖(そうりんとう)写真なし
釈迦堂の北の山林にあり、青銅製で1895年(明治28年)に再建さた。


恵亮堂(写真なし)



西塔 鐘楼(写真なし)


シャトルバスで移動
横川へ


横川中堂(よかわちゅうどう)
ここは鉄筋コンクリート


根本如法塔 - 多宝塔で、現在の建物は大正期の再建(写真なし)

四季講堂(元三大師堂)(重文)
四季に法華経の論議を行うことから四季講堂と呼ばれる。おみくじ発祥の地である。


恵心堂
現在の堂は坂本の生源寺の別當大師堂を移築した。


安楽律院(写真なし)
天台宗安楽律法流の道場
ここは比叡山奥にあり行かなかった。

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