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秋田県  竿灯まつり

秋田竿灯まつり
訪問2009年8月3日

竿灯の歴史
秋田に佐竹さんという御殿様が納める城下町だった時代。
久保田城を囲む武家屋敷の内町と、商人や職人が住む外町は区切られていた。その間を流れる旭川でへだてられていました。
宝暦年間(1751年から63年)庶民の間でもロウソクが使われるようになり、外町ではお盆を控えて邪鬼を払い、実を清めるため竹竿に提灯を灯して練り歩きました。
それぞれの町内の大店の奉公人、とび職、鍛冶屋、大工など職人たちが中でも力持自慢の
猛者たちは竹竿に沢山の提灯を掲げて誇らしげに練り歩く様子に、見物人たちも拍手喝采ではやし立てた。


現在残っているもっとも古い文献は、寛政元年(1789)津村淙庵の紀行文「雪の降る道」で、陰暦の7月6日に行われたねぶりながしが紹介されている。このときにはすでに秋田独自の風俗として伝えられており、長い竿を十文字に構え、それに灯火を数多く付けて、太鼓を打ちながら町を練り歩き、その灯火は二丁、三丁にも及ぶ、といった竿燈の原型が記されている。


秋田県公文書館蔵「風俗問状答」
元々、藩政以前から秋田市周辺に伝えられているねぶり流しは、笹竹や合歓木に願い事を書いた短冊を飾り町を練り歩き、最後に川に流すものであった。それが、宝暦年間のローソクの普及、お盆に門前に掲げた高灯籠などが組み合わされて独自の行事に発展したものと言われている


ここで竿灯の大きさの説明を
大若
竿灯の大きさは高さ12m、重さ50キロ、提灯大きさ64㎝、提灯の数46個
中若
高さ9m 重さ30キロ 提灯の大きさ48cm、提灯の数46個
小若
高さ7m 重さ15キロ 提灯の大きさ48cm、提灯の数24個
幼若
高さ5m 重さ5キロ 提灯の大きさ30cm、提灯の数24個


合計で250本の竿灯があります

準備中の会場 

ホテル前で

ホテル入り口

パンフレット・グッズの販売

パレードの開始  ミス竿灯❔

お囃子の車

竿灯がぞろぞろ・・まだたてないよ

開始

お囃子の車

肩の上での演技

一基が倒れた・・・しかし見事周りが支えている。提灯は燃えない。

腰に竿灯 これが一番難しいという。

その先には、見事な黄金の稲穂

次はオデコ よく首が持つものだ 50キロもあるんだ。

最期に大太鼓でのお囃子。お祭りもこれが最終
楽しいひと時でした

頂いたポストカードです


妙技(演技)
流し
二人組で竿灯の竿を継ぎ足す。関東を起こし利き手で竿灯を差し上げる。掌だけで高々と差し上げる。
平手
ここでまた竿が足される。3段つないだ。


額に乗せる
額に乗せ大きく手を広げる、竿灯がしなる。見事なバランス



竿灯を肩に移して演技する



竿灯を腰に移し演技。これは難しそう。
それにしても、うまく竿灯を移動させるおのだと感心する。
これが一番高度なのだそうだ。


準備が終わった道路の街灯は消され、お店にネオンも消される。
笛太鼓のお囃子がやってきた。
お囃子の音色が変わると、竿灯が来た!!
鳴り響くお囃子、光の稲穂が建ち上がってきます。これみんなローソクなんです。
眼の前を通過する。
この祭りは4日ある。この縁者たちはこの日のために血のにじむ練習をしてきたのだろう。
「真夏の邪鬼を払い、義国方丈を祈り」日本の夏はすばらしい。
掌、オデコ、腰、肩に竿灯の竿を載せリズムをとる様子はすごいです。
竹竿がしなります、そのバランスがすごい。
全部で31町かな・


子供のグループもいる。勿論竿灯は小ぶりであるが、手のひらで上手にバランスを取っている。


昼は、妙技会があるらしい。(ひる竿灯)
個人戦、団体戦 子供、大人


やがて竿灯も通り過ぎ、お開きとなる。
添乗員の金魚の旗を探しついていくが、ものすごい人込みもあり、土産も買えない
はぐれた、一応携帯番号は聞いているし「まあいいか」。ぶらぶらとしていると、添乗員が
あわてて走り寄ってきた。バスが待ってるのですみませんが急いでください。
ホテルまで2時間かかる、食事が待ってくれない。
バスに戻り皆さんに「すみません、迷ってしまいました」

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