滋賀県 宗安寺
宗安寺
住所:滋賀県 彦根市本町2-3-7
山号:弘誓山
宗派:浄土宗
創建:詳細不明
開基:詳細不明
本尊:阿弥陀如来
☎:0749-22-0801
駐車場:8台程度
交通機関
琵琶湖線「彦根」駅 / 近江鉄道本線「彦根」駅 / 近江鉄道本線「ひこね芹川」駅
朱塗りの門があることから「赤門」 と呼ばれる山門が目印です。
馬に乗ったままと売れる高さがある。
朱塗りの表門は赤門と通称され、慶長8年(1603)佐和山城の大手門を移築したもの。
元禄14年(1701)の大火で唯一焼け残った施設である。
本堂
入母屋造 三瓦葺 間口十間半 奥行八間半 元禄14年(1701)の大火で焼失。翌年再建
本尊
本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の時、淀君の念持仏とされる仏像を持ち帰ったもので、胎内納経の奥書から文永7年(1270年)の作といわれています。
本尊の阿弥陀如来は夏の陣の際に大坂城より持ち出された淀君の念持佛。江戸時代には朝鮮通信使の宿となり、「李朝高官肖像画」がいまも伝わっています。
木村重成の首塚
大坂の陣で討死した木村重成の首塚がある
何故か徳川家康の位牌を安置されています。
小堀遠州風の「白露の庭」も見どころです。
このお寺数百体の黄金職に輝く小さな仏像に圧倒されます。
石田三成がこの千体仏に万民救済と極楽浄土の往生を
祈ったと伝わります。
また、光成の念持仏もあります。いつも持ち歩いていたそうです。
戦国武将またその妻も念持仏を持っていました身代わりになってくれると信じられていたのです。
行者堂
黒門
此方の門は、朝鮮使節に供するため御馳走が反祐された門です。
江戸時代に、朝鮮通信使達が立ち寄ったとされるお寺です
朝鮮通信使は江戸時代を通じて十二回来日した。江戸に行かなかった二回を除き毎回使節団は彦根に宿泊した。
宗安寺は使節団の中心である上使・福使・従事官の三使の宿泊施設となった。
一階数百人に及ぶ使節団。寛延元年(1748)の造作や見積もりは現在の1億円相当が投入されているとある。
宗安寺 夜の特別拝観
8月10日前後「彦根ゆかたまつり」同日
幽霊図もあるそうです
夜19時30分・20時・20時30分.から公開するそうです。
私は見たことありません。興味のある方は電話確認して下さい。
彦根藩士の眼病を治したといわれる木之本地蔵尊のご分身及び地廻り地蔵尊の二体が
安置される。現在は水子供養のお地蔵様として参拝される。









































