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滋賀県  水口城資料館 水口城跡

2021年10月12日記事修正しリライトしました。
住所: 滋賀県甲賀市水口町本丸
☎:0748-63-5577
駐車場:約30台
資料館:大人100円、小中学生50円


水口城は3代将軍徳川家光が寛永11年(1634)京都上洛の際の宿館として築城されました。


築城は幕府直営で行なわれ、作事奉行には、建築や作庭あるいは茶道などで著名な小堀遠州政一があたり、延べ十万人の大工を投入して工事が進められました。


城は京都の二条城を小型にしたもので本丸と二の丸の二郭で構成されていました。築城当時の規模は復元模型でうかがい知ることができます。家光以後の将軍の上洛は途絶え、水口城は城番(5千石~1万石の旗本、大名)が置かれ、これが1年任期で約50年続きました。

城壁を支える杭 この上に板を置き有事には弓矢 鉄砲で応戦できた。また同様にハザマからも攻撃できた。

ここは元々天守閣はありません。
将軍徳川家光が上洛の時宿舎として利用していました。




天和2年(1682年)に、石見国より加藤明友(賤が嶽7本槍で有名な加藤嘉明の孫)が入城し、水ロ藩が成立しました。


水口城はその居城となりました。明友は入城すると「二の丸」の整備に努めた結果、武家地が北に拡大したために、東海道の迂回や、寺社や集落、町屋等の移転をおこないました。


水口藩は甲賀・蒲生を中心に2万5千石を領有し、小藩ながら水口・日野など地方都市を治めました。


別名「碧水城」は、湧水を利用した薬研堀(やげんぼり)に水をたたえていたことから、明友が命名しました。



明治維新後、水ロ城は廃城となり、建物や、出丸と乾矢倉を除く石垣の大半が公売に付されました。旧本丸跡は県立水口高校敷地となりグランドとして利用されています。
また、復元された城は資料館となっています。


最後迄お読み頂ありがとうございます。

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