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丸亀城

四国八十八カ所お遍路で寄り道しました
2020年1月19日公開
2020年8月25日一部修正した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を
追記他の部分(写真等)追加・修正して2021年8月5日に再度公開しました。


亀城

石垣の名城とされています。


お遍路の合間に寄ってみました。
住所:香川県丸亀市一番丁(丸亀城内)
電話番号:0877-25-3881
駐車場:あり
入場料:200円
観覧時間は午前9時〜午後4時半(入城は午後4時まで)(天守閣)
現存12天守の一つです。
他には、弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)。
12城のうち、四国には4城あります。

標高約66mの亀山に築かれた平山城で、別名亀山城と呼ばれています。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m・南北約460mのうち内堀内の204,756m2
広大な史跡です。


「石の城」と形容されるその名のとおり、丸亀城は石垣の名城として全国的に有名です。
大手門から見上げる天守は威厳に満ち、夕暮れの天守は優しさをまとって、心を和ませます。400年の時を経た今日でも決して色あせることなく、自然と調和した独自の様式美をはっきり現在に残しています。(公財)日本城郭協会が選定した「日本100名城」にも選ばれ、花見や散歩など市民の憩いの場として親しまれています。
何と言っても日本一高い石垣です。熊本城も随分高いのですがここが一番のようです。


日本100名城の一つで、スタンプがあります。


慶長2年(1597年)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に着手、このころの城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲み防御した「総構(そうがまえ)」とされました。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣により豊臣氏が滅び、徳川氏の天下となり、徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。元和元年(1615年)の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城とした。
正保2年(1645年)、山崎氏が幕府の許可を得て廃城となっていた丸亀城を再築しました。


三の丸への坂には、傾斜が急で立ち止まって振り返りたくなる「見返り坂」、三の丸広場には、月見にふさわしいので名付けられた「月見櫓跡」があり、讃岐富士と呼ばれる飯野山も眺められます


丸亀城には3つの「日本一」
1つ目は日本一高い石垣です。あわせて60m以上になる四段の高石垣は、一番の見どころと言えるでしょう。美しい曲線の高石垣は「扇の勾配」と呼ばれ、江戸時代初期の最も技術が発達した頃に造られました。石垣の積み方には、算木積み、野面積みなどがあり、打ち込みハギや切り込みハギなど、さまざまな技術が見られます。使われた石は、大阪城など各地から集めたと言われ、「田」「左」などの文字や家紋が刻印されており、見つけるのも楽しいですよ。


2つ目は日本一小さい現存の三重三階の天守です。立派な石垣のため、下から眺めると荘厳なお城に見えますが、高さは約15mで、実際に入ってみると非常にコンパクトです。「御三階櫓」という三重の櫓になっています。天守には望楼型と層塔型という2つのタイプがありますが、丸亀城の天守は一階から最上階まで規則的に積み上げていく層塔型になります。


3つ目は日本一深い井戸です。二の丸の井戸の深さは絵図によると三十六間(約65m)もあり、次のようなちょっと怖い逸話も。

二の丸の井戸にはこわ〜い幽霊伝説が!
丸亀城には、実は築城当初から、幽霊が出るという伝説があるのです。丸亀城の見事な石垣は、羽坂重三郎という石工が造ったのですが、お殿様から「見事な石垣だ、これを越えられるのは鳥ぐらいだろう」とほめられて、「いえ、私なら鉄の棒一本で登ってみせます」と言い、軽々と登ってしまいました。羽坂重三郎が敵に寝返るのを恐れたお殿様は、井戸を調べるよう命じ、上から石を落とし葬ってしまいました。このお殿様は、山崎家治とも生駒親正とも言われています。それ以来、井戸の回りには幽霊がでるという噂が広まったとか。また、石垣を積む際に上手くいかず、雨の日に近くを通りかかった豆腐売りを捕まえて人柱にしたと言われており、雨の日に豆腐売りの声が聞こえるという逸話もあります。そんな心霊スポットがあるとは、いわくつきで何とも雰囲気がありますね。


讃岐京極家には「京極に過ぎたるものが3つある にっかり茶壺に多賀越中」という狂歌(和歌)が残っています。にっかりとは京極家に伝わる名刀・ニッカリ青江で、現在所蔵は丸亀市立資料館です。茶壺とは野々村仁清作の茶壺、多賀越中とは佐々木京極氏が近江にいた頃からの重臣を指しており、多くの名物があったようです。


2018年7月の西日本の豪雨により、丸亀城は南西の一部石垣が約30mにわたって崩れてしまいました。見学自体は可能ですが、早い修復が望まれます。

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