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三重県 四日市市 垂坂山観音寺 天台宗の古刹

垂坂山観音寺  天台宗の古刹
三重県四日市市垂坂町1266
山号:垂坂山
宗派:天台宗
創建:、延長六年(928年)
開基:慈恵大師(船木良源)
本尊:元三大師(良源)
     千手観音菩薩
伊勢天台別院


☎059-331-5448
垂坂のお大師さんで有名
拝観は事前に電話してください。


節分にいきました。
このお寺は年末と節分がにぎわいます。


東名阪自動車道「四日市東IC」から5分
交通機関
近鉄四日市駅
「近鉄四日市駅」下車後、
路線バス「垂坂・東芝四日市行き」「垂坂」停留所下車後、徒歩8分



山門
   四脚門 江戸時代(1691年)
   四日市市指定有形文化財


一隅を照らす

元三慈恵大師
宇多天皇の後胤といわれ、延喜年に出生しました。
12歳で比叡山に登師修行理仙阿闇梨について学問を納め後天台座主となった。
(延暦寺住職)
世の中に、疫病が流行した際、降魔の観法を修し鏡に映ったその姿を版に刻んで護符をつくり人々に、配った。その時鏡に映った姿は角を生やした鬼の姿です。
護符は、角大師、豆(魔滅)大師と言われ信仰されています。
天台宗の護符はこれが用いられています。




現在の神社仏閣で広まっているおみくじは元三大師の発案と言われています


元三大師=慈恵大師良源
慈恵大師良源は宇多天皇の皇胤といわれ、延呮十二年(九一二)出生。十二歳のとき比叡山に登り理仙阿じゃ梨について学問を修め、英明なる大師は後に天台座主(比叡山延暦寺住職)となり、天台中興の祖と仰がれたが寛和元年(1985)に示寂、それが正月3日であったため俗に「元三大師」と呼ばれている



重軽石
悩み事や願い事がある時、この石を持ち上げてみて、予想していたよりも軽く感じれば祈願は成就すると言われています。
普通重軽石は2個なのにここは3個あります。


本堂


本尊
慈恵大師坐像
重要文化財 1351年 像高80cm


誕生釈迦仏立像:県指定文化財 鎌倉時代 像高44cm
地蔵菩薩坐像:県指定文化財 1290年 像高81cm


薬師如来立像:県指定文化財 藤原時代 像高149cm


聖天堂


芭蕉句碑:三日月の地はおぼろなり雪見草


由緒
若き日の延暦寺の慈恵大師が大乗受戒で伊勢を行脚中、朝明郡の領主舟木良見の帰依寄進をうけ、延長六年(九二八)垂坂山に堂塔を建立。太師自ら刻んだ千手観音像を本尊として安置したと伝えられています。


寺は伊勢天台別院として栄え、最盛期の伽藍の規模は広大で16km四方ともいわれ、垂坂を中心に大膳寺・明願時・如来坊・建長坊・寂禅坊・中の坊・玄性坊・浄光坊・天神堂・薬師堂等の24坊とこれに関係した建物が鵤・茂福・東阿倉川・東坂部・山之一色・小杉・平津・中村等に散在した。


最盛期には24坊が甍を並べる大寺であった。
天正三年(一五七五)織田信長の兵火にかかり、諸堂ことごとく炎上してしまい、現在では寺名や地名にその名残が留まるのみとなっています。


その後荒廃していた観音寺を嘆いた桑名藩野村増右衛門は藩主松平定重公に再興を願い、藩主の命により元禄四年(一六九一)復興。現在の本堂は昭和45年国宝防災の一環として建立されました。

西国三十三観音


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