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岐阜県 中山道 太(大)田宿

中山道 太田宿
住所:岐阜県美濃加茂市太田本町
駐車場:あり
交通機関
JR高山線または太田線美濃太田下車
長良川鉄道越身美南線 美濃太田駅下車


中山道六十九次51番目の宿場にあたる太田宿は、中山道の三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えました。
(中山道は江戸から京都まで69次)


この宿場の規模は人口505人、家数108家
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠20軒


日本ラインがあります。(日本八景)
今渡の下船場がありますが現在は運航休止中です。
日本ライン下りは、岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市にかけて約13キロを遊覧する事業。木曽川の急流と奇岩群の眺めを楽しめるとして、最盛期の1970年代には年間40万人を超える利用客があった。
川下りの船はここから上流にトラックで運ばれていきます。
雄大な河川美がドイツのライン川にたとえられる。夫婦岩やライオン岩などが堪能できます。



太田宿本陣門
ポツンと取り残されているように建っています。
皇女和宮下向のおりに建設されました。
門のみで背後は空地です。


脇本陣 林家が公開されています。(無料)
林家は代々太田宿の脇本陣を勤めた家柄で、本陣福田家と共に太田村の庄屋も担っていました。その他にも尾張藩勘定所の御用達を勤め、生業として醸造業や質屋などを営み、幕末や明治時代初期には槍ケ岳を開山した播隆上人(浄土宗の行者)や、板垣退助も利用しました。往時は敷地の間口奥行き共に25間(約45m)、主屋の他、隠居家(西)、土蔵10棟、馬屋3棟が配される大豪邸でした。



現在の林家住宅は江戸時代中期の明和6年(1765)に建てられたもので木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、桁行8間、梁間9間半、外壁は1階部分が板張りで2階は真壁造り白漆喰仕上げ、両脇には高く掲げられた卯建が設けられています。表門(附:袖壁)は天保2年(1831)に建てられたもので切妻、桟瓦葺。隠居家(西)の建築年は不詳ですが木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、主屋同様に外壁の両端は高い卯建が掲げられ、外壁は板張りで街道側の正面は真壁造り白漆喰仕上げになっています。


広大な邸宅のうち「隠居家」のみ公開されていて、庭園があります。主屋は現在も住居として利用されているため公開されていません。


街並み

江戸時代後期の旅籠を休憩所であった「旅籠旧小松屋」

太田宿の街道沿いには太田宿の博物館である「太田宿中山道会館」内部

最後までお読みいただきありがとうございました。

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