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西国三十三カ所観音巡礼の旅 壼阪寺・岡寺・牡丹の長谷寺・法起院・南円堂

駐車場はとにかく広い。
駐車場に入らず直進すると壼阪峠を登ると山城の高取城跡があり、途中には羅漢岩があります。大きな車は通れませんので、お時間があれば車を壼阪寺に止め歩いてください。
すると壼阪寺の全容が見ることができます。


第六番札所  壼阪寺   目の眼病にご利益があります。


住所:奈良県高市郡高取町壺阪3
山号:壺阪山
本尊:十一面千手千眼観世音
宗派:真言宗豊山派
創建:大宝3年
開基:弁基上人
御詠歌:まいるより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲
電話:0744-52-2016


  右手に上がっていくと五百羅漢・高取城跡 石垣のみ残っている。

   仁王門

  仁王さんの下駄


南法華寺ともいう
インドの大観音像、お里・沢市の壼坂霊験記が有名。
ここは、平安期には、長谷寺とともに定願寺に列せられていた。
清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壼阪、笠置、宝輪…など」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。



一時は南北朝の戦乱、戦国時代の戦乱に遭い当時庇護を受けていた越智氏の衰退により壼阪寺も衰退していくことになった。
その後、豊臣秀吉の弟が高取城の城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続いた藩主植村氏の庇護を受け復興した。


境内にはお里、沢市が身を投げたと言われる投身の谷と言い伝えられる谷がある。
歌舞伎でも多く演ぜられている。

お里、沢市


   境内にある巨大なレリーフ  10枚  
   釈尊の生い立ちが描かれている。


  

          本 尊

   

            沢市の杖
 

   

            三重塔 



第七番札所  岡寺    ここからは、周辺に遺跡が多くある地域です。
             明日香遺跡、石舞台古墳など多数
山号:東光山
院号:真珠院(眞珠院)
宗派:真言宗豊山派
本尊:如意輪観音
創建年:世紀末頃
開基:伝・義淵
御詠歌:まいるより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲
電話:0744-54-2007


なだらかな丘陵地に囲まれた明日香。歴代天皇の宮都が置かれた七世紀には日本の中心であった。


龍蓋寺(りゅうがいじ)岡寺は地名に由来、龍蓋寺は法号である。
仁王門には岡寺とあり通常は、岡寺と呼ばれ、宗教法人も岡寺とされています。


日本最初の厄除け霊場とされています。
文化財としては、善淵増正座像(国宝)があります。
本尊は本堂正面にあり圧倒されます。
弘法大師が日本、インド、中国の三か国の土を混ぜ合わせて造ったといわれている。


日本で現存する塑像では最大である。


高さ約4.6m圧倒される姿である。
唇のあたりには、少し紅が残っているのが見て取れます。


如意輪観音は6臂の坐像に表すものが多いが、この本尊は石山寺本尊と同じ6臂である。
頭部は造像当時のもので体部は補修を重ねており、脚部は本来石山寺と同様の半跏像であった。今は坐像となっています。



また、本尊には「銅造如意輪観音半跏像」が胎内仏として納められていたようであり、この胎内仏は龍蓋寺建造時の本尊であったと言われている


本堂の前の広場東側に、善淵増正が龍を閉じ込めたと伝えられる「龍蓋池」があります
しかし、参拝される方は気が付かずと通り過ぎ扌しまいます。


池の中には縄で囲われた石がある。これが龍を閉じ込め蓋をした石です。
付近の農地を荒らしまわった龍はかなり大きくて、この大きな龍を閉じ込めた池も小

さい


「稲荷社」から少し上がると「奥の院石窟」があります。
奥の院というとそれなりの大きさがあるのが普通であるが、この奥の院は斜面に彫られた石窟となっている。

三重塔 ・・・以前あった三重塔は文明4年(1472年)に台風により倒壊、以来510年間
 昭和61年(1986年)弘法大師記念事業として再建された。

   鐘楼堂


他に十三重石塔 などがある。


近くには、橘寺、明日香寺、明日香遺跡、石舞台古墳など多数あります。
これらについては、別にご紹介してまいります。



番外札所 法起院
住所:奈良県桜井市初瀬776
宗派:真言宗豊山派
本尊:徳道上人  像は徳道上人が自ら造ったもの
創建年:伝・天平7年(735年)
開基:徳道上人
御詠歌:極楽は よそにはあらじわが心 おなじ蓮のへだてやはある 
正式名称は長谷寺 開山坊 法起院


初瀬街道を歩き賑やかな門前町に入るとまず右側に、法起院があります。
徳道上人廟の十三重の石塔
徳道上人の沓脱ぐ石・・・触れると願いが叶うとされている。


境内の葉書の木の葉に爪などで文字を書けば傷痕となり残る。
現在の長谷寺の基礎を固め、西国巡礼の祖と言われる徳道上人が晩年に隠棲した地と伝わる。現在は長谷寺の塔頭の一つで開山堂。

徳道上人にまつわる伝説
養老2年(718年)、徳道上人が病に倒れ冥土に行ったが、閻魔大王から「あなたは死んではいけない。世に三十三の観音霊場があり、これを巡礼すると清められ、苦しみ悩みから救われる。まだ誰もこの霊場のことを知らないので、人々に知らせて広めよ」と教えられ、宝印を授けられてこの世に戻された。徳道上人は三十三の観音霊場をめぐり、人々に霊験を説いてまわったが信じてもらえなかった。


落胆した上人は閻魔大王から授かった宝印を中山寺に埋めてしまった。この宝印は約270年後に花山法皇によって掘り出されるまで眠り続けた。これが徳道上人にまつわる伝説である。
 当寺は元禄8年(1695年)に長谷寺の英岳僧正によって再建され現在に至っている。


本堂」は北向きに建っている。本堂は普通、南向きか又は東向きに建てられており、北向きは珍しい。北側にある長谷寺の方向に向けて意識的に建てられたものであると思われる。。本堂に吊り下げられている灯籠は長谷形と言われるものである


仏足石・・・・多くの賽銭が置かれていた。

本堂左手億のある、徳道上人の供養塔「御廟十三重石塔」
上人は当時としてはながいきであり、80歳まで生きた。
上人は当院の松の木に登り法起菩薩としに化身してこの世を去ったと言われています。
この年が、法起院の創建年とされています。
また、多くの伝説があり大陸からの渡来人、伝説の域は出ないが仙道仙人と同一人ではないか、諸説がある。




第8番札所  長谷寺
住所:奈良県桜井市初瀬731-1
山号:豊山(ぶさん)
院号:神樂院(神楽院)
宗派:真言宗豊山派
本尊:十一面観世音菩薩
創建年:奈良時代(8世紀前半)
開基:道明
御詠歌:いくたびも 参る心は初瀬寺 山も誓いも深き谷川
電話:0744-47-8032 
別名:花の御寺と呼ばれている。

ここは見所が多くあるのでたっぷり1時間はかかります。
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く240寺程存在する。他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。


鎌倉の十一面観世音菩薩も大きいが、私はこちらのほうが大きいと思います。
私の訪れたときは、観音様の足元まで行けました。入り口で手のひらにお香を頂き
両手でこすり合わせ、合掌し中に入ると観音様の背中側から前に進み、観音様を見上げる位置に立つ、膝まついて観音様の足をさすることができました。ああ有難い、感激でした。 



   上記は古いですが、参考に


牡丹の名所4月から5月上旬は150種以上、7000株もの牡丹が満開とな。「枕草子」「更級日記」など多くの古典文学にも登場する。中でも「源氏物語」に登場する玉鬘(たまかずら)の巻にある二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。


仁王門
最初に建造されたのは平安時代、一条天皇の代(平安時代)幾度のも火災により、現存の仁王門は、明治18年(1885年)に再建。 重要文化財



初瀬山の麓から中腹にかけて伽藍が広がり、仁王門から本堂まで399段の登り廊(屋根付きの階段)はじめはなだらかで後半はややきつい。
下登廊・中登廊・ここの曲がり角、繋ぎに蔵王堂がある。上登廊

登廊・・・屋根付き、天井には独特の長谷寺式の灯篭


上登廊を上がると鐘楼の下に出る。 尾上の鐘



本堂の西方の丘には」「本長谷寺」という一画がある。ここには5重の塔が建っている。


本堂
徳川家光の寄進で天保2年(1645年)から工事が始まり五年後に完成
本尊は10m以上ある。光背も12mあまり。楠の霊木で作られている。
仏師は東大寺仏生院実清良覚と言われている。


金色に輝く御本尊で右手には錫杖(しゃくじょう)と念珠・左手は蓮華を挿した水瓶をお持ちの方形の石段の上に立つ独特のお姿でこれは観音・地蔵の御得を併せ持った世にも長谷寺形観音と称せられご尊像である。慈悲深いお顔立ちです。


天文7年に完成。慶安3年の新本堂建設は本尊を移動せずに行われた関係から内陣の中に
さらに内々陣となり、複雑な構成となっている。
これが巨大な厨子の役目をしている。



京都清水寺と同じ舞台(懸け造り)
本堂は南面入母屋造り本瓦葺きの大殿堂で奈良の東大寺大大仏殿につぐ大きさ建造物で間口九間奥行き五間の正堂、九間・四間の礼堂の南に五間・三間の外舞台がある。独特の建物






第9番札所  興福寺南円堂  北円堂も見てください。 ここのお寺は国宝の仏像
              (国宝館)も多く陳列されています。また最近は仮講堂
               が完成。 阿修羅像が有名です。
住所:奈良市登大路町48
宗派:法相宗大本山
本尊:不空羂索観世音菩薩像
創建年:弘仁4(813)年
開基:藤原冬嗣
御詠歌: 春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲


日本で最大の八角堂
年1回の特別開扉があります。 毎年10月17日に特別開扉。

日本でさも大きい八角堂、興福寺の中では建立された時期は最も新しい。
南円堂の正面にはかって「金銅灯篭」あったが、今は興福寺の国宝館に移されています。
国宝に指定されています。

この南円堂からは興福寺五重塔、東金堂が見えます。


興福寺を散策してから東大寺まで歩いてすぐです。是非時間が許せばそちらも参拝してください。ほかに春日大社などもあり、たっぷり1日はかかります。


南円堂の正面すぐの位置には「賓頭盧(びんずる)尊者


南円堂
実は「空海」ゆかりのお堂
弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記される。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。



不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めた。創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、再建には北円堂を参考にした。


不空羂索観音菩薩坐像(国宝)
高さは3m
制作時期は鎌倉時代で、作者は「康慶(こうけい)」と呼ばれる興福寺を中心に様々な仏像を生み出した仏師とその弟子たちとによります。


なお、康慶自身は、東大寺南大門の「金剛力士像」を制作した「運慶」の父親であるほか、同じく金剛力士像の作者として知られる「快慶」らは康慶の弟子として知られるなど、鎌倉時代に活躍した「慶派」の仏師の創始者とも言える存在となっています。

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