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知多四国八十八ヶ所霊場お遍路の旅  1曹源寺(そうげんじ) 2極楽寺(ごくらくじ)3普門寺(ふもんじ)

知多四国八十八ヶ所霊場お遍路の旅


多四国霊場は江戸時代文化6年(1809年)に知多市の古見の妙楽寺・亮山阿闍梨(りょうざんあじゃり)が弘法大師の夢のお告げを受けて霊場開創を発願し、様々な協力者を得て、16年後に開かれた。
日本三大新四国霊場の一つに数えられている。


知多半島はその昔弘法大師が東国巡錫の途中に上陸された聖地であった。


知多の風景があまりに四国に似ていることに驚かれたとのこと。
知多四国はお大師様と共に歩む全工程は194キロあります。霊場は文化6年(1809)、妙楽寺(79番)住職亮山阿闍梨寝ていますと、お大師様が夢の中に現れました。


「知多はわが悲願の宿縁の地今開発する時期が来た何時に与えるこれをもってせん。汝よろしく分布して衆生結縁の門を開け、別に二人の道僧を遣わすべし」


目が覚めると枕元には白い砂がありました。「これはお大師様の持ってこられた四国霊場の砂に相違ない。その後亮山阿闍は四国巡拝(3回)重ねられ、岡戸半蔵、武田安兵衛両行者の協力を得て知多四国霊場を開創されました。以来200年、次第にお大師様の霊徳を慕う人々が、広く全国より押し寄せるようになりました。


なお妙楽寺にはその時の納札版木、手甲や過去帳が残されている。


また数々の霊験談も後を絶たない。知多では訪れる巡拝者の皆様を「弘法様」と呼び、親しみを込めてお迎えしています。
知多半島を一周する巡拝の旅は、いつでも、どこからでもお詣りができる。
お詣りの方法は四国88カ所霊場巡りとおなじである。


札 所


1曹源寺(そうげんじ) 2極楽寺(ごくらくじ)3普門寺(ふもんじ)4延命寺(えんめいじ)


5地蔵寺(じぞうじ)6常福寺(じょうふくじ)7極楽寺(ごくらくじ)8傳宗院(でんそういん)


9明徳寺(みょうとくじ)10観音寺(かんのんじ)11安徳寺(あんとくじ)12福住寺(ふくじゅうじ)


13安楽寺(あんらくじ)14興昌寺(こうしょうじ)15洞雲院(とううんいん)16平泉寺(へいせんじ)


17観音寺(かんのんじ)18光照寺(こうしょうじ)19光照院(こうしょういん)20龍台院(りゅうたいいん)


21常楽寺(じょうらくじ)22大日寺(だいにちじ)23蓮花院(れんげいん)24徳正寺(とくしょうじ)


25円観寺(えんかんじ)26弥勒寺(みろくじ)27誓海寺(せいかいじ)28永寿寺(えいじゅじ)


29正法寺(しょうぼうじ)30医王寺(いおうじ)31利生院(りしょういん)32宝乗院(ほうじょういん)


33北室院(きたむろいん)34性慶院(しょうけいいん)35成願寺(じょうがんじ)36遍照寺(へんじょうじ)


37大光院(だいこういん)※日間賀島38正法禅寺(しょうぼうぜんじ)※篠島39医徳院(いとくいん)※篠島


40影向寺(ようごうじ)41西方寺(さいほうじ)42天龍寺(てんりゅうじ)43岩屋寺(いわやじ)


44大宝寺(だいほうじ)45泉蔵院(せんぞういん)46如意輪寺(にょいりんじ)47持宝院(じほういん)


48良参寺(りょうさんじ)49吉祥寺(きちじょうじ)50大御堂寺(おおみどうじ)51野間大坊(のまだいぼう)


52密蔵院(みつぞういん)53安養院(あんよういん)54海潮院(かいちょういん)55法山寺(ほうさんじ)


56瑞境寺(ずいきょうじ)57報恩寺(ほうおんじ)58来応寺(らいおうじ)59玉泉寺(ぎょくせんじ)


60安楽寺(あんらくじ)61高讃寺(こうさんじ)62洞雲寺(とううんじ)63大善院(だいぜんいん)


64宝全寺(ほうぜんじ)65相持院(そうじいん)66中之坊寺(なかのぼうじ)67三光院(さんこういん)


68宝蔵寺(ほうぞうじ)69慈光寺(じこうじ)70地蔵寺(じぞうじ)71大智院(だいちいん)


72慈雲寺(じうんじ)73正法院(しょうぼういん)74密厳寺(みつごんじ)75誕生堂(たんじょうどう)


76如意寺(にょいじ)77浄蓮寺(じょうれんじ)78福生寺(ふくしょうじ)79妙楽寺(みょうらくじ)


80栖光院(せいこういん)81龍蔵寺(りゅうぞうじ)82観福寺(かんぷくじ)83弥勒寺(みろくじ)


84玄猷寺(げんにゅうじ)85清水寺(せいすいじ)86観音寺(かんのんじ)87長寿寺(ちょうじゅじ)


88円通寺(えんつうじ)
他に番外と奥の宮があります。


さていよいよ出発
自宅から国道23号を通っていく。
第1番 曹源寺(そうげんじ)
宗派:曹同宗
山号:清涼山
本尊:釈迦牟尼仏
開基:不詳
創建:柏原天皇の永正2年(1505)開創
開山 実田以耘
住所 豊明市栄町内山45番地
☎: 0562−97−0915
車で行くと23号線豊明インターからすぐ。
(納経所には、納経帳、白衣、輪袈裟、杖などさまざまな巡礼グッズが売られている。
納札を購入。四国と同じく1回~10回・・・・白色
11回~20回・・・緑色
21回~30回・・・赤色
31回~50回・・・銀色
51回~100回・・金色
101回以上・・・・錦色1回目白色・2回目
朱印帳は88寺と奥の院など全て印刷され御朱印を頂くだけになっている。
鎌倉時代(700年程前)天台宗として開闢されたと伝えられており、現在の宗派である。


曹洞宗に改宗され開創されたのは後柏原帝の御代永正2年(1505)実田以耘和尚の時であった。
永禄3年(1560)5月19日史上に有名な桶狭間の戦い”が起こり今川義元公は戦死、
多数の死傷者が戦場一帯に放置されていたのを塔頭寺院の明窓宗印和尚に命じ、村人を指揮して戦傷者を収容し戦死者は各所に葬り代表的な場所として戦人塚を選定し引導焼香した。


今川義元公をはじめ武将の霊牌を位牌堂に祀り、戦人塚と共に歴代の住職が回向供養
している。
古戦場と言われる場所は曹源寺から北西に2km~2.5kmほどの距離にあります。


桶狭間の戦い」での戦死者(一説には2,500名)の引導焼香を塔頭寺院の明窓宗印和尚によって行われたと伝えられています。現在でも、曹源寺開山堂内には今川義元公、松井五郎八宗信、桶狭間戦役戦没者の位牌が祀られています。


承応3年(1654)3月3日火災に因り諸堂全部灰燼に帰しわずかに山門の扉二枚のみ
残ったと伝えられている。当時の伽藍は現在地より南東1キロぐらいのところ元屋敷に
あり、その地は境川、正戸川の氾濫に悩まされており高台である現在地を整地して伽藍を整備した。江戸時代より当地域の中本山として発達した。
                           曹源寺HPより


山 門
享保2年(1717)の建立

手水舎
昭和41年に作られた比較的新しい。数寄屋造りの桧皮葺きの屋根の手水舎、しかし屋根には苔が生えており情緒がある。

本堂
明治13年に再建。入母屋造り
本堂の右手には梟がいます
現在の本堂は、明治13年に再建されたものである。
本堂の内陣。ご本尊は釈迦牟尼仏で、左右に迦葉、阿難の二尊者が脇仏として祀られている。



弘法堂
大きな五鈷杵(ごこしょ)がおかれていた。
この五鈷杵を撫でると、身にまつわる諸々の因縁や押し寄せる諸悪運を防ぐと伝えられてい

鐘楼


開山堂(写真ありません)


桶狭間の戦いと千人塚(写真ありません)
曹源寺の開山堂では今川義元
公位牌『天澤寺殿四品前禮部侍郎秀峯哲公大居士』、松井宗信位牌『法号寂應白空
庵主』その他“桶狭間の戦い”の戦死者を手厚く供養している。


第2番 極楽寺(ごくらくじ) 宗派 浄土宗
山号:法蔵山
開山:彰誉旦
住所 大府市北崎町城畑112番地
本尊:無量寿仏(阿弥陀如来)
開山:彰誉湛秀(しょうよだんしゅう)和尚
開基:彰誉善栄(しょうよぜんえい)比丘
創建:1620年(元和6年)
本尊:無量寿仏(阿弥陀如来)
☎: 0562ー46ー2016
JR東海道線、武豊線大府駅・🚌北尾公会堂 3分  逢妻駅より徒歩40分
1番札所からは4キロほど、車で10分

元和6年(1620)浄土宗の僧・善栄が 知多郡東浦にある善導寺の教導所を建てたことか
ら。100年余り教導が続けられるうち、人々から親しみを込めて「極楽寺さん」呼ばれるよ
うになりました。本堂の左手、1919年(大正8年)建立の弘法堂には、県内千人の信者ら1体ずつ寄進された大師の小像が千体。生まれて2歳の年にここで祈願すると、様々な
願いを叶えていただけるといわれています。


第3番 普門寺(ふもんじ)  宗派 曹洞宗
住所 大府市横根町石丸95番地
山号:海雲山


御本尊: 十一面観世音菩薩
開基:不詳
開山:開山/雪山寿盛大和尚
御本尊:十一面観世音菩薩
℡ 0562−46−0164


極楽寺のとなり

ここの言い伝えによると夜ごと海に現れた観音像伝説があります。


白鳳元年(672)、夜ごと海上には光を放ちながら不気味な音をとどろかせる怪
しい「何か」が現れていた。ある夜、その光は虹をかけるように近くの山へ雲を連ね、同時に慈悲深い村人が夢の中で「速やかに堂を建て我を安置せよ」という声を聞いたのです。夜明けに海岸へ出てみると一体の観音像。お告げどおりこれを祀ったところ、昨日までの夜が嘘のように静まったといいます。これがこのお寺のはじまり。


ご本尊は頭をわずかに傾げた秘仏・十一面観音像。
高さ104㎝の杉材一本彫りである。
大府市の指定文化財
石仏二十一大師の前に「浄め石」があり、願を掛けた人は丸い石を回していきます。

納経帳左上の御朱印は知多御巡錫1200年記念の印です。


最後迄お読み頂き有難うございました。

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