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鎌倉 本覚寺 江の島・鎌倉七福神 恵比寿

鎌倉 本覚寺
恵比寿さまは江の島・鎌倉七福神のひとつとして、多くのひとの信仰を集めています。
住所:神奈川県鎌倉市小町1-12-12
山号:妙厳山(みょうごんさん)
宗派:日蓮宗
本尊:釈迦如来
創建:永享8年(1436年)
開基:日出(にっしゅつ)上人
足利侍氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建てて日出上人に寄進した寺院です。
文永11年(1274)に佐渡流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人は、この夷堂に滞在して布教を再開しました。その後、甲斐国の身延山に入って久遠寺を建立し本核的に日蓮宗の布教を行いました。


楼門  (写真ありません)
江戸時代のもの。明治初期に三浦半島の寺院より移したという。
両側に仁王さんがいらっしゃる。



本堂
大正時代の建立



手水舎 珍しい 龍が絡み合っています。



夷堂
夷堂は1981(昭和56)年)に再建
この夷堂は、源頼朝が鎌倉幕府の開幕の際に、幕府の裏鬼門(南西)にあたる方向の鎮守として建てたとされ、天台宗系のものであった。文永11年(1274年)に佐渡配流から帰った日蓮が一時、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていた


北門(駅側)
日蓮上人分骨堂
 身延山より移した日蓮の分骨を祀る。


鐘楼
応永17年[1410年]銘の梵鐘がある。日出が木更津八幡宮の別当寺で法論に勝ち、従者に持ち帰らせたと伝えられている。
鐘楼の周りには龍の彫刻があった


サルスベリの大木(写真ありません)
9月には樹齢100年以上のサルスベリが咲きます。




本堂の左手には、刀鍜冶で知られる岡崎五郎正宗のものといわれる宝篋印塔形式の墓があります。日蓮聖人が佐渡の配流から戻り、ここの夷堂に滞在していたときに、幼い正宗が父に連れられて訪れました。日蓮聖人にたいそうかわいがられ、「正宗」という名を与えられたという話があり、お墓があるのはその関係だともいわれています。


名刀正宗の墓
正宗(まさむね、生没年不詳)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に鎌倉で活動した刀工。日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人。多くの弟子を育成した。正宗の人物およびその作った刀についてはさまざまな逸話や伝説が残されています。
「正宗」の名は日本刀の代名詞ともなっており、その作風は後世の刀工に多大な影響を与えた。

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