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鹿児島県 名勝 仙巌園(雄大な景観が美しい島津家の別邸)  世界遺産・反射炉跡・旧集成館

               2021年2月14日公開しました記事に一部誤字がありました
               ので修正して2012年2月16日再公開しました。
名勝 仙巌園  世界遺産・反射炉跡
尚古集成館・島津薩摩切子工場・反射炉跡
ここはガイドツアーがあります。利用されると詳しいこと教えていただけます。
2012.5.29
住所:鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
☎:099-247-1551
駐車場:あり
交通機関
鹿児島中央駅からカゴシマシティビューまち巡りバスで「仙巌園前」バス停下車すぐ
入場料:1000円


雄大な景観が美しい島津家の別邸
名勝仙巌園は江戸時代初期の万治元年(1658)に、19代島津光久に よってつくられました.
桜島を築山にし、錦江湾を池に見立てた壮大な空間構成は、大名庭園の中でも他に類をみな
いほどの壮大なスケールです。よくこのような庭園が出来たものだと感心しました。
駐車場より入場すると,まづ目につくのが反射炉跡です。


反射炉跡 2015年 世界遺産登録されました。

残念ですがここは土台だけで上部の建物はありません。

鉄製アームストロング砲(150ポンド砲・68.03キロ)のレプリカが展示されています。


一見大名庭園に大砲は不釣り合いな感じがしますが、幕末に日本でいち早く150ポンド
砲(68.03キログラム)を製造。
幕末約150年前には、日本でいち早く富国強兵を実践し、大砲製造や造船などを行った近代
日本発祥の地なのです。
琉球王国を通じて中国と特別な交易ルートを持っていた薩摩、その琉球をへて西洋の船が相
次いで領内に来航、さらにはアヘン戦争で中国がイギリスに負け、列強の脅威はすぐそこま
で迫っていました。江戸よりいち早く日本の危機を察知していた薩摩、今も鹿児島港に残る
台場(砲台の設置場)はペリー来航以前に造られています。


斉彬が手掛けた一連の事業(集成館事業)が功を奏し、1858年薩英戦争が勃発するも日本は
イギリスに徹底抗戦、和平にこぎつけ危機を回避することができました。
凄いですね中国が戦に負けたのを薩摩が追い払うとは。


こうした薩摩の近代化は斉彬の広い知識と類い稀な指導力あってのことなのでしょう。
先の反射炉の土台は精巧さが求められることから加工しやすい「たんたど石(姶良カルデ
ラ)」、現在の尚古集成館はもともと機械工場だったので断熱効果のある「小野石(加久藤
カルデラ)」が使われているとのこです。


反射炉跡は静岡県韮山反射炉が良く残っています。


大砲は韮山・山口よりおおきいです。


山口県萩の反射炉は煙突が一部が残されています。

反射炉跡そばに鎮座する山神・水神


門の手前に獅子乗大灯篭 

鶴灯篭
つるが羽を伸ばしたように見えることから鶴灯篭と言われています。
28代斉彬がガス灯実験をしたと伝えられるもの。御殿から管を通し石炭でつくったガスを送
って灯していたそうなのですが、明治5年(1872年)横浜にガス灯が設置される15年も前の
ことだそうです。

いよいよ錫門を入ると御殿が見えます。
御殿の前を通り庭園に向かいます。
ここでこの御殿の正門が見えます。
明治28年(1895年)29代島津忠義が建てました。島津家の家紋丸十紋と桐紋があります。


正門前で。




亀石と書いてありました。右側が頭です


桜島が見えます

曲水の庭

華勝負が綺麗です。

保津川に祀られる水神

水力発電ダム跡
29代忠義は山から流れる豊富な水を利用して電力をつくり、御殿のシャンデリア等園内施設
で使っていたそうで、庭の奥には水力発電用のダムまでありました。すっごく驚きました。

猫神社
猫神・猫グッツ売店などがあった。
他に迫太郎・筆塚・観音岩・集仙台跡もあります



御殿御回り花しょうぶが綺麗です。

御庭神社
鹿児島城、仙巌園以外の別邸にあった13社を合祀したそうです。
御庭の裏側にひっそりと佇む御庭神社。
仙巌園の内外にあった13の神社を1918年(大正7年)に合祀したものです。 朝日神社、厳島神社、鶴ヶ岡八幡神社、八幡神社、菅原神社、鷹屋神社、大国神社、春日神社、諏訪神社
愛宕神社、稲荷神社、狐神社、五所大明神


一通り廻ったら御殿に入ります。
ここは明治17年(1884)大規模な改築が行われ明治21年から10年間島津忠義が住居として
使用していました。


殿様の別邸として建てられた御殿
薩摩藩最後の藩主となった島津忠義が、明治になってから生活していたのがこの御殿。実は
昔の鶴丸城と似た造りだとか。当主の部屋などに使われている木材は、なんと節なしの屋久
杉が用いられています。
庭のほうからも「化粧の間」や「居間」など、一部の部屋をみることができます。
内部は限られたお部屋鹿拝見できませんはシャンデリアがある謁見の間などがありますが全
ては公開されていません。

御殿中庭

望楼桜(19代藩主島津光久の時代に琉国王から贈られました)
中国文化の影響もうかがえます。
これらは中国を始めとする東アジアや西欧の諸国と交流を続けてきた、海洋国家薩摩を強く
感じさせる。
また、南国鹿児島らしく、園内には珍しい植物がたくさん植えられています。


「ろ過池」観水跡
大正天皇が皇太子の時に行幸に合わせてつくられたものだそうです。
ろ過された水が園内を流れてるように設計されています。


鶴嶺神社
仙巌園を出て右手に行くと神社があります。鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)島津家歴代の当主家族が祀られています。
源頼朝公の石塔があります。


旧集成館機械工場・尚古集成館本館(尚古集成館の壁は石造り、これの石も反射炉に使われた石だそうです)旧集成館 2015年 世界遺産登録
(内部の写真は紛失してしまいました。)


1863(文久3)年の薩英戦争で、薩摩藩は西洋の強力な軍事力を目の当たりにし、西洋
の進んだ技術を積極的に取り入れようと考えるようになりました。


斉彬が築いた集成館は薩英戦争で焼失しましたが、島津忠義によって復興が進められ、18
65年に再建されました。この機械工場で使用された動力は蒸気機関によるもので、長崎製
鉄所の特徴・技術を学び、主に洋式機械による金属加工、艦船・蒸気機関の修理、部品加工
が行われました。


機械工場は、鹿児島で石橋や石垣などに広く利用していた溶結凝灰岩を利用しており、「ス
トーンホーム」と呼ばれていました。基本は洋風の作りですが、一部日本建築の様式も見ら
れます。現存する日本の様式工場の建物としては最も初期のものです。


平成27年7月5日に世界遺産一覧表に記載されることが決定した「明治日本の産業革命遺産
製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつです。


薩摩切子工場
ここは江戸切子と違った趣がある作品です。
切子ショップもありましたが眺めるだけにしました。


次は、鹿児島市内のホテルへ向かいます。
疲れました。  鹿児島東急ホテル

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