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滋賀県 近江新善光寺(おうみしんぜんこうじ)

2021年10月3日記事修正しリライトしました。
近江新善光寺(おうみしんぜんこうじ) 
住所:滋賀県栗東市林256
山号:九品山
宗派:浄土宗
開基:小松宗定
弘安三年
本尊:阿弥陀如来立像
国指定重要文化財
南北朝時代の作
☎:077-552-0075 
駐車場:ありますが狭いです
栗東I.C.から車で10分
交通機関
 草津駅からバスで20分(滋賀バス草津・伊勢落線伊勢落行(年中運行))
JR琵琶湖線 「草津駅」 下車 バス 17分 伊勢落または石部駅行「高野」下車、徒歩5分
井伊ゆかりの地でお詣りしました。

山門
国登録文化財
明治21年に新築された。
大型建築で組物、蛙股などに手の込んだ技法が採用されています

二階には廻廊があるという規模で、山門裏手から階段があって登れるようになってはいますが扉は施錠されていて登れません。
楼上に釈迦仏と十六羅漢を祀り、登楼拝観できますが一定に時期だけだと思います。

佛使の丑 日本最大青銅だそうです。 余り撫でてないようですね。          そして下に狸の置物
牛の像は天満宮(菅原道真公が奉られている神社)には必ずありますが、稀に寺院でも見掛けるのは“佛使”なんですね。全国の善光寺にあるんでしょうね。牛にひかれて善光寺参り
たしか、依然訪ねた滋賀県 園養寺(おんようじ)です。

扉には井伊家の家紋

本堂
本堂に安置されている木造阿弥陀如来立像(伝僧円仁作)が重要文化財である。
像高98.6cm、鎌倉時代


「牛にひかれて善光寺まいり」懐かしい神牛も健在だった。豪放な山門に圧倒された。見事に蘇った本堂も立派だった。


鎌倉中期の頃、平家子孫、小松宗定氏が、平家一門の供養のため、当地から信州善光寺へ四十八度の祈願参りを発願し、12年の後、建長5年(1253)1月13日に満願成就されました。霊夢を感じて分身の阿弥陀如来像を請来したのが始まりといわれています。


寛文元年(1661)の頃、膳所城主本多候の帰依されるところとなり、江州一円に当寺の名が広まり、多くの信者が集まる所となりました。


本堂横

彫刻が素晴らしい 獅子

獅子

本堂から見た山門 左に見える石像は観音様です

置き瓦  よく見ると羽の生えた天女が二体あります。これも他ことないですね。
これ、一見の価値ありますよ。
カメラがバカチョンなのでこれ以上拡大できません。


江戸時代の寛文元年(1661)、崇敬を受けた膳所城主本多俊次候が三間四面の本堂と寺領の寄進を受け、新善光寺と称するようになりました。
その後も代々の膳所城城主の庇護を受け、参詣者で賑わい湖南の名所となった。


枯山水の庭園
江戸時代の作
 客殿前に膳所藩主本多俊次が、本堂を建立したときに造ったという美しい枯山水の庭園があります。庭園は三上山(432m)・菩提山(353.3m)を借景にした庭園で、中央に設けられた築山・楠や槇の大木・石組みや刈り込みのサツキ・杉苔などで構成されています。手水鉢(ちょうずばち)や踏み石に転用されている堂塔の礎石などが、重厚な枯山水の雰囲気を盛り上げています。(写真紛失でありません)



戒壇めぐり 新善光寺千体観音堂と地獄極楽めぐり
これらは善光寺のお決まりですよね。



新善光寺宝篋印塔(伝・小松宗定の墓)
山門を入って左の墓地内には、開基の小松宗定の墓と伝承される宝篋印塔があり、塔身には弘安三年銘があり、伝承はともかく開基の時期とは合致するから間違いないだろう。
ただし。宝輪は後世の物
近江の在銘宝篋印塔の中で2番目に古いようです。
(写真真紛失でありません)


以下余談ですが
信州善光寺の大勧進貫主(信州善光寺の住職)は天台宗と浄土宗の僧侶が代わる代わるで其の任に就くそうです。
であるので、信州善光寺は天台宗でもなく浄土宗でもなく無宗派の単立仏教寺院ということになるのです。


最後迄読んでいただきありがとうございます。

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