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滋賀県 豊会館(又十屋敷) ゆたかかいかん(またじゅうやしき) 車石が保存されています

豊会館(又十屋敷) ゆたかかいかん(またじゅうやしき)
住所:豊郷町下枝56             
訪問日:平成28年2月18日
☎:0749-35-2356
駐車場:5台程度
拝観料:200円

大津から京都まで畳石が敷かれ

その上を牛車が通り石が擦り減って

溝ができました。



轍の跡
江戸時代には物資の運搬のための馬車や牛車の使用は禁止されていましたが、例外として、大津宿と京の間は使用が認められていました。文化2(1805)年には年間1万5千の牛車が通っていました。
これが”くるまいし”です。逢坂山の急坂を牛車が通るのを助けるため、轍(わだち)のところだけ花崗岩を彫った石を敷き詰めていました。

又十船の模型

名庭園「松前の庭」勝本宗益作


豊会館(又十屋敷)概要: 案内板によると「 当館は、江戸末期より蝦夷と内地とを北前船を用いた交易で財を成した近江商人藤野家本宅跡です。明治初期に入ると我国初めての鮭缶の製造を始め五稜北辰の商標「星印」で販売した所、人気を博しました。
今日では「アケボノ缶詰」として受け継がれています。

亦天保の大飢饉には住民救済の為行われた飢饉普請は有名で江州音頭発祥の地千樹寺の再建と当寺の建造物及び湖国百選に紹介されている名庭園「松前の庭」勝本宗益作等何れも当時の原形を今日までほどよく保存されています。また、館内には千数点に及ぶ美術・工芸品等が展示されています。


庭の真ん中の大きい木は、庭を造る前からあったようで、この裏まで宇曽川の水を引いて、荷物を北前船で若狭→琵琶湖→豊郷と運んでいました。その時の目印に、この木を使ったとか


お庭の前の部屋に掛け軸があって、その裏は抜け道になっているそうです。
井伊直弼が屋敷に来た時、刺客に襲われてここから逃げ、その時の刀傷が残っていまし
た。説明の方も、本当かどうかわからないとの事。

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