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奈良県 法華寺 十一面観音像は光明皇后の生き写し

2020年11月5日公開した記事ですが
一部誤字修整し加筆し2021年9月22日リライトしました。
住所:奈良市法華寺町882
山号:なし
宗派:光明宗  光明宗(平成11年(1999年)真言律宗より独立)
創建:天平17年(745年)
開基:光明皇后(こうみょうこうごう)
本尊:十一面観音(国宝
駐車場:無料

南大門
ここからは入れません


山門(赤門)
一間一戸  切妻造
ここが拝観入口  まだ時間が早く開
いていませんでした。


光明皇后(こうみょうこうごう)
701年から760年第45代天聖武の皇后です。
藤原不比等の娘です。
奈良時代の総国分尼寺であった。
光明皇后は仏法を篤く信仰し、夫の聖武天皇とともに東大寺の大仏造立に力を尽くし
たほか、50巻に余る経典を書写しました。皇太子妃時代から、悲田院を設けて貧しい人たちを救済しています

赤門の隣


東大寺が国分寺の総本山になっているのに対して、国分尼寺の総本山が法華寺になります。
今日は偶然にもご本尊の特別開帳の期間でした。
海竜王寺のすぐ近くにあり、こちらのほうは観光バスも止まれるようになっています。

法華寺向かい側にある金堂跡

本堂
慶長6年(1601年)再建
寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間。慶長6年(1601年)、豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建された。堂内厨子に本尊十一面観音像を安置する。高欄の擬宝珠(ぎぼし)に慶長6年の銘があり、当時は「講堂」と呼ばれていたことがわかります。


十一面観音像は、光明皇后生き写しとも言われています。
光明皇后が蓮池を渡る姿を現しています。


この像をよく観ると髪の毛や衣が風になびいているのがわかります。



治承4年(1180年)の平重衡の兵火では東大寺、興福寺が炎上し、法華寺も被害を受けたようです。


鎌倉時代に入り、東大寺大仏の再興を果たした僧・重源は、建仁3年(1203年)、法華寺の堂宇や仏像を再興した。


現在も寺に残る鎌倉時代様式の木造仏頭は、この再興時の本尊廬舎那仏(るしゃなぶつ)の頭部であると推定されている。さらに、その半世紀後、鎌倉時代中期の真言律宗の僧・叡尊によって本格的な復興がなされました。


その後、明応8年(1499年)12月、大和国に攻め込んできた細川政元の家臣赤沢朝経によって焼き討ちされると、永正3年(1506年)7月、再び攻め込んできた赤沢朝経によってまたも焼き討ちされました。


そのうえ慶長元年(1596年)には地震にもあって、最終的には東塔以外の建物を失った。現在の本堂、鐘楼、南門は慶長6年(1601年)頃、豊臣秀頼と母の淀殿が片桐且元を奉行として復興したものである。なお、兵火や地震の被害をまぬがれていた東塔は宝永4年(1707年)の地震で倒壊した。


本尊:十一面観音菩薩立像(国宝)
天竺(インド)の仏師・問答師が、光明皇后の姿を模して刻んだという伝承があります。
法華寺の本尊。像高100㎝。平安時代初期(9世紀前半)本堂の厨子内に安置する。非公開で、春と秋に期日を限って開扉される。


当初から無彩色 / 平安時代彫刻を代表する作品の1つ)


ビャクダンを産しない日本では、カヤ材で素木仕上げの像を檀像とみなしていた。
本像も檀像として造られたものと思われます。台座は像の蓮華の下を1本の細い茎で支える、珍しい形式のものです。


光背も他にほとんど例をみない形式のもので、ハスの未開の花と葉を表している。この光背は明治38年(1905年)の補作ですが、古い光背を踏襲して造ったものです。


護摩堂
宝形造 池泉上に建立されています。まだ新しいです。

スイバン彫刻が美くしいです。


四面あり彫刻が違います


鐘楼
桃山時代
鬼瓦に慶長7年(1602年)の刻銘があるので、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。ただし、本堂と同様に、前身建物のものとみられる古い部材も混在している。二層建てとし、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式となっています。



横笛堂
鎌倉時代
平家物語第10巻に登場する横笛(よこぶえ)が祈りを捧げたお堂だそうです。
横笛像 (張子の像 / 現在は本堂に安置 / 像高30cm / 横笛が手紙の反故で自らの姿を作った伝承あり)
建礼門院の雑士女・横笛(平家物語の登場人物)が尼となった後に住んだとされる建物かつては南門を出て左側の飛地境内にあったが、現在は赤門の東側に移築されています。

薬師堂
 薬師如来を安置

浴室 国指定 重要有形民俗文化財   「法華寺のカラブロ」名称で登録
総高 ; 4m
横幅 ; 6m (3間)
奥行 ; 4m (2間)
年代 ; 1766年 (明和3年) 江戸時代 再建
屋根 ; 桟瓦葺
構造 ; 切妻造  妻入
内部 ; 二部屋 (東側 竈部屋 / 西側 蒸風呂)
        大竈の上は浴室となっており戸棚仕様の浴室扉を開けて入る
        蒸気はスノコ状の檜床板から出て浴室を充満させる仕組み

敷地内にある重厚な「茅葺き屋根」
法華寺「光月亭」は、法華寺の境内の「華楽園」と呼ばれる庭園のそばに建つ「茅葺き屋根」住居建築です。


この建物は、元々は法華寺にあったものではなく、現在の市内「月ヶ瀬地区」にあった「東谷家住宅(18世紀頃の建築)」を昭和期に移築して来たものであり、現在は法華寺の客間のような形で行事を行う際に活用されています。かつての農家建築の佇まいをほとんどそのまま残す貴重な存在となっています。


光月亭内部に置かれている衝立
細かい細工があり中国に旅行した時は目野細工であった、これは木製
説明書きはなく作者年田は不明。

庭園



このお寺より真っすぐ東大寺方面に進むと東大寺転害門に出ます。

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