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滋賀県  太郎坊宮(阿賀神社)・天空のパワースポット 階段の多さに圧倒

太郎坊宮            2022年4月11日 リライト


住所:滋賀県東近江市小脇町2247
主祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳命
創建:欽明天皇の時代
本殿の様式
権現造向拝付


下の駐車場からは742段の石段!!
相当な覚悟


三重県と滋賀県を結ぶ国道421号線は、今でも八風街道と呼ばれ、八風峠越えで伊勢と近江を結ぶ道として古くから栄えてきた街道です。


(※国道421号線は石榑峠越えルートなので、厳密には同じではありません)


現在国道421号線は石榑峠越えルート(トンネル4㎞が整備されました、以前は2トンの車がやっと通れる程度で、車のすれ違いはできませんでした。今は大型の車も通過できるのですが、永源寺ダムの周辺はまだ整備中で注意が必要です。)このトンネルができ東近江から長島温泉・なばなの里・伊勢神宮かなりは近くになりました。


その国道421号線の、近江鉄道「新八日市駅」~「市辺駅」間あたりから北の方角を見ると、斜面が巨岩むき出しで不思議な三角の形をした山が見えます。でも近江富士ではありません。その斜面の中腹には大きな建物やポツポツと小さな建物、さらによく見ると鳥居が見えます。


この山は赤神山といい、地域の人たちからは、太郎坊山と呼ばれています。山には古くから天狗が住むとされ、太郎坊山という名もその天狗の名である太郎坊天狗からつけられたものです。


また太郎坊宮の正式名称は阿賀神社というのですが、これも神社のご祭神を守護するのが太郎坊天狗であることから、太郎坊宮と呼ばれています。


ところで、この天狗は京都の鞍馬山の天狗(次郎坊天狗)のお兄さん天狗なんだ、そうっだたのかと、不思議ですね。
源義経も、奥州へ落ち延びる前にここに訪れ、源氏再興を祈願したそうです。その時に義経が休憩の際に腰をおろした「腰掛け岩」が、今も残されています。

通常は、山麓の登山口から742段の石段を上って一番上にある本殿へ向かうことになりますが、今は全て徒歩で行かれるのは少なくなりました。


中腹の祈祷殿前まで車で行けるようになりました。そこからだと259段程で到着。



太郎坊宮の最上部にあります本殿です。ここのご祭神は、「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)」という神様で、お母さんはあの天照大神。


ご祭神は「不撓、不屈、勝利、福寿」の神様で、そのご神徳は、家門の繁栄、商売の隆昌、家内安全、延命息災、厄除け、そして勝運授福などです。中でも、勝利と幸福を授ける神様としてその名が知られており、地元の高校野球チーム、サッカークラブなど多くのスポーツ選手や、受験競争へと立ち向かう受験生、戦うビジネスマン、企業経営者など、勝負に向かう様々な人々が訪れます。


なんとあの源義経も、奥州へ落ち延びる前にここに訪れ、源氏再興を祈願したそうです。その時に義経が休憩の際に腰をおろした「腰掛け岩」が、今も残されています。それにしても、その時代から既に名の知られていた太郎坊宮、歴史の深さを感じることができます


夫婦岩は凝縮されるようなパワーを感じるこの雰囲気、パワースポットとしての圧倒的な威厳が放たれています。

「磐境信仰発祥の地、近江高天原」と書かれている夫婦岩は、高さ数十メートルの2つの巨岩です。大きい方(左側)が男岩、小さい方(右)が女岩。言い伝えによると、大神の神力によって幅約80cm、長さ12mにわたり真二つに押し開かれたといいます。


そして、2つの岩の間を通って参拝する者は、即座に病苦を除き諸願が成就するが、悪心あるものは岩に挟まれるとされています。そこで、この岩を両手を広げて触りながら通りぬけるとご利益があるのです。


ここが最高のパワースポットです。


七福人ありました。


絵馬殿

絵馬殿 ー1925年(大正14年) 私は絵馬が好きです。多くの寄進された故事のことが極彩色で描かれていて歴史を感じます。ここには2枚上げましたがあと数点ありました。


建物としては以下の通り多く残っています。
拝殿
神楽殿
二見神社・十二社神社 - 火防の稲荷。
赤神山稲荷社
赤神山愛宕社
龍神社 ー 龍神を祀った手水舎。
祈祷殿 ー本殿の御分霊を祀る。
赤神山不動明王
地主社
一願成就社
紫微社
永安殿 ー1907年(明治40年)建立。旧社務所。
長楽殿 ー1930年(昭和5年)建立。講堂。
祭器庫 ー1938年(昭和13年)建立。
参集殿 - 1973年(昭和48年)に作られた4階建ての研修道場・休憩所・社務所





昼ごはん 何時もはコンビニで食事、今日は豪華に1600円で

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